つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

おー、そうかそうか。

ほぼ毎日牧場での作業となっております。

 

 

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幸いなことに毎日が新鮮で、楽しく仕事をさせていただいております。

 

かといって、楽な仕事は一切ありません。

体力勝負の仕事であり、力が必要な仕事でもあります。

そのほかには、「強さ」も必要だということがなんとなくわかってきました。

 

 

 

夏時間の勤務時間は、朝8時30分から夕方17時30分までとなっており、休憩は1時間ですが、残業も発生します。先日のお産のときなどは残業のいい例で、いきもの相手の仕事の大変さを痛感させられます。

 

 つくづく思うのは、こういった分野の仕事(おそらく第1次産業で間違いないかと)は、何かを突き詰めるにはもってこいの分野ではないかなと考えました。

 

理由なのですが、材料が目の前にしかないということが大きな要因です。もちろん、ツールを駆使すればいろんな情報が入ってきますが、現場で感じることが大きな学びになることは言うまでもなく、何かに頼ることなく考え・思い・導く努力をすることが出来るのではないかと考えたのです。

 

表現としてはアレなんですが、この分野の仕事は立派な瞑想ですよ。

瞑想しやすい環境にあるのではないかというのが、現在の心境です。

雑念に囚われないといいますか、雑念が入ると怪我をする恐れがありますので、集中を持続させなければなりません。そこはぼくが経験したヴィパッサナー瞑想に共通するものがあります。

 

 

 

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 テレビを見る時間が減ったのも、アナログな仕事に従事しているのも、実はこれが最先端のスピリチュアルなのかな(あくまでも個人の見解です)という気でおります。

 

媒体がなくてもできちゃうんだ。

そうかそうかと思ってしまいました。

 

 

きょうはまた牛の出産の手伝いに残業をしてまいりました。

牛のお産にも逆子があるようで、分娩の介助となった次第です。

 

こうして毎日、いのちを生きているようすを間近で触れながら生活しております。

 

 

 

 

何度も書いてしまっていますが、本当にいろいろと変わりました。

戸惑いも多くあり、望んできたのはいいけどやっていけるのか?と考えたこともありました。迷いは常にありますが、まずは目の前の日々を精一杯生きて1年間を過ごさないと何もわかることはないと思うようになりました。そして今でも、本気で生きていかなくてはこの土地に腰を据えることなんて到底無理だ、とも思っています。仕事しっぱなしは体に良くないですが、少なくとも仕事をしている時間帯は、自分もいのちをしっかりと使っていこうと肝に銘じるという自然な流れを感じました。

 

 

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これからの1年間を絶対に忘れないためにも、この1年間を力尽きる寸前まで、いのちをかけていこうと決めましたのでした。