つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

今後。

昨日の木育のイベントに参加して、感じたことを書きます。

 

 

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 木育とは食育や知育などと同じようなもので、これからの時代に沿った新たな提案だと思っています。現在はこれを「経済」にまでつなげることはなかなかできていませんが、どこかでその「枠」が外れることを祈っています。

 

それはどうしてか、と言いますと、社会事業ではどうしても資金力等に制限がかかり、また体力も余裕がないです。続けていきたいイベントほど、この体力が確保できずに縮小または開催を取りやめるという流れになっています。内容としては良いものがあるにも関わらず、です。

 

ではさっさと経済につなげればいいではないか、という声が聞こえてきそうですが、言うほど簡単ではありません。八雲町に来て思いましたが、「営利・非営利」の制限が強くかかります。営利目的ですとその場所を利用することが出来ないといったもので、非営利でしたら公共の施設を中心とした、町内でも立地の良いところを借りることが出来たりします。では営利目的と設定した場合ですが、民間施設ではどうなのでしょうか。民間施設でそこまで大きく、適度な広さを持った施設はそうありません。都市部にでしたらあるでしょうが、本来の目的とは離れた展開になる可能性が出てきます。なかなかマッチした場所を見つけるのには苦労しそうです。

 

 

 

 

個人の経験からですが、社会教育をはじめとした各種のイベントには、経済を混ぜ込む必要があります。これは今後必須要件になってくるでしょう。そうなった場合、ひとつの部署で進められる範疇を越えますから、複数の組織で物事を進めていくことがベースになってきます。

 

しかしそれがうまく機能しない場合もあり、現状では諸刃の剣になります。

 

経済と言いますと、ごくかんたんに言えば「名産品開発」「企業等誘致」「地場産業の発展」といったものが該当します。社会事業に経済をくっつけるのは、前例がないとか、収益が見込めないとか、規則に抵触するといった理由でだいたいがボツになってしまうのです。

 

これでは、マチの経済は発展しません。

もう少し突っ込んで言えば、中途半端な発展で終わってしまいます。

 

 

お祭りや産業イベントではそれなりのお金が動きますが、それだけでは人間飽きてしまいます。そこに新たなエッセンスとして社会事業を組み込めば、他の市町村とはひと味違った催しを行うことが出来ます。

 

 

 

ぼくが以前企画し、実行した木育のイベントは、そのような構図をイメージしていました。

主軸のイベントは基本無料、お金が発生しても材料費程度の非営利事業。

しかしその場所には人が集まるため、区画分けをしてフードコート(出店)を別途用意する。

そうすることで、長時間その場所に滞在できる理由が産まれ、利益が産まれる可能性も上昇します。ほんとにざっとのイメージではありますが、賑わいを生むことにつながるのではと本気で考えていました。ただそれもいろんな制限があり、結果非営利のみの事業となりましたが、それでもいい経験となりました。

 

 

今後も、木育のイベントには携わっていきますが、イベント以外の時間はどのように過ごせばいいか?とふと考えてしまいました。いろんなところに顔を出して交流して・・・というのもいいのですが、いまなんとなく考えているのは「隠居」。笑。

あまり人前に出ることはせず、籠って何かをコツコツやるのもいいのではないか・・・と思うようになってきました。自分から前に出るのもこのタイミングでどうなんだろうと考えることもあるので、しばらくはお声がけをもらってから一歩踏み出すことにしたほうが良さそうです。なんでもガツガツとしていたら、塩対応されて終わりになるだろうと。

 

 

 

 

元来、人付き合いは好きではありませんでした。

しかしそれが今では、人付き合いを積極的に行う立場となってしまいました。

ただ、住み、働く場所が町の郊外です。

この場所で自分をどのようにしていくかを、今後も含めて考えていきたいと思います。

 

 

死んでいてもおかしくなかったいのちです。

哲学のように、スピリチュアルの如く、没頭してもいいのかもしれないと感じました。