つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

わるくないよ。

「自分が悪い」。

 

 

そう決め込んでしまう場面は、生きている間には何度もあります。

 

「〇〇となったのはわたしのせいだ。だからわたしが悪い」。

 

こういう仕組み、または方程式のようなものが、この世界にはふわりと浮いています。

それを自覚してしまう人や、押し付ける人など、良し悪しを明確にしたがる傾向にどうもあるようです。

 

 

 

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しかしよく考えてみると、「悪くない」とされるものがいくつも出てきます。

そこまで責任を感じなくてもいい、ということですね。

この世界は責任の所在を明確にしたがりますが、その所在をどうしても明確にできないことだってあります。それを無理に引き受ける必要はないと思います。

 

 

あと「とらわれている」という言葉も似ていますね。

何か強烈な出来事が、見えないロープとなってその人に制限をかけている。

その人は、その制限を仕方ないと受け容れてしまう。

でも、とらわれていてはだめなんです。

それでいいと思っていてはだめなんです。

とらわれていたのなら、そこから抜け出てもいいんです。

 

権利と言っては堅苦しいですが、わたしたちはそうして本当の成長を果たすべきです。

ひさびさに外食。

(2021/10/28 写真サイズ調整と文言追記、カテゴリ設定済)

 

久々に下界に降りてきています。

 

八雲町の「みよし」さんでステーキを。

同じく町内の「提灯」さんでお酒を。

 


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牛ステーキ

 


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ニセコジン「ohoro」


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積丹ジン「火の帆(ほのほ)ブーケ」


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積丹ジン「火の帆(ほのほ)」

 

 

おいしゅうございます。

強い酒を飲み過ぎました。反省。

むずかしいことはやらないの?

八雲町内でのはなしになるのですが、冬期間以外の毎月最終火曜日は「無水カレー」の日になっているようで、町内の一角にイベントスペースがあらわれます。

写真は無水カレーの「2色盛り」弁当。辛くはないですが、じんわりと身体が温まります。

 

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料理は特に思うのですが、作るのは「かんたんではない」と思います。

調味料とのバランスや食材の大きさなど、意外と考えることはあります。

そうして難しいことの繰り返しを行ってきたからこそ、現代では様々なレシピが生まれ、時短料理なども生まれていると言えます。

 

 

 

「かんたんじゃない。だからやるんだ。」

 

今週は「おかえりモネ」の劇中で使われたセリフを引用しています。

このセリフは、主人公の父親が、銀行勤めを辞めて漁師になるということを主人公の祖父に話したとき「かんたんじゃないんだよ」と言われて返した言葉です。

 

この世の中、かんたんなことは多いでしょうか?むずかしいことのほうが多いような気がしています。育てるのも育つのもかんたんではないし、仕事も勉強もかんたんなことではありません。「ちょちょいのちょい」でスムーズに事が運ぶ世の中には、当分なりそうにないです。

 

 

しかしこの世の中には一定数「楽して〇〇する」ことを目指し、実践し、宣伝するひとたちがいます。センスのある人などであれば、ごく少数ですがそういった生活を送ることが可能「かも」しれませんが、大半は難しいだろうと感じています。

 

ここで危惧してしますのは、「困難からの逃避」であること。

難しいことから逃げるのはその人の責任になるので構わないとは思うのですが、必ず詰まる局面が出るでしょう。その時にどうするのか、興味ではあります。

 

 

「かんたんじゃないことを経験してこそ」

 

さもかんたんにやってのけるようになるまでは、かなりの経験が必要です。

その経験が、立派な土台になります。

かんたんなことしかやってこなかった人にとっては、やっていることがかんたんではなくなったとき、恐らくいともかんたんに「捨てる」と思います。そして、次の「かんたんなこと」を始めるでしょう。それの繰り返しです。

 

世間のニーズに合わせてと言えば聞こえはいいのかもしれませんが、次々とやることを変えるというのは、そんなに印象がよいとは言えません。仕事であれば猶更。この世界は「どれだけ積み上げてきたか」を尊重する風潮がまだ濃く残っています。指先で得る収入よりかは、信ぴょう性に重みがあるのではと考えています。

 

 

 

「なんとかなる」

 

意外と、この世界はなんとかなっています。なんともならないこともありますが、自分の努力に比例して、事態はなんとかなるものと考えています。なので、これからも難しいことにチャレンジしてほしいと願いますし、自分もチャレンジしていこうと思います。

 

だってそのほうが、人生刺激的で、かつすごく面白いと思うのです。

未来はわからない。

朝7時30分ごろでしたが、草地の日陰になっているところに霜が降りていました。

 

 

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朝はかなり冷え込んだようです。

その後秋晴れとなり、昨日に続きカメムシさんが大量にいらっしゃいました(涙)

 

 

 

朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」は、今週放送分が最終となります。

朝の放送と昼の放送をなんとか見ることが出来る環境なので、繰り返し見るようにしています。

 

今日の放送は幾つものキーワードがありましたが、その中でも「俺たちの菅波」こと菅波先生が言った「未来に対して僕らは無力です」というセリフが、強い余韻として残っています。

 

 

 

元々未来はわからないもの

 

現代は「予報」という技術が発達していますが、それ以前は右往左往させられる環境だったのだと思います。星空や雲の流れをみて天候の変化を感じ取る知恵のようなものはあったと思いますが、わかっていてやってくる変化と、わからない状態で起きてしまう変化とでは印象が違います。この先どうなるかわからない先のことについて、確かに人類は無力でありました。そしてそれは今でも変わらないと思います。

 

 

ほんとうに未来のことをわかっているの?

 

今も昔もですが、未来に起きることを「わかっている」と主張する人たちは一定数存在します。何の未来なのかにもよりますが、わたしたちは「ほんとうに見えないこと」に対する未来を知りたがる傾向にあります。だから占いに走り、宗教に走り、スピリチュアルに走ります。それは未来に起きることが怖くて、逃避しているようにも見えます。人それぞれ理由はあるのだと思いますが、現実的な裏付けがされていないものごとに対し、未来についての安心感を委ねることは危ういと思っています。

 

 

 

未来をどうにかする、は、アリか?

 

現在、選挙の真っ最中です。どの候補も、自分に未来を託してほしいと訴えています。

恐らく、このままでは未来の日本はこうなる、と、先の展開をわかっている口ぶりで聴衆に語り掛けていると思います。

 

未来をどうにかする、は、ほんとうにできるのでしょうか?

それは「できる」場合もあるでしょうし、「できない」場合もあると思います。

つまりはおいそれと「できる」と公言してはいけないということになります。

今の人は、実はコレが出来ていない。

出来なかった場合でも、自分の非を認めない。そして周りがそれを擁護する。

それではダメですよね。

 

 

明日のことでわかっていることもあれば、わかっていないこともあります。

不確定要素もある中でしっかりと生きていくこと。今はそれが大事です。

無力だということをわかることも大切です。自分に力があると思うことも結構なのですが、時にそれは過信になります。それくらい、無力は謙虚を呼びます。

 

これまでにたくさんの無力を感じてきました。

でも、無力感に取り込まれないように。

明日も元気に過ごしていきましょう。

 

 

 

 

春と秋は恐怖のカ〇ムシ週間。

きょうは久々に晴れ(秋晴れ)。

日中はとてもいい陽射しが室内に入っていたのですが、それとあわせてこの時期になると出てくるヤツも室内に入ってきていました。

 

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そう。カメムシです。

 

春と秋にはてんとうむし、そしてカメムシが「ある程度」、ときには「かなり」発生します。原因ですが、住んでいる建物の周りは林または森であるためです。自然の中に居住地を置くと、季節柄こういうイベントを迎えます。

 

カメムシはなかなか特徴的な匂い(臭い)を残しますので、早めに対処します。

対処の方法ですが、ガムテープ(布ガムテ)を適当な長さで切り、カメムシの背中(状況によっては腹)に貼り付けます。ガムテの粘着力はなかなかの強さであるため、バタバタはするのですがそうかんたんに抜け出すことは出来ません。その隙にガムテを半分に折り、密着させる形で閉じ込めます。後はゴミ箱へ収納。これで終わりです。

 

最初はおどおどしながらやっていましたが流石に慣れてしまいまして、少し長めに切ったガムテープにカメムシを連続でくっつけ、密着させて処分するという技を身に着けました。この方法はカメムシに限らず、夏にこれまた発生するアブを捕まえるときにも有効です。なお、アブはいちどハエたたきなどで気絶させて捕まえると楽です。

 

そんなわけで、今日の午後は30分ほど布ガムテープを握りしめながら、玄関周りに大量に発生したカメムシの捕獲に追われました。結構ガムテ使いました・・・

 

 

明日からの天気はどうなるのでしょうか。

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新型コロナウイルスの新規感染者数も少なくなってきました。

どうか穏やかな(心身ともに)日々が訪れますように。

2021年10月の創作①

この一票 信じてあなたに投じるの 反故したら返してくれるのでしょうか

 

山に雪 下に紅葉 蒼さも残る わたしはいまを生きている

 

安定を 崩そうとするのは外からで 知っていればなんてことないと思えれば

 

点火する 埃と燃料が送られる 冬支度はそうして始まる

 

 

 

 

宣言が解除になったとしても

 

元通りになるわけではない

 

失ってしまったものは戻ることがなく

 

それを受け容れていくしかない

 

遠ざかってしまった距離

 

遠ざかってしまった存在

 

遠ざかってしまった声

 

そしていつしか離れてしまった現実

 

知らない事実に打ちひしがれ

 

己の無能さ加減に腹を立て

 

500mlの缶ビールを数本立て続けに飲んでしまう

 

お酒を飲めない人にはわからないだろうけど

 

そうやって自暴自棄になる方法がある

 

あなたは冷めた声で現実を言うけれど

 

情熱を奪われた側のほうが実はもっと冷めている

 

その恐ろしさを知らないだけ

 

 

元通りになればと願うのは簡単だけれど

 

この世界の仕組み上どうしても動いていかなくては

 

概念でサクッと動くものは一切なく

 

積み重ねてようやくその重みを知ることが出来る

 

それがわからないからこそ

 

人は何かを持っている人のところを渡り歩く

 

そこに幸せが待っていると信じている

 

 

秋風が吹く草地に立つ

 

雲が早く流れていく

 

そうして月日が流れていく

 

戻らないものの変わりをまたつくっていく

放牧が終わる

今月は寒くなるのが早く、昨年よりも放牧が終わりそうです。

 

ここ最近は雨やみぞれ、たまに雪?が降るなど、どんどん冷え込みが強くなっています。

 

 

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このような光景は来年までおあずけとなります。

 

 

牛にも夏毛・冬毛というものがあるようで、季節でまったく見え方が変わってきます。

ついこないだ放牧を開始したと思っているくらいなのですが、これですとどうも冬の期間が長いように思えてしまいます。

 

 

こういう場所にいますと、都会的な刺激が皆無になります。

反面、自然やいきものの神々しさや神秘さをぐいぐい感じます。

当たり前の光景が、実は絶景だったりしています。

 

 

うまくいくこともなかなかうまくいかないことも大変なこともある毎日ですが、それはそれでなんとかなんとかやっています。出来ればもう少し心配事が少なくなればいいのになぁと願いながら、仕事と生活を続けたいと思います。

 

 

 

令和3年10月の読書感想文② ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー ブレイディみかこ:著 新潮文庫

ベストセラーということで名前は知っていたのですが、積極的に読むことはしませんでした。ですがこの機会に読むことが出来てよかったと思っています。なお、このシリーズは2作目が出ており、完結となるようです。

 

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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー ブレイディみかこ:著 新潮文庫

北海道砂川市「いわた書店」の一万円選書にて選書

 

 

文句なしの面白さ

 

ノンフィクションだからか、それとも著者の表現力の高さなのか、とても面白く読み進めることが出来ました。お話の舞台が日本ではないことが、面白さ、または興味深さに拍車をかけたように思います。そして親子の会話内容が何より抜群で、息遣いを感じさせるほどです。変な表現になりますが、「生きの良さ」を感じた作品です。

 

 

 

道徳の教材に良いのでは?

 

それくらい、刺激的な内容だと思います。当たり障りのないことを教えるよりも、ショッキングな事実を伝え、そこから考えてもらうという方法も手法としてはありなのではないでしょうか。もしかすると保護者からものいいがつくかもしれませんが、それくらい、日本の教育は緩いんじゃないかと個人的には思っています。

 

 

 

親子のものがたりでることを忘れずに

 

主役は著者のお子さんだと思いますが、印象的なエピソードとして著者自身のことも綴られています。これまた世界を感じさせる内容で、日本では色あせてしまうものです。実際日本のほうがそういった問題は根深い(違った意味になるかもしれない)気がするのですが、インパクトの強さは日本の外のほうがあるようです。子どもだけではなく、親も反省し、成長していきます。そういったきっかけは日常にあることを教えてくれることが、とても貴重に思います。

 

 

 

映像化すれば・・・という気持ち

 

これだけ売れた作品ですと、映像化の話が来ていると思います。それはそれで興味があるのですが、こういった作品は民放よりもNHK教育で放送してもらったほうがいいように思います。出演者の知名度である程度の人気が担保されるよりも、違ったことを目的としてほしいなという気持ちがあります。

 

 

 

こどもの深さと広さ

 

本書のタイトルは、主役である子どもが話した内容そのものになります。

その背景を知りますと少し複雑になりますが、これに触れることで私たちにもいま必要な科学反応が起きる気がしています。それほど、子どもの存在は大きいと思っています。

 

 

まだ2作目は読んでいないのですが、年末のお供に手に取りたいと思います。

 

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