つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

アップデートは。

今週の八雲町は比較的天気がよい予報が出ています。

学生実習の最終組ですが、好天に恵まれての学びになります。

「持ってるなぁ~」というのが正直なところで、暑すぎず寒すぎずという環境がこの実習期間にはなかなか整うことがありませんでした。アップダウンの激しかった学生実習期間ですが、最終クールの2日目を迎えてそんなことを思いました。

 

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 学生たちの元気な声がこだましていますが、その声を聴きながら思ったことは、学びを代表格とした刺激によって、日々わたしたちは「アップデート」しているんだなとうことでした。いや、そこまでかしこまって(というが仰々しく)いうことではないのかもしれませんが。

 

というのも、この世界には自分を進化させる人と、自分の周りの進化を期待し、自分は比較的何もしない(もしくは依存する)という構図が出来ているような気がしています。現代は周りの世界がかなり充実していますし、周りに要求すれば高い確率で要求どおりのことが返ってきます。それを勘違いしてしまうケースもありますが、アップデートというのは自分を高めもしますし、とことん下げもするのでは。こうなるともう皮肉でしかありません。

 

 

アップデートをする・しないの自由はあります。しかしその自由も足かせになる可能性は十分に秘めています。足かせを違うものに置き換えることが出来たら、そこまでの不自由は感じないのかもしれません。ただ、だんだんと「自由」という表現が窮屈になってきている感覚があります。これからは自由というよりは、必要に応じてとか、自分の意志で(自己責任ではなく)としたほうがしっくり来るのでは?と思います。

 

 

ぼくの場合ですが、自分自身のアップデートを行う側に立っています。

ただ環境はかなりアナログなので、この表現は適切ではないのかもしれませんが。

 

アップデートは、「悟り」に似ていると思います。

悟りはその1度だけで終わりではないので、何度も繰り返していく必要があります。

時代や環境の変化についていくには、常に更新を行っていかなくてはなりません。

 

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悟りは人の数だけあります。

いまこの場所では、この靴の数だけ悟りがあるといってもいいです。

普段怒起こることのない化学反応が、この場所で起きています。

アップデートは何も特別なものが条件となって起こるものではないのですが、こういった場所で起こるアップデートも、また特別なものになるのではと思います。

 

 

明日はどんな1日になるでしょうか。

明日はどこまで進むことができるでしょうか。

そんなことにわくわくし、実感する時間を少しでも長くしたいと思います。