つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

代わりがいるというのは幻想か。

北海道新10月28日の1面に「代替えバス鉄道並み困難」との見出しが載りました。

 

北海道新幹線が開通した際には在来線は切り離されるため、鉄道を違う方法で維持していくか、代替えバスで路線を維持するかということで議論がなされていましたが、この記事はそもそも鉄道レベルの運行を維持するのは困難だとの見方が出たのだということを伝えています。

 

区間長万部~小樽で、この区間を3つのバス会社で請け負う案を提示。合計80本ほど運行する案を出していたとのことですが、既に報道にある通り、バス路線はどこも再編を機に路線数の減便や廃止を打っています。それは代替えバス路線に充てるのではなく、そもそも運転手不足のためだと言います。そうなるとこの代替えバスも絵にかいた餅になります。果たして交通インフラはどうなるのでしょうか。

 

 

止まらぬ人手不足

バス会社に限らず、JRも人が不足しているようです。そのため安易に鉄路維持に切り替えることもできないと記事では触れられています。しかしながらどうにかして交通路線は維持したいというのが自治体の主張。効率的な路線編成を会社が側に求めているようですが、それが現実化したとしても、大きな売り上げにつながる行動を求めた側がしなかったら、その体制も早々に崩れるでしょう。言い方は悪いですが、要望をするだけしておいて使いませんでしたでは、企業は救われないのです。

 

 

 

命綱とは何かを考えよう

長万部から小樽までの区間はおよそ140km。実際にこの区間を利用している人はどれくらいいるのかはわかりませんが、その地域によってばらつきはあると思います。体裁としてその路線があるのと、積極的に使われている路線とでは、外からの見方は大きく変わります。命綱という表現もありますが、バスでも鉄道でも使わなければ命綱でもなんでもなくなります。そうしてお荷物にしてしまうのです。交通の便が良いというのは必須条件のように思えますが、利益を考えると何もできなくなると考えています。

そうなるともう、公共化しかありません。

 

 

 

常識を覆さなくてはならない

バスの運転手も、JRに勤める人も、天候等に左右されやすい職業なので、どうしても勤務時間が伸びてしまいがちな印象があります。それでいてそれに見合う給与ではないとすると、離職するのは当然です。

 

現代はそういった「現場」で働く人たちの給与は低く、デスクワークを中心とした人たちの給与が高い印象があります。その中に一部誇張してしまう人もいますが、そのバランスをひっくり返すことはできないのでしょうか。オフィスワークの人たちももちろん社会を動かしています。しかしリアルに社会を動かしているのは、現地(現場)で働いている人たちなのではと思います。

 

これはもう国頼りですが、こういった分野の職業に就く人たちが減ると、行政外交その他諸々に影響を強く残します。インフラの充実が経済にも影響すると考えているので、人気ある職業になるまで、支援をして欲しいなと思います。

厳しい方向へのかじ取り。

北海道新聞10月25日1面に「中央バス 札幌圏1割再編」との見出しが出ました。

昨今報道されているバス路線の再編で、廃止・短縮・減便合わせて約630便の再編を行うと発表しました。ここまでの規模は過去最大で、どこまで影響を及ぼすのかが個人的に注目です。

 

 

 

縮小していくしかない

あちこちのバス会社は、現在再編で縮小の一途を辿っています。

背景には運転手不足と雇用環境にあるようで、どうもすぐに解決する問題ではないようです。

今回の再編は12月のダイヤ改正に伴い行われるようですが、これまで頻繁に走っていたバスの本数が少なくなるとなると、買い物などでバスを利用していた住民の生活スケジュールに影響を及ぼすことは必至です。しかしながら、どうしようもない事態となっています。

 

 

 

戻るものが戻らない

新型コロナの騒ぎで、バス会社だけではなく、多くの会社で人員を減らしてきました。しかしコロナ明けとなった本年、人員が元通りになったのかと言われれば、なっていないというのが現状です。これはバス会社に限らず、多くの分野において人が戻らないという事態に直面しています。「雇用が簡単に打ち切られてしまう」という現実に不信感を抱いた労働者は、就業する分野を変えてでも「継続雇用」が可能な職場を選びます。どんなに元いた職場が活況となっても、二度と戻ることはないでしょう。国は休業に関する保障だけでなく、元いた職場に復帰しやすいような、「元通り」を目指した対策を考えるべきであったのかもしれません。

 

 

 

下支えの人たちに祝福を

社会は色んな人たちの支えで成り立っている一方、そういった分野で働いている人たちを「オワコン」と皮肉るインフルエンサーがいます。これはもっての外で、そのインフルエンサーと自称する人もその下支えの恩恵を受けています。自身の収益のために過激な発言するケースが散見されていますが、このように「差別」ともとれる発言を発信していくことで、インフラを支えていく人たちは如実に減っていきます。これはもう犯罪に等しい行為だと感じています。その自称インフルエンサーは2種免許も持っていないでしょう。そんな人間が遠く離れた場所からさもわかったようにあれこれと解説するのは、正直気持ちのよいものではありません。そういう人たちがオワコンと揶揄した産業で働くべきなのでは?と感じています。

 

インフラを支える人たちには成果報酬というものは存在しないかもしれませんが、それと同等の報酬を支払うべきだと思います。国であれ企業で、そういった人たちを護らないとある日突然、連鎖的に経済が停止します。停止してからは遅いと思うのですが、いかがでしょうか。

新しい風。

北海道新聞10月21日、第4社回面に、「新たな雇用3800人」という見出しが載りました。プロ野球日本ハムファイターズの新本拠地である「北海道ボールパークFビレッジ」が開業したことで、9月末現在であるが約3800人が働いているとの発表がありました。このうち約1000人が北広島市民とのこと。ボールパークは今後も開発が進むため、更なる雇用を期待しているようです。

 

 

 

最終的な目的はどこにあるか

当初はプロ野球チームの安定的な本拠地確保だったと思います。それが札幌ドームで続けばよかったのかもしれませんが、様々な軋轢から本拠地を新たに建設することになりました。これは札幌市・北広島市だけではなく、日本全体が驚いたと思います。

 

そして無事にボールパークが開業しましたが、これに併せて社会が様々な動きを見せています。まさしく呼応するかのようで、相乗効果を狙ったものだと認識しています。

ひとつ大きな拠点が生まれれば、そこが経済の発信基地になります。その「ベース」を基地とした流通が生まれ、周辺は活気づきます。そうなると住宅地のほか、いろんな施設の建設が進みます。再開発の話も持ち上がるかもしれません。大きなうねりを含み、幅広い範囲での「公益」をもたらす土壌を育みます。

 

 

札幌ドームに本拠地を構えていたときも、その思いがあったと思います。

しかしながらどうしても身動きが取れなかった、フットワークが重かったとなると、球団運営としては次のステップを考えざるを得ません。シビアな話でしょうが、経済政策は待ったなしです。北海道日本ハムは、北海道経済を担っている存在なのです。

 

 

 

北広島市だけではなく

周辺地域(札幌市・恵庭市千歳市南幌町・長沼町・栗山町・苫小牧市)にもこの影響は大きく響くことになると思います。生活の中心が変わることで、利用圏内も変わっていきます。そうなると札幌市のような大都市一択ではなくなります。そうなると、地方にも活路は出てきます。

 

昨今元気がなくなってきている各種産業ですが、ひとつの提案として、「ボールパークに何らかの形で携わることができている」ことが誇りとなって、再び盛り上がる日が来ることを願うばかりです。

産業は進化していく。

北海道新聞11月4日、サタデーどうしん欄に、「ウイスキー蒸留所 25年春稼働」という見出しが躍り出ました。

 

場所は苫小牧市。「イチローモルト」で知られるベンチャーウイスキーが建設しています。

 

 

 

ウイスキーと言えば

世界的に見ればサントリーで、北海道でいえばニッカだと思います。

世界も北海道も今では関係ないですね。

 

ニッカは余市に蒸留所があることで知られ、その昔NHK連続テレビ小説にもなりました。その後ウイスキーブームが沸き起こり、ウイスキー原酒不足という事態を招きます。

 

ニッカ創業者の竹鶴政孝サントリーを興した鳥井信治郎について、当時刊行されている本も限られており、その激動の人生を追うことも簡単なことではありませんでした。その後小説をはじめとしたさまざまな本が刊行されることで、両名の為人のいくばくかを知ることが出来るようになります。

 

ただ、ウイスキーのことを知る度に、北海道でウイスキーの蒸留所を造るのは容易ではないことをわかっていました。わかっていただけに、このニュースは「時代が大きく動こうとしている」と実感させるものでした。

 

 

苫小牧市に蒸留所を造ると決めたのは、その土地が持つ「強さ」とのこと。

記事を追うと、「港に近い場所」というのがあった。なるほど。

そして「水」もあると思います。つまりは「風土」です。

北海道内に既にあるs蒸留所を見ていくと、現在は余市と厚岸だと記憶しています。そのどちらも、環境が適していると認識しています。苫小牧で作られるウイスキーがどのようになるか、今から楽しみです。

 

 

 

産業は発展していく

昔では考えられませんでしたが、北海道では各種お酒を造る動きが活発になっています。

 

日本酒は新しい酒蔵が函館・上川・十勝方面に出来ています。

御酒印というツールも加わり、酒蔵は日々賑わっています。

 

ワインの蒸留所も建設ラッシュです。

余市・仁木周辺での整備が大きなニュースになりましたが、函館・北斗辺りでもヴィンヤードがという報道を目にしました。ぶどう栽培の定着に時間がかかるようですが、気候の変化などから近年進出が顕著です。

 

クラフトビールの蒸留所も同様で、「地ビール」という名目がぐんと増えました。今ではお土産の定番になっています。独特な味がウリで、値段は少々高いものの、特別感をもたらしてくれます。

 

 

ひと昔前だと無理だと思われていたものは、現代では実現可能なものになっています。

 

苫小牧市で作られるウイスキーですが、最初は国産原料と輸入原料を用いて蒸留されるものの、その後生まれる「苫小牧で生まれた原酒」を用いたウイスキーの開発を想定しているとのこと。夢が広がるばかりです。

 

しかしながらここでの商品化は2028年以降。すぐに結果は出ない。

すぐに結果を求める風潮とは真逆のものだが、時間をかけてもたらされる唯一無二の結果は、すぐに出る結果とは比べ物にならないものと思っています。

性善説が喰われてゆく。

北海道新聞10月23日の第1社会面に、「無人販売店 相次ぐ窃盗」という見出しが載りました。昨今急展開を見せている無人販売店ですが、そのシステムを悪用して窃盗が繰り返されているというものです。

 

無人販売店のきっかけは新型コロナウイルスによる対面販売・接客の課題解消を目指して登場。その後急激に普及しています。よく聞くのは餃子の無人販売店。自動販売機とは異なるシステムで商売を行っています。

 

 

しかしながらここから無人販売店を利用した窃盗が度々発生。

ワイドショーや新聞報道等でも触れており、記事内でも「件数は増える一方」だという。どうしてこうなったのでしょうか。

 

 

 

性善説が踏みにじられる

ひとつの要因はやはり「貧困」にあります。これは今に限った話ではなく継続的にある問題ですが、コロナ渦になって収入に大きな変化があった人は少なくないはずです。そうなるとどうしても、商品を買わずに商品を持ち出す行為を想定してしまいます。店舗内に人がいなければ好都合と考えているかもしれません。防犯カメラがあっても、その方向に顔などを向けなければ身元が割れることがないと踏んでいるフシがあります。

 

こうなってしまうと、倫理や道徳が無視され、「自己利益」のみが重視される傾向が強まります。それは昨今問題になっているインフルエンサーの問題行動による収益の確保と共通するものがあります。

 

つまりは「自分への利益のためなら他者が被る損害は必要範囲内」と考えているということで、極論を書けば「金のために人は人心を踏みにじる」ということになります。

 

 

 

産業の委縮と最後の逃げ道

窃盗を代表する、「適正な取引」を経ずに商品を横取りしようとする行動は、産業の委縮を招きます。つまりは、「お店を開いても損失ばかり」という流れです。そういった「自分勝手な行動」が続くと、路面店が次々に姿を消していくでしょう。ひょっとするとコンビニもその対象になるかもしれません。そうなると最後は「オンライン」での商業展開になってしまいます。そうなると「買う」しかなくなります。不良品だのとクレームをつける顧客は一定数出てくると予想しますが、発送前の検品が徹底化され、履歴がデータとして残るので、目に余る行為をする客はで利用不可措置を受けるでしょう。そうしてどんどん利用可能範囲を狭めていきます。当人は今を生きるために必死なのかもしれませんが、その方向を考えるべきです。その浅はかな行動が、今日の日本の衰退の一部を担っているという事実を。

 

 

 

お金は薬であり毒

物品の交換手段として用いられているお金は、生きていくうえでは必要です。

だからと言って、倫理や道徳を無意味と考えるのは違います。

自身にお金がなくなったとき、残るには形には見えない倫理や道徳、つまりは精神になります。もしかしたら、その精神で生き永らえることができるかもしれないのです。それを「放棄」してしまっている場合は、行きつくところは自ずと決まってしまいます。

 

お金はときに薬になり、毒になります。

お金と人間の立ち位置、距離感を意識して、人としての矜持を保つ。

今は苦しいかもしれませんが、打開策はある。

相手を慮る行動こそが、日本を美しくし、反映させるのかもしれません。

切実な事情と現実がある。

北海道新聞10月24日の第2社会面に、「75歳以上の免許返納停滞」との記事が掲載されました。2018年以降最小ペースということです。

 

やはり車は便利

年々、免許返納の動きが鈍ってきているようです。

テレビをつければ高齢ドライバーによる事故の報道は数多く起きていますが、一方で現実問題としては、地方を中心に通院や買い物の移動手段としての車は根強くあり、免許返納を考えてはいるが返納までには至っていないようです。

 

 

公共インフラも細っている

別報道になりますが、これからバスの本数が減っていくという報道を耳にしました。従業員の数が足りないのと、利用者数の減少によるものだそうです。都市間高速バスや普段使いのバスなども対象になっています。これは多くのバス会社で実行されますが、そうなると問題となるのは、免許を返納したはいいものの、バスの本数が減る、または路線が廃止されることにより、一気に不便になることです。実証実験として幾つかの解決策を試行している自治体はありますが、導入はまだ先です。こうした不安ばかり見える報道が流れますと、ますます免許返納の動きは停滞するものと思われます。

 

 

 

縮小か、それとも

高齢化に伴い、なんとなく経済が「縮小」していっているイメージを持ちます。

それは高度経済成長が頂点に達し、下降していることを意味します。

これからも高齢者は多くなりますが、人口全体の何割まで行けば、社会の構図は大きく変わるのでしょうか。

 

いくつかのサービスは縮小を余儀なくされると思います。そうしますと経済が滞ります。再び活気を起こすためにはどうすればよいのか。そういった議論がずっと続くことでしょう。最適解はあるようでないものとみています。いずれにせよ、優しい社会が訪れてくれることを期待するしかないのかもしれません。

開発と保護は相容れないのか。

北海道新聞10月15日の1面に イトウ「聖域」風力59基との見出しが出ました。

猿払川周辺に風力発電の風車を建設する事業計画が浮上したとのことで、懸念の声が上がっています。

 

こういう構図は小樽市方面でも起きており、環境に対する意識が向上しているとともに、懸念ばかりで開発が進んでいかないというジレンマを抱えています。

 

 

今回の猿払に関しては、稀少な魚である「イトウ」の生息地であることから余計に環境団体などの懸念を刺激したと言えます。北海道は手つかずの自然が魅力です。それを見たくていらっしゃる旅行者も多くいます。そういった環境の中で発電施設を造るということはどういうことなのかを考えると、遠い未来北海道は自然の宝庫とは言えなくなる可能性が高まってきます。

 

 

 

開発は環境変化を及ぼす

これはどう見ても確定なんだと思います。電力が足りない、水が足りないといって事業者は公共インフラを整えますが、少なからず自然に手を入れることになります。手を入れることにより、自然の生態系にどう影響を及ぼすのか、または及ぼさなないのかは「不透明」だと認識していますが、現在の論理としては、「何もしない=影響を及ぼさない」というものであるように見えます。つまりは何もしてくれるなということなのですが、その反面、わたしたちの電気の使用量は増えて行っています。ではどうやって電力をはじめとした公共インフラを整えていけばよいのか、新聞記事内には深く掘り下げた文言を見つけることはできませんでした。ということは、言葉は悪いですが、「懸念」だけ表明して、改善策は事業者に丸投げ、というようにとることもできます。

 

そんなことは環境団体じゃなくても出来るんですよ。

 

 

まもるだけでは変わらない

現代は凄く保護活動が強くなっています。しかしながら資金力は思うほどあるわけではないので、活動は限定的と思えます。そんな中、今ある種が滅んでいかないよう、率先した活動をされていると認識しています。

 

保護活動は同時に、絶滅が危惧される状態からの脱却を目指す活動をしています。

そうしないことには活動の意味がないからで、「静かに見守る」では限界があります。

生態系は自然環境にも大きく影響していきます。生態系が変わることは、わたしたちの生活にも大きく影響していくことだと言えます。別件ですが、最近騒がれている熊や鹿の市街地での目撃は頻発に起きていることがいい例になっています。保護の定義は「種を減らさせない」というようなものとイメージしていますが、逆に多すぎる場合はどうするのか、そういった意味での「保護」にも今後は注目です。

 

 

 

日本は「聖域」の国である

北海道に限らず、日本は自然環境が溢れる「聖域」の国だと感じています。

その中で、経済成長を支えるがために、様々な開発が日々行われています。

保護はダメだとは言いませんが、現時点での保護は、この開発を遅らせ、または一時停止させ、「経済を停滞」させることに確実につながることを意識しなくてはなりません。

 

日本は高度経済成長を経て先進国の仲間入りを果たしましたが、開発ばかりでメンテナンスを少々疎かにしてしまいました。今後今あるインフラの更新を迎え、それを機会とした開発が進められていくのではと想像しています。電気ガス水道などなくても生活できるという人は一定数いますが、先人と比べて私たちには生活力がありません。もはや公共インフラは必須のもので、絶やしてはダメなものになっています。そんな中で、こんなもの必要ないと吹聴するのはいただけません。文明は効果的に使うべきではと思うのです。

 

 

今後、高齢化等も進み、この環境団体も満足に活動できなくなるタイミングが出てくるものと思います。そうなった場合、誰かが手を差し伸べてくれるのか?それとも行政等に「責任だ」と言いながら押し付けるのか?自然保護に対する考え方のラインを統一していかないと、今後は混乱ばかりなのかなと思いながら記事を読んでいました。

2023年10月、御酒印集めの旅(道東篇)②

帯広市にある碧雲蔵を訪ねた次の日、釧路市にある「福司(ふくつかさ)」を訪ねました。

 

www.fukutsukasa.jp

 

駐車場がないため、近くにいる従業員さんに確認して停めました。

この時は車庫前に停めさせてもらっています。

 

 

さて御酒印です。

御酒印をもらう条件は特にありませんでした(御酒の購入が条件)。

 

そして購入したお酒は以下になります。

 

拾八(じゅうはち) 秘蔵酒

 

蔵元限定 霧想雫(むそうだ) 吟醸酒

 

福司 純米吟醸

 

YONAGA 吟醸酒

 

既に飲んでいるお酒がありますが、すっきりして飲みやすいです。

そして心地よく酔えます。

 

これで道東方面の酒蔵を無事に回ることが出来ました。

残るは道南函館の酒蔵を残すのみとなりました。

 

 

毎年この時期に酒蔵を訪れているので、冬の間に呑む日本酒をここぞとばかりに購入しています。

昨年は雪解け後もお酒が残っていましたが、今年はどうなるでしょうか。

様々な味に舌鼓を打ちたいと思います。