地域おこし協力隊としての業務は先週末で終わり、並行して進めておりました引越の準備と清掃を行っています。
これは土曜日のイベント前の画(実は出店してました)。
不慣れながらも、手淹れ珈琲を実施させていただきました。
やはり、自宅で淹れるのとは訳が違います。
引っ越し日は3月26日で、部屋の明け渡しは3月27日になります。
八雲町に移住してきましたのが、平成30年の3月30日金曜日。
フタを開けてみましたら、1年住んでいませんでした。
もう大方のモノは引っ越し先に運んでおり、大型家電&家具などを残すのみです。
先週末は雪が降り、そして積雪を確認したのですが、月曜日になりますとすっかりとその姿は見えなくなっていました。
住んでいるアパートのゴミステーションはいろんな種別のゴミ袋で溢れていました。
これも年度末ならではの光景です。年末年始でもこうはなっていませんでした。
協力隊でいる間、いろんんさ産業の現場を見せていただきました。
漁業や農業を経験するタイミングは逃したのですが、畜産と林業、そしてサービス業を経験することになりました。それだけでも自分の中で得るものはとても大きかったと思います。
経験した先はいずれも町内で、畜産は北里大学、林業は日本大学の学生が研修に来ていた際に森林組合や八雲産業での仕事を見学、そしてサービス業はハイウェイオアシスになっております噴火湾パノラマパークにある丘の駅。
いずれも違う業種ではありましたが、とても勉強になりましたし、純粋に面白みも感じました。
その中で運よく就業への話を進めることが出来たところがあり、そこは「北里大学」と言います。創立者が北里柴三郎であることは有名ですね。
八雲町に実は北里大学の牧場がありまして、その牧場を開いてからゆうに40年以上の歳月が経過しているそうです。なかなか面白い試みを行っているところなのですが、かんたんに言いますとここの職員、つまりは大学職員として採用となったため、3月末で協力隊を退任することとなったのです。
協力隊として活動できる期間は最長で3年間となっており、その先は就業または起業であることが多いです。それはもちろん、その土地にそのままいてもらうことを前提としての話になるのですが、定着するのは現実問題として難しいものがあります。やはり郷里に戻る人もいれば、違う地域の協力隊になったりと、それぞれ進路はことなる訳です。ぼくの場合は本当に運よく(ということばを使っていいものか)就職先が見つかり、家人とともに同じ仕事に就くという好機を手に入れました。加えて、現在住んでいる八雲町の市街地から郊外に引っ越しをすることになりました。市街地よりも、極端に自然が近い場所に引っ越しをします。
この道を通るのも、あと1度あるかどうかです。
今週のブログ更新ですが、移転及び移転先の環境整備により手動での更新が難しい場合があります。
そのため予めではありますが、最近はコルトレーンのCD紹介となっている「整理棚からひとつかみ」を掲載します。こちらも残り10枚程度にまでなりましたので、移転先での更新やブログそのものの運営など、少し考えていきたいと思います。
午後から風が強くなってきた北海道八雲町。
1年間のありがとうを込めて、残り時間を過ごしたいと思います。