よく
「どっちがいいんでしょうかねぇ」
と質問されることがあります。
それは
仕事のこととか
恋愛のこととか
これからのこととか
いろんなシーンにおいて聞かれます。
そのように聞くということは、比べていたり、どちらが「善い」のかを考えているからなんだと思います。
じゃあ、ほんとうに片方が良くて、片方が悪いのか?と言われれば、そうではないと近年の経験や体験からお話しすることが多くなりました。
これは昨日の話にも通じるものなのですが、結局どちらを選んでもいいのだという考えでいます。あとは、「自分はどうなりたいか」といった目標に沿った選択をするだけなのです。
そこに世間的な背景や独自の理由などを織り交ぜてしまっているだけだと感じています。
人は無意識に「どっちがいいんだろう」と考えてしまいます。
それはもう癖であり、習慣になっています。
その癖や習慣を疑ったことはあるでしょうか?
いまある自分の癖や習慣を、疑わずに来てはいないでしょうか?
何の理由もなしだというのであれば、いちど外のものごとにではなく、自身のものごとについて考える時間を設けてみてください。
人生と言う時間から見ればその「岐路」は大きなものに見えますが、スピリチュアルの視点から見る「大いなる旅」の視点から見れば、ささいなことにしかすぎません。
大筋は決まっています。大きく逸れることはないです。
そこに行くまでの行程を、自身で選んでいるだけのことなのではないかと思っています。
どっちがいいか?と聞くのをやめてみることは大きなことです。
選び方を変えるというか、比べるやりかたを別のやり方に変えてみると、世界が変わって見えるかもしれませんね。
そんなことを考えながら、喫茶ホーラクから帰ってきた、荒天を迎える前の静けさが漂う夜の八雲町でした。