怒りの原因に潜ったとき
表面でやりとりしていることとは別のことが浮かんできた
どうやら怒りのマッチは
表面の劇的なことにのみ反応するようにできているようだ
それは本心を見られたくないかのように
自分自身に責任がないかのように
じっと身を隠している
周りを見渡せば
相手の物事にたいしてああだこうだと怒りをぶちまけ
さも
自分自身は正解の塊でしかないという姿勢を取る一般人や著名人がいる
そこに倫理や道徳といったものは一度省いてもらいたい
相手がどうとか言う前に
その人自身の挙動を振り返って見てもらいたい
どうやら
わたしたちは過ちや自身の弱みを把握されたくないようだということに気づく
さんざんふて寝して
珈琲を飲みながらパソコン触る
そんなときにふと
本心が見えてくると感じたならば
まだ救いはあると思ってもいいのかもしれない
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見放されないようにしていこう