つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

今年の運勢。

昨年末に申し込み、見事その権利を得た「言霊」が元旦に届きました。

札幌在住時からとてもお世話になっている、沖縄在住の神職である山野本竜規さん。

 

地方に移住してからは実際に逢うことがなくなりましたが、オンラインでもつながることが可能になっており、何かとお世話になっています。

 

言霊も毎年確実に、というものではないため、応募をしたけれど外れた場合は、「そこまで必要ない」というように解釈するようにしています。

 

幸いといいますか、現在のところここ数年言霊をいただく機会を得ることが出来ています。世の中にはいろんな指標がありますが、ぼくの場合はこの言霊を指標にしています(途中めっちゃ忘れるけど)。

 

 

年末には振り返りを行いますが、年始ではどのようなことが書いてあるのか見てみることにしましょう。

 

 

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メインテーマは「正直さ」となりました。

 

シンプルですが、大人になると難しくなるのも事実です。

 

 

開運キーワードは・・・子供心を忘れずに

折り合いをつけるのが難しそうです。

 

 

開運色はライムグリーンとなっていました。

 

 

どんな色でしょう?

 

こんな色でした。

 

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明るい緑、とイメージしておきます。

 

 

文面を読み、何も考えずに思ったことは、自分の中の正直さや子供心を「そのまま」表に出していくことは「危険」だと感じています。個人の経験からになりますが、それを出せば出すほど、離れていくものがあるからです。周りから見てみれば、それは不条理でしかないものに見えるようです。そこを迷いながら現在も生活をしています。この文面を何度か読んでいくうちに、これまでに抱いてきた恐れを大きくしてはいけないと思うようになりました。

 

 

 

 

過去の日記に書いたことですが、ぼくは「札幌から逃げてきた」という感覚が残っています。それは札幌での生活をつに馴染ませることが出来なかったという敗北感のようなものから来ています。社会に出たことで、多くの方から白い目で見られるようになりました。上司として頼られた時期もあり、小さな会社であってもそこそこの実績を残してきましたが、どうにもマイナスのイメージが強く残ってしまいます。それでも頑張って働いてきたのですが、活動の場所を地方に移すことが出来たことで、少し光明が見えてきたような気がしています。

 

とは言っても、今いる場所は町の郊外。

なぜここを選んだかと言いますと、「自分が選んだから」そして「自分が望んだから」。

 

この場所での職を紹介されたとき、純粋に「引き寄せの法則」を感じました。

(今は、この場所に「招かれた」と感じています)

 

 

この場所を基点としたかった理由は何よりも

 

「自分は極力迷惑をかけてはいけない。そのためには自然の中に籠る必要がある。」

 

という、後ろ向きの感情があったからでした。

 

 

札幌在住時に失敗ばかりの生活を送っていて、地方に移住したからといってそれが改善される確証はありません。むしろ気を付けなければならないのです。そのため、人と接するよりも自然と接したほうが、自分の生活としては向上するだろうと考え、それに適した環境に出会うことを願っていたのです。

 

果たしてこの先どうなるかはわかりませんが、少なくとも10年以上はこの地で暮らし、そして生活することになります。そのため、1年1年をどのように過ごすかを札幌在住時より頻繁に考えています。成り行きに任せず、数々のアドバイス等を刻みながら、激動の1年を過ごしていきたいと思います。

 

 

正直さかぁ。。。

 

 

 

 

 

PHILOCOFFEA(フィロコフィア)の福袋を購入しました。【トップスペシャルティだらけの超福袋】

昨年の話になるのですが、お土産にドリップコーヒーをいただいたんです。

当方の仕事の中に食事提供があるのですが、その時に手淹れの珈琲を出したことがきっかけで、利用者の方が是非どうぞと分けてくださいました。

 

話を聞きますと、アジア人初のWORLD BREWERS CUP世界王者とのこと(HP参照)で、かなり評価が高いとのことです。ドリップコーヒーが今まで飲んだことないほどに美味しくてびっくりしたことで、いつか豆を買いたいなぁと考えていたのですがすっかり忘れておりました 笑 今回は家人が思い出したように福袋の話をしたので、細かくWebサイトをチェックし、無事に購入を果たしました。

 

正月2日に無事商品が届きましたので、どのようなものかを見ていきたいと思います。

 

 

 

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商品はクリックポストで届きました。

 

では開封してみます。

 

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クリックポストでの送付になっているので、厚さは3cm以内、重さ1kgまでとなっています。そのため、先に買ったMORIHICO.さんの福袋とはまた違ったスペシャリティを感じる商品になっています。(数日後にサイトをチェックしたら早々に完売となっていました)

 

 

では箱から中身を出してみましょう。

 

 

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袋は全部で5つあり、内容量は多くはありません。

それでいて価格はハイクラスで、贅沢な買い物だと思います。

ただここの珈琲を飲んだ身としては、やはり豆の状態で味わいたいという欲求がありました。

 

 

珈琲を愛する人は、近年増えてきたように思います。

併せてスペシャリストも増えてきたと感じます。

珈琲を取り巻く環境は、大きく変わりました。

 

 

珈琲を淹れ、そしていただく場所は、山の中です。

人よりも牛の数が圧倒的に多く、空が広がっている場所で、アロマを感じています。

こういった場所でいただくことが出来るのも、また縁だと思います。

 

 

それぞれの豆の感想は、後日書いていくことにしようと思います。

 

 

 

フィロコフィアさんのWebサイトはこちらになります

 

philocoffea.com

令和3年1月の読書感想文④ 孔丘(こうきゅう) 宮城谷昌光:著 文藝春秋

お正月休み期間中に読み切ることはできませんでしたが、この作品を手に取ってよかったと思います。

 

 

 

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孔丘(こうきゅう) 宮城谷昌光:著 文藝春秋 八雲町立図書館蔵

 

 

 

時折歴史小説、特に中国歴史小説を好んで読みます。

宮城谷さんは中国歴史小説の第一人者(日本の歴史小説も書かれているはず)です。

最初に読んだ本は「重耳」だったような。

 

 

さてこのお話ですが、孔子のことを書いております。

孔子とはどこか雲の上の人、という印象が私にもあり、その人の生涯など考えたこともありませんでした。この作品は「人間である孔子(孔丘)」の生涯を追求した作品で、これが現代に出てきた意義は大いにあるように思います。

 

 

「失敗がある人」という前置きがつけば、孔子との距離も縮まる気がします。

作品を読み進めていくと、孔丘という人は、「学び続ける人」という印象を持ちます。

しかもその学びには、終わりがないんですよね。

 

 

孔丘の生きざまに感銘し(かなりはしょってますが)、教えを求める人もいれば、「なんだあのうさん臭い奴は」と訝しむ人も出てきます。中には、「あいつは危険だ」と、早い段階での始末(つまりは消すこと)を思案する人も出てきます。最後までそうならなかったのは、周りの支援と、彼に与えられた運命であろうと思います。しかしその人生は順風満帆ではありませんでした。時代の流れに乗って、諸国を渡り歩く生活を余儀なくされていました。

 

そんな中で、孔丘を厚く用いようとする動きが出てきます。

しかしそれもそれぞれの思惑があり、実現とは遠い結果に終わります。

他の人からしたら、孔丘は「完成形」に近い人のはずなのですが、こぞって重用しません。現代はその逆です。現代は「完成形しかその場にいてはいけない」という風潮で満ちています。未熟者は早々に杭を打たれるかの如くです。

 

そして作品の中の孔丘は、こんなことを言っていたと思います。

たとえ話ではありますが、ひとつの事業について、行き詰まったときが来たらそれは見直しが必要な時期である。しかしすぐに撤退する理由にはならない。何が良くなかったのかを考え、修正し、再び展開を起こす。この繰り返しが重要である、と。

 

 

 

見切りは確かに必要ですが、現代の風潮として、事業等の感触が良くなければ

 

「これは既に終わっている」(どうやらオワコンと言うそうです)

 

と、それを切り捨ててしまう動きがあります。

 

となると、切り捨てた以上は、もうそれについては触れないしやらないというのが常であり、戻ることはありません。許されないことだと思います。

 

 

しかし現代であれば、そのようなことを言っていたとしても、再び世間の耳目を集めるようであれば、「今はコレが熱い」と言ってのける流れがあります。

 

それは単純に言えば、事業を展開するものとして、定着していない、と言えます。

 

 

このころに生まれた言葉は、お金や地位以上の価値があると感じています。

 

 

著者の宮城谷さんはあとがきで、参考図書の一部として、

 

孔子伝 白川静:著 中公文庫

孔子 加地信行:著 集英社

 

論語

吉川幸次郎:著 朝日新聞出版

金谷治:著 岩波文庫

貝塚茂樹:著 中公文庫

湯浅邦弘:著 中公新書

 

があるとのこと。こちらにも目を通したくなる。

 

 

最後に文中で、

 

学んだのにそれを実行できないことは病である

 

といったことばがあります。

 

 

実行できないのか、実行しないのかは人それぞれではあります。

貧しさは収入が少ないことを指しますが、本作品ではその貧しさを恥じません。

ここでの優先順位は

 

学 > 富

 

なのです。

 

 

現代はそれとはかけ離れた場所に来てしまいました。

 

 

常に完璧なものを求め続ける世論は正直疲弊していると思います。

謝ろうものならその座から引きずりおろしてやると言わんばかりの諸々が飛んできます。

そこには「失敗は許されない」という土台があります。

 

どのような職場でも失敗はあってはならないものではありますが、皆無ではないはずです。自分が失敗する可能性もあるわけですが、それとこれとは別の話にし、他をその場から蹴落とすことにしか執心していません。

 

もし現代日本に孔丘がいたならば、もうこの国を離れている、と思います。

 

いつまでこの国を続けているのだろうか。

 

 

 

孔丘の生涯に最敬礼をしながらも、この国を変えるには、と思わせた作品でした。

【珈琲豆感想】Marie Pierre(マリピエール) Standard Coffee No.2 Blend Mild 中煎り

MORIHICO.さんの福袋L(1回目の販売分)を購入し、次々と開封しては飲みいただいております。今回開封したのはコチラ。

 

 

 

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Marie Pierre(マリピエール) Standard Coffee No.2 Blend Mild 中煎り 100g

 

 

自分の記憶では、このマリピエールは元々電車通りにある森彦の店舗内にあり(スペースもかなり狭いと記憶)、そこでお菓子を提供していた・・・と思います。

 

それがいつしか独立(という表現もおかしいけど)し、店舗を構えるまでになっていたのは、その味を気に入っていたいちファンとしては嬉しい限りです。

 

ラベルを最初見たときは、もともと森彦で出されているスタンダード豆なのかな?と思いましたが、ラベルデザインがそもそも違うので、この店舗限定で出されている豆と予測します。(ちなみに今回購入の福袋にはNo.1も入っております)

 

 

この珈琲を朝食のお供としていただいたのですが、これがまたいい。

モーニングにふさわしいというか、あらゆるものを邪魔しない味になっていました。

こんなマイルドもなかなかないと思います。気づけば飲み干していたほどです。

それは決してこの豆に「個」がないというものではありません。

周りを引き立てる柔らかさがあります。抱擁のような感覚です。

ケーキであったり焼き菓子であっても、このブレンドはよい引き立て役になると思います。思わずおかわりしたくなる、万人受けの珈琲です。そのため、内容量が100gというのはちょっと・・・という感じがしました(すいません)。

 

あっという間に飲み干してしまいましたので、今度は必ず、実店舗でいただきたいなと思わせた珈琲でした。

 

 

 

福袋購入時の話はコチラ

 

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

令和3年1月の読書感想文③ 歌集 滑走路 萩原慎一郎:著 角川文庫

なんとなく魅かれるものがありまして購入しました。

歌集で映画化???うまくつながりませんでしたが、映画用のシナリオ本もあるようです。

 

 

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歌集 滑走路 萩原慎一郎:著 角川文庫 個人蔵

 

普段は詩集を中心に目を通すことが多く、短歌はあまり見ませんでした。

五七五七七で合計31文字に込められた歌の奥深さを痛感した作品です。

 

歌は全部で295首。圧倒される数の歌です。

 

一首ずつ、かみしめるようにしては読み、そして歌いました。

 

 

こんなにも、余韻が広がるのかと思いました。

 

 

読後の情熱そのままに、セオリー無視で短歌を詠みました。

難しい。けど、面白い。奥深い。

もっと詠みたい。詠もうということになりました。

 

 

あとがきなどを読みますと、歌人は故人となっているようです。

他に作品はなく、出世作が惜しくも最後の作品となってしまいました。

 

 

もっと、詩や歌を突き詰めていこうと思わせてくれた作品です。

令和3年1月の読書感想文② どこかでだれかも食べている オノ・ナツメ:著 文藝春秋

お正月休み中に読んだ本なのですが、砂川市にあるいわた書店を訪れて自選書した際、唯一入れたコミックです。オノ・ナツメさんの名前で説得力を感じました。

 

 

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どこかでだれかも食べている オノ・ナツメ:著 文藝春秋 個人蔵

北海道砂川市・いわた書店にて自選書した一冊

 

 

 

そのときのお話はコチラ

 

 maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 

とても、「食べる」ことに対して考えている時期がありまして(それは今も)、こういうのもいいかなと思って手に取りました。

 

内容は長編ではなくショートで、数ページで1話が終わります。そのため多くのシーン、多くの食べ物が出てきて、環境も形成されてきます。うなずける話もあれば、羨ましいと思う話もあり、気がつけばかなり時間をかけて読んでいました。

 

昨今は「食べる」系のコミックが増えたように思います。とてもいいことだと思ってます。自分が幼少のころは、「ミスター味っ子」や「美味しんぼ」、そして「クッキングパパ」ぐらいしかありませんでした。今はほんとうに豊富なジャンルで出てきてくれるようになりました。

 

食べることは切っても切れないものです。

だったら食べることをもっと楽しく、やさしくしていきたいなと思わせる作品でした。

令和3年1月の読書感想文① ニュータウンクロニクル 中澤日菜子:著 光文社文庫

短いお正月休みの合間に読んだのですが、かつて団地(市営)に住んでいた頃の記憶が瑞々しく蘇りました。

 

 

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ニュータウンクロニクル 中澤日菜子:著 光文社文庫 個人蔵

 

「若葉ニュータウン」という郊外の人工都市を舞台とした短編集。

時代は1971年から始まり、10年の時を刻む毎にその時代の世相を映した話が展開されています。

 

それぞれの時代には背景に象徴されるものがあり、つい自分の頃はどうだったろうかとなぞらえてしまいます。

 

自分も小学校3年の冬から市営団地に住み、そこから20年ほど暮らしました。

その後結婚に合わせて団地(実家)を出ましたが、この若葉ニュータウンのような活気とはまた違った、人がいることの賑やかさがあったように思います。

 

町内会は実際どうだったかわかりませんが、近所づきあいは当然のようにありました。

昨今は近所づきあいなどを避ける傾向がありますが、今ではマンションだけで町内会(自治会と言うかも)が設立される時代です。人付き合いを減らすことはできると思うのですが、皆無にすることは不可能です。当時はそんなに騒がしいことはありませんでしたが、この物語を読んでとても考えさせられました。

 

ひとつの拠点(団地)がある限り、住む人は移り変わります。

そこにある気持ちや思いも、時代とともに変わっていくのか、と。

帯には、「私たちの歴史。」と書かれています。

自分が住んでいたあの団地も、ひとつの歴史であり、その中にいたんだという実感を持たせてくれる作品でした。

【珈琲豆感想】元旦にMORIHICO.のスペシャリティをいただきました。

元旦にですが、ちょうどいいタイミングで次の珈琲豆を開けることが出来ました。

 

 

MORIHICO.さんの福袋(L)を購入していましたが、今回いただいたのはコチラです。

 

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スペシャリティコーヒー「エチオピア・ストロベリー・モカ

容量は100gです。

 

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使用後に慌てて写真を取りましたが、かなりの浅煎りです。

代表的な浅煎りの香りがします。

 

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手に取ってみました。

かなりの小粒です。

以前にも一度いただいたことを思い出しました。

 

 

 

いただいた感想として、すっきりとした酸味が走ります。

とはいえ酸味は強すぎず、果実味を残して引いていきます。

これほどあっさりした豆もそうないと思います。

浅煎りと深煎りとでは、挽いたときの豆の香りもだいぶ変わってきます。

浅煎りの豆をそういただく機会は少ないのですが、こうしていただくと「浅煎りの香りもいいなぁ」と素直に思うことが出来ます。珈琲ってすごいですね。

内容量が100gなのでそう長くは楽しめないのですが。仕方ないのです。なんたってスペシャルな豆ですから。

 

 

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以前札幌のカフェで購入したカップ&ソーサーに注いで。

容量は少ないのですが、デザインが気に入り購入しました。

どこのなにかは忘れてしまったのですが、デッドストック(生産終了)品だそうです。

 

こうして違う珈琲をいただくことが出来るのはありがたいことこのうえないです。

明日から仕事始め。

毎日氷点下10度の世界となっていますが、身体を冷やしすぎないよう、環境に注意を払って生活してこうと思います。

 

 

 

 

福袋の内容はコチラになります

 

 

maruyamabase.hatenablog.jp