つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「思考」や「気持ち」が、邪魔をする。

さて、本日の勤務は

 

 

「暇」

 

 

な1日となりました 汗。

 

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そんな1日でありましたので、道路わきにある雪山を崩しました。

最低気温は氷点下ですが、最高気温がさほど寒くなく、連日暖かいこともあって雪が融けていましたので少しでも無くなればいいなと思います。

 

 店舗内にいる間はほぼ「読書」をして過ごしました。

久々に多読爆発です。

この日は雑誌を含めて5冊持ち込み、ほぼ読み込んでしまいました。

 

なんでしょうね、普段はこんなに読めないのに。

 

 

 

年末にネットショップで中古の文庫本を30冊程度買い求めて突入したのですが、その他に積読しているものや図書館で借りてきた本が15冊ほどありましたので、結果としてきょうまでその文庫本に手をつけることは出来ませんでした。

 

「やらなきゃ」といった「逸る気持ち」を持ってしまいますと、どうにも動きが鈍くなります。

同じように録画した番組を年末年始でたっぷり観ようと思っていたのですが、フタを開けてみましたらさほど消化することはなく(笑)、今もちまちまと消化中です。

 

 

先ほどお風呂の中でそんなことを考えいましたら、ひとつの仮説が浮かびました。

 

それは「ひょっとして、気持ちが邪魔してる?」ということ。

 

 

というのも、学校に通っていたときの「宿題」のことを思い出したんですね。

夏休みとか冬休みといった長期の休みに入りますと、宿題が出ます。

毎日コツコツやっていれば問題ないレベルの「はず」なのですが、お決まりのようにぎりぎりまでやらず、最後のほうで必死になるという経験をしてきました(笑)。

「やらなきゃな」とか「まだ日にちがあるから」と、あれこれと考えてみたり、気にはしてるんだよという気持ちを見せてみたり(誰にという感じですが)、一応のモーションはするものの、手をつけないので問題解決にはなりません。先延ばしの典型的なケースです。

 

本の積読も、録画したビデオも、「すぐにやる必要はない」ものだからなのか、頭や子心の中ではいろんなことを巡らせては結局何もしないで終わります。書いていて気がつきましたが、これはがらくた整理の話になっちゃいますね。そうなると話は早いです。

 

「何かをしよう」とか、「何かをしたい」といった、行動を起こす際に入る邪魔は、自分自身の「思考」であり、「気持ち」であることを理解しなくてはなりません。

 

それは何も「がらくた整理」だけに限りません。人間関係もそうですし、今抱えている仕事にも当てはまります。

 

 

邪魔が入るとき、わたしたちは結構原因を「自分ではない他の存在」のせいにします。

それって、結局「わたしは間違ってない」という確証のないものです。

あとは間違った認識がそうさせています。

いまの時代は切り貼りされた事実がかなり多く流布されていますから、人の言葉や映像、そして考えではなく思想に流されやすくなっていると感じています。

 

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そして実は、思考とか気持ちとかに縛られない状態のほうが、物事の手をつけやすいという感覚があります。

 

要するに、ごちゃごちゃ考えずにやっちゃいなよ、ということ。

想うんですよね。「さっさとやっておけばよかった」って。

想うと同時に、実感としてもそれはやってくるものです。

 

 

 

考えることも、気持ちを起こす、または確認することも大事なことなのですが、どうやら現代人はそういったことに「固執」しているのではとも感じています。書いている本人にもそれは当てはまりますが、そこで「しょうがない」で片づけるのではなく、「ではどうすればいいのだろう」と一歩踏み込むことが大切です。

 

 

偉そうなことを言ってしまってますけどね 汗

鍛錬しなきゃな、と反省した1日でした。