つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

それはぼくの仕事じゃない

仕事をしていますと、多岐に渡る物事を依頼されます。

それは自然な流れだとも言えますし、そうでないとも言えます。

これを最初は喜んでこなしますが、途中から苦痛に変わっていく。

わたしたち人間特有の感覚の様に思います。

 

 

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 誰もが仕事を始めるとき。

その仕事の中で、自分がやりたいことを定めたとき。

そういったときには、その先を見定めていることと思います。

 

 

しかし実際は。

 

なかなかそううまくはいきません。

やりたいことがあるのにも関わらず、まったく関係のないことを中心にやることと定義されたことが無尽蔵に積み上げられます。

それに嫌気がさしてその職を離れていく人もいますが、その人が新しい職場で理想の働き方が出来ているかどうかは、残念ながら知ることが出来ません。

 

 

 

 

仕事をする際、その分野によっては「業務分掌」というかたちで自分に割り当てられた業務範囲というのを明文化されます。

しかし実際にはそれも大まかな記載になっていることもあり、「それにかかわる諸業務」といった表現の拡大解釈で自分が考えているものとはまったく分野が異なった業務を割り当てられるという流れが発生しています。

 

こういった流れが生まれた際にフォローアップ、またはアフターフォローなどがあれば割り当てられた側の人間も納得はしないまでも理解までには到達できるやもしれませんが、単純に「仕事だろ」などと言われてしまいますと、かえって反発を抱きます。子育てのときもそうですが、どうにも大人は理由を一言で表現する癖があるようで、それは相手に対しての理解努力に丸投げしてしまっているということになります。それは単純に悲しみを覚えます。

 

 

 

役職などに代表される「立場」が変わりますと、純粋にやることが増えます。

札幌で働いていた時は、毎日終電近くまで働いていました。

原因は、結局自分に仕事が回ってくる率が高かったから。

それに対して反発はしていませんでしたが、完全にキャパオーバーでした。

 

 

果たして現在はと言いますと、本来イメージしていた仕事の内容とは異なる現実がありました。それに対して戸惑い、憤ることもあります。しかしその反面で思うのは、「なんでもできるようになることは、本当はありがたいこと」なのではないかということでした。

 

この年齢になってなんでもできるというのは理想でしかありませんが、いろんな要件に対して反応が出来ることは、傍目に見ても感心しますし、すごいことだと思います。そしてこれは完全に経験値になりますし、「幅」の問題になってきます。好き嫌いではないですが、何かを理由にして拒絶反応を起こしてしまうのは、勿体ないという気がします。難しい話ですけどね。

 

 

 

 

求人情報や履歴書についても、「特定の能力」を求める文章がどうしても目立ちます。

それはひょっとしたら「建前」なのかもしれません。

実際は、「フットワーク」を求められているのかもしれませんね。

 

 

これからの仕事は、以前とは大きく変貌していくように思います。

そういった意味からも、生き残ることが出来るように。

明日からも頑張りたいと思います。