つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

ああそうかっていう現実を感じながら過ごす新しい日々に漬かりいつの間にかそんな現実の痛みも忘れていくはずだ。

 


青森県に出張中、1本のメールが流れてきていました。

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どんな内容かと言いますと、八雲町地域おこし協力隊の在任中は公式SNSにおける管理権利というものが付与されていました。かんたんに言いますと、記事の投稿やイベントの作成などを行うことができるというものです。一応、役場決裁のもと更新しているのが八雲町地域おこし協力隊のSNSなわけです。

 

ちなみにSNSはフェイスブックのほかツイッター、インスタグラムがありまして、その他はアメーバブログをもっております。

 

ぼくの場合ですが、アメブロの記事投稿(これはある意味フリー)とフェイスブックの管理権利を持っていました。

 

 

 

 

メールの内容は、協力隊の退任にあたり、その管理権利を削除しましたよというものでした。

 

 まぁ、当たり前っちゃあアタリマエなんですよね。

 

その期間だけ権限を付与しますというのは、普通の会社でもあることです。

ただ、その考えが抜けていました。次の仕事のことも満足にわかっていない中で、しかもいきなり出張(辞令交付のためとはいえ)だったので、立つ鳥が跡を濁したかどうかなんてことすらも考える余裕がなかったのです。

 

そのため、個人的出来事としては少しショッキングでした。

 

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気づけば、グループラインも外されていました。

こういった「変化」は常々経験してきたはずなのですが、なんだか悲しい (汗)

 

それだけ、心残りがあるということなのでしょうか。

きっと、あるんでしょうね 失笑。

 

 

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何度も語ってしまいますが、その背景には「移住」があるからだと思います。

札幌を捨てて、というのは表現上あまりよろしくはないですが、ぼく個人の考えとしては、札幌での生活を「捨て」ました。

 

そのため、移住先での生活に懸ける気持ちがそれ相応に強かったということができます。

 

自分なりにという表現に留まってしまいますが、去年の1年間は動きました。

それまで体調が整わない時期があったことなどどこ吹く風といった具合に、パワフルそしてフレキシブルに動きました。活動していて、「自分はまだこんなに動くことができるのか」と思ったほどです。

 

活動の途中からそんなことをじわじわと実感しながら生活していましたが、それもいつしか普通になっていきました。

 

 

 

そして、今日があります。

 

タイトルに書いたようなことは、どのようなシーンにも当てはまります。

それが決して「都合のいい」ことなのではなく、しっかりと生きて経験を積んでいったからこそ、そのような恩恵がもたらされるのだと思いたいです。

 

ただ悔しいのは、やってもやらなくても同じ現象は起きます。

要するに、楽は出来てしまいます。

楽をして得た結果を、ああだこうだと言ってご満悦になるのは、あまり歓迎できるものではありません。

 

 

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もう、見ることのない光景。

 

 

これから、協力隊時代とは比べ物にならないほどの失敗を繰り返すと思います。

その痛みを必ず感じて味わったうえで、成長というものにつなげていくことができたらいいなと感じた、新幹線の車中の出来事でした。