今日は午後から家人が外出先のワイン会で知り合い、仲良しになったメンバーでの自宅パーティーを行っていました。
わたしも含めると総勢7名。なかなかの人数です。
ワインを主役にチーズやらパテやらを差し入れてくださり、我が家にとても明るい光景が会の終了まで続いていました。
いらしていただいた方たちは女性のみで、中には親子で来て下さったりと恐縮してしまいますが、主役は女性だったのでわたしは裏方に徹していました。
数々の食べ物を写真に収める間もなく食器の片づけやワインやスパークリングの抜栓など慌ただしく動いていましたが、その先には楽しく(だいたい大声で 笑)会話をしている人たちがいましたので、わたしもその会話を盗み聞き(癖です 笑)しながら洗い物などを済ませ、ご相伴にあずかりました。
最後のほうでは主催者の家人が酔いつぶれてしまい、みっともないところをお見せしてしまいましたが、とてもよい会だったと思うのでまた次回も(懲りずに)自宅に来ていただければと思います。
本日本当に寒い中、我が家に足を運んでくださりありがとうございました。
写真にはこの会だけで飲み干したワインとジュースの数々。
そして、宴のあと、という表現にふさわしい光景をパチリ。
すでにこの時点で食器の大半は洗っておりましたので、わたしはお土産でいただいたおいなりさんとプレートのおつまみの残りを頬張りながらテレビを観つつ、ほっと一息ついていたところです。
「食卓を囲む」という表現があります。
昨年の「大地の花咲き自宅上映会」を催行してからこの「食卓を囲む」というアクションがとても気に入っており、幸せな気分になります。
もちろん飲食店でも大人数でテーブルを囲んで食べたり、野外活動の折に参加者のかたと一緒にご飯をいただくことはあるのですが、自宅で、それも「家族の人数よりも多い数」でみんなでごはんを食べるということはそうそうないことだと思います。
それでも、ひと昔は「日常の光景」であったように思います。何世代もの家族がひとつの家で生活しており、寝食を共にする。
それが毎日だとなんとも思わないのでしょうが、少人数での食事のほうが多くなってしまった現代から見ると、それはとても貴重な機会であったことがわかります。
食卓をこれだけの人数で囲むと、会話もたくさん生まれるでしょうし、何より活気が溢れます。中には「食事中は静かに!」という家もあるかもしれませんが 笑。
自宅にお客を呼ぶというのは本当に手間がかかります。
部屋の掃除(念入りにやります 笑)
食事や飲み物の用意
テーブルのセッティング
などなど
そんな広さがあっていいよね~と言われてしまいがちですが、ひとつのコツとして「自宅に友達を呼べる」環境づくりはよい空気を運んできてくれますので、誰かが来るわけではなくても、雑多としない空間づくりを意識していくのもひとつの方法だと思います。
お店での食事や会話は当たり前なのです。それを含めての場所と食事の提供になるのですから。
自宅はご自身の大切な生活の場です。寝食にのみ使うのはもったいないと思います。
いつでしたか、テレビで「孤食」ということばを使っていた特集を見る機会がありました。
今では一人での食事はあたりまえの光景になりました。おひとりさまという言葉も多く使われていました。
ひとりで食事をする、それは決して悪いことではありませんし、置かれている環境から見ればそういったシチュエーションは出てきます。
でも、他の人たちと話しながら食事をするのはちょっと・・・というのは、何だか少しもったいないという気がします。
もちろん、人数が集まると聞きたくもない話を聞かされ、逆にげんなりすることもあると思います。そこから会話の輪を離れるという気持ちもよくわかります。
でも、そこの見極めはつけられるもの。運気を呼ぶ輪と、運気を遠ざける輪はどんなものか、直感でわかると思います。
遠ざける輪しかなければ、プラスの輪を見つけるしかないです。それも「脱却」の後押しになりますし「展開」が生まれます。
展開は次のイベントを生みます。それは前進そのものです。
楽しく会話をする。楽しく食事をする。
そこにプラスの気が発生しないわけがないです。
自分も楽しんで、周りの人たちも楽しむことによって、その気がどんどん大きくなる。
ついには座敷童子に逢っちゃったと同じくらいの「いいこと」が起こるかもしれません。
そんな明るくとてもよい気に満ちた空間で今日は過ごすことが出来ました。
不意にアニメトークで盛り上がりました。わたしはほんとうに今日来てくれてよかったと思いました 笑。