先週金曜日、ありがたいことに送別会を行っていただきました。
それまでは聞いていたところ、送別会は行ったことがなかったらしいのですが、今年度は農林課の参事が期間満了のため道庁に戻られるということもあり、ぼくの送別会も(どうやら一緒に)行っていただけることになったようです。
あらまぁと思いながらも、そのご厚意に甘えることにしました。
協力隊という立場で飲み会を行う場合、「産業フロア」という名称で行われることが多いです。この場合、ぼくが所属する商工観光労政課と、農林課及び水産課を指します。つまりは大所帯での催しとなりまして、まぁこれがけっこうにぎわいます。
会場ではぼくが農林課の参事の隣に座り、挨拶もその順番で行いました。
まぁ、緊張とか感極まったとかで、言わなければならない感謝ですとか、そういったセリフがすべて吹っ飛びましたが(滝汗)
まさか、送別会を行っていただける(ついでとはいえ)とは思ってもみませんでした。
少なくとも行政は年度末です。その時期にこういった催しを行うことは、仕事の時間を割いてということになります。ただただ頭が下がる思いです。感謝しかありません。
挨拶の場ではこれまでとこれからとをお話させていただきましたが、八雲町の地域おこし協力隊という立ち位置は、やりたかったことにピタリとはまる位置づけであったように思います。
街のにぎわいも、担い手の確保も、それひとつだけを目指したとしてもなかなか結果が出ないものだと考えるようになりました。
そして加えて思ったことは、他の要素が加わることで、自分が受け持っている分野というものの広がりを見せることができるのではということでした。
もちろん区割りと言いますか、それぞれの範疇というのは必要になります。
肝心なのはそこからで、どのように動いて見せるかということになります。
ひとりが色んな人を動かすのか、それとも自分だけ動くのか。
それだけでも大きく違ってきます。
魅せるという表現がありますが、表面でも裏方でも、この行動は必要になります。
だって、「見ている人は見ている」と思いますよ?
この1年間、ほんとうに沢山のことを学ばせていただきました。
助言もたくさんいただきました。
励ましもたくさんいただきました。
叱責もたくさんいただきました。
自分の理解が及ばず、結果として無駄な時間も過ごしました。
周りからどう見えたかはわかりませんが、はっきりと言えることは
「いのちを削ってやってきた」
という一言に尽きます。
その陰で怖れていたのが「燃え尽きる」というもの。
いつ、どのタイミングで訪れるかわかりません。
そして、それが訪れたときは自分がどうなるかもわからないのです。
燃え尽きたら、やめればいいか。
という考えもあると思います。
でもぼくの場合その選択肢はありませんでした。
そもそも「燃え尽きる」という考えは、終ぞ起きることはありませんでした。
八雲町に来て、八雲町地域おこし協力隊として活動して、ぼくや家人以外の第三者が一様に驚いたことがありました。
それは、ぼくの「元気な姿」だったそうです。
札幌在住時は、そうではなかったようですね(笑)。
自分の感覚としては、「一度もダウンすることがなくやってくることができた」程度にしか感じなかったのですが、周りの評判はその上をいくものでした。
「元気でびっくりした」「札幌のときよりも元気で安心した」
その要因は何かはわかりませんが、究極の片違えはどうやらいい方向に向いたようです。
その結果、ぼくは八雲町で就職という「結果」を残しました。
その他、協力隊として、個人としてもやるべきこと、やりたいことは最低限出来たように思います。
宴会は午後6時半に始まり、なんと午後10時まで会場を使わせていただきました。
むつごろうさん、ありがとうございます。
その後散会となり、一部は2次会へ流れていったようですが、ぼくは課長に一言挨拶するために残りました。が、そのまま飲むことに(汗)
結局は酔いが極限まで回って途中で失礼するのですが、その時課長から言われた言葉は
「俺はお前のことが嫌いだ。でも結果(就職と定住)は残したからな・・・」
というものでした(語尾は聞こえず)。
これで最後だからというわけではないのですが、この言葉を聞けたことがなんだかうれしく思いました。
「お前のことが嫌いだ」
これが学生時代であれば、面と向かって言っていたでしょう。が、大人になりますとそうもいかなくなります。言葉ではなく態度に出て、その人の知らないところで行動に出ます。そのため「どうやら嫌われているらしい」という感覚になるのですが、確証はありません。
ぼくの場合、やはり理解が足りないために双方の溝を広げてしまった時間があったため、このような評価になっても仕方がないと思います。そのうえで一緒に仕事をしていただいたことには、本当に感謝ですし、頭が上がりません。だって、嫌いでも理解を得られなければ、ぼくの仕事は何もかたちになりませんから。
ぼくのことを嫌いだと思っている人は、実はたくさんいます。
しかし、声に出して言う人は一部です。
大体の人は、表現を変えます。
まるで「嫌い」という表現が、「自分をも汚す呪いのようなもの」だと感じているようです。
それって「自分はクリーン」だと主張したいがための方便でしかないように思っていました。単純に言って、それって違うよね?という感じです。
だから、嫌われていたとしても、むかつく野郎だったとしても、ちゃんと挨拶をしてくれ、ぼくがやりたい仕事に理解を示してくれた方々に最敬礼です。表現はおかしいですが、嫌われていて良かったと思います。
実は、会の終わり前に、お花をいただきました。
これは、予想もしていませんでした(いや、普通なのかも 汗)。
お花をいただくほどの人間じゃないのですがと自虐で想いながら、この気持ちをありがたくいただきました。
お花を渡してくれたのは、同じく1年目の女性職員。
自分の仕事も不慣れな中で、協力隊を支えてくれた、頼りになる若き逸材です。
この方からお花をいただいたことが、とてもうれしく思いました。
残り期間、しっかりと務めを果たそうと思います。
お店から出て3歩目に
大粒の涙が降ってきた
途端に視界がぼやけ
静かな喧騒に嗚咽が染まっていった
どうして涙が出たんだろう
どうして泣いているんだろう
布団に倒れ込むまで
考える余裕は一切なかった
ただただ
あらゆることに感謝したくてこの夜は泣いていたのだと思う
涙腺が緩くなったことを言い訳に
独りで泪酒を酌み交わした、寒さがまだ厳しい夜だった