絶賛堕ちているなか、仕事を終えて帰宅しますと、宅配便業者の封筒に入った荷物が届いていました。
ここ最近はネットショッピングで注文をした記憶がないため、はてなんだろうと思い宛先を見てみましたら、ひさびさにではありますが懸賞に当選していたようです。
移住先での懸賞当選は、ネットアンケートでの景品送付となりました。
当たりまえのことなのですが、懸賞は応募をしませんと当選の可能性は発生しません。
そして、当選・落選の通知は、商品の発送を以て知ることがほとんどです。
そしてそれは何も、懸賞だけの話にはとどまらないのではないだろうかと思いました。
さて、今回の商品はと言いますと。
ミニトートとマスクのセット。
アンケートに答えたのですが、記憶ではプレゼントを選ぶことができたような。
ネットアンケートでの懸賞当選は、今回がはじめてかもしれません。
ネピアさん、ありがとうございます!
さて、今回のケースは「因果」です。
原因があって、結果があります。
つまりは
原因⇒応募をした
結果⇒当選をした
ということになります。
これは何も懸賞だけの話には留まらないというのは、因果だからという点にあります。
各々の因果を、考えたことがあるでしょうか?
人のせいにしていたことが、実は自分に原因があった。
そのように考えたことは、今までにあるでしょうか?
何かしら印象が悪い出来事が起こりますと、やはり自分ではなくその相手の失礼さなどを指摘し、こっちは迷惑しているんだという態度をとると思います。
ぼくもそのような態度をとられてしまい、自身の行動を反省しています。
反省はもちろん大切なのですが、ふと思ったことは
「では、相手はわたしに対して失礼な態度または行動を取らなかったのだろうか」
ということでした。
この基準は人それぞれ異なりますので、場合によっては
「勝手に言っていればいい」
ということに十分なりかねます。
これは、お互いの主張が平行線になったときに多く起きます。
では、フラットな状態で観ることが出来ていたかと言いますと、それは難しい状況にあったはずです。
何故なら、「その決めた状況をひっくり返したくはない」という、いわば「縛り」が発生するからだと考えています。
加えて。
いま起きた自分に対する失礼は、過去自分が相手に対して行った失礼が発端だとしたら。
これはもう、相手ばかりを責めることは出来なくなります。
如何に現在の環境が以前と変わっていようと、結果として自分に「還ってきた」ということになります。それはいわば「自己責任」となります。それを相手のせいにしてしまうというのは、責任転嫁もいいところなのではないかと思いました。
必ずしも、この主張や考えが正しいという訳ではないのですが、このような要因をはらんだ出来事は、実際に数多く起こっていると考えます。それは過去の出来事をうやむやにし、棚上げをして「先延ばし」をしてしまったことへの、利息を多少上乗せした還元になります。そう考えたとき、あの時の自分の行動はどうだったか?という振り返りが出来なければ、この先も似たようなことで不愉快な気分を経験していくことになるでしょう。
もちろん、大前提として「自身の行動」も意識していかなくてはなりませんが。
この日記を書いている日も外勤で長話をしてしまいましたが、そこで言葉に詰まる場面がありました。
そのような中でも、数々の気づきを与えてくれる。
まだ、修正する余地はあるのだという教えが、時間をかけてやってきれくれました。