つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

方違え。異なる環境で時を過ごすということ。

みなさんは「方違え(かたたがえ・またはかたちがえ)」ということばをご存知でしょうか。


ウィキペディアを参照しますと
「外出や造作、宮中の政(内政)、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いといったん別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにした。」とされており、平安時代から行われていた風習のようです。


現代でもこういった行動を行っている人も多く、普段の生活で何かしらよくないことばかり・・・といったときにはこの「方違え」を行っているようです。

 

結論から言いまして、2日間「藻岩山(もいわやま)」で行き、そこで活動をしたことが、この方違えになったようです。

 

 


先週のわたしはというと、

 

・イベントの告知&募集が開始となる
・イベントの告知チラシ到着・仕分けと折り込み
・イベントの告知チラシを設置しに営業
・イベントの告知チラシ設置をお願いする営業
・Web上でのイベント告知業務

 

などなど・・・一気に仕事モードになったためか、頭の回転が悪くなり、ブログやオラクルカードのリーディングも集中が続かないほど。
瞑想の時間も長めにとって行ったのですが、改善せず。

 

 

どうしたものかな・・・と思いつつ、週末のスノーシューガイドのボランティアとして藻岩山へ行ってきたのです。

 

 

 

 

スノーシューガイドの活動は仕事のこともどこへやら、すっかりと忘れてしまい(笑)参加してくださったお客様とともに冬の藻岩山を楽しむことが出来ました。


その様子は前日の日記をご覧くださればと思います。

 


北海道・札幌在住の人間が観光客から教えられたこと。

それは「自然は観光資源になる」ということ。

 

 

雪に慣れてしまっているその土地の人間は、雪が積もっても特に利用することはありませんね。
駐車場の雪は除雪でその場所から遠ざけてしまうし、これを使って何か遊ぶでもない。
こどもたちにとっては格好の遊び道具ではありますが、大人の視点から見れば厄介者でしかないかなと思っていました。

 

 

観光客目線で言えば、雪には「2種類」あるということがわかりました。

 

ひとつは雪像などの「鑑賞品」
もうひとつは「何も施していない」自然にあるそのままの「雪」

 

雪国の人から見れば「???」という感じですが、観光客から見るとまったくの別物のようです。


雪像などに代表される「雪を使ったモノ」に関しては「見て楽しむ」ものとなっており
雪が降ってそのままの状態のところに倒れこんだり、歩いてみたりという「触れて楽しむ」という側面もある。

午前中は雪まつり、その後藻岩山という観光コースで訪れるかたがほんとうに多くいらっしゃいました。
そこからも「札幌の自然はニーズがある」ということのあらわれなのだと感じました。


こういった刺激は「自分で考え、行動して感じるもの」とはまったく違う視点からのものとなるので、とてもいい勉強をさせていただいたという思いでいっぱいです。

 


2日間にわたり行ったガイドも無事終了しました。

天気は晴れたり雪が降ったりと落ち着かないものでしたが、しんしんと降る雪の光景もまた新鮮で、わたしも思わず見入ってしまったほどです。
また両日ともにガイド開始前に中腹駅にある神社へ参拝させていただいたこともあり、観光客のみなさまへはとてもいい思い出づくりのお手伝いをさせていただくことが出来たと感じました。

 

この山での活動が実質的な「アース」となっていたようで、すっかりと気分転換が出来ていました。
何かを意識しながら行動していくことも状況によってはとても大切なことですが、時には抱えているものを「手放す」ことも、結果としていい影響を与えるのかもと感じました。

 

冬の藻岩山は初めてでしたが、普段の行動パターンからは外れたものだったので、わたしにとっては良い経験、つきましては意義のある「方違え」となりました。

 

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けさ引いたカードは

 

なんと

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No.7「ワンネス(一体感)」

 

 


キーワードは「統一」「調和」「和合」「一致」「統合」

 


これで3回目です(笑)

 

カードは64枚あるのに、3回も引いています・・・

このカードは何を伝えたいのだろうと考えて、瞑想しました。

 

 

 


あなたが求めているものは、果たして正しいものですか?
あなたがつながりたいのは、果たしてほんものですか?

 

どこの場所でもひとは「自分のしあわせ」を神に祈り、奇跡を求めています。
仮にその「奇跡のようなこと」が起きたとして、あなたは今後何に「大切なこと」を捧げていくのでしょう。

 

 

 


はっきり伝えます。

 

 


その「奇跡」はホンモノですか?

 

 

よいことが起きれば「神」を称賛しますが

悪いことが起これば「人」を非難します

もしくは「信仰心」が足りないと非難され、神に近づくよう指導されます

 

 

 

 


はっきり伝えます。

 

 


神に近づくために「信仰心」をわざわざ「養う」必要があるのですか?
もともと備わっているのに、そんなに「人」が広めた教義を修める必要があるのですか?

 

 

あなたが望む環境よりも、命の危険にさらされている人は世界に多くいます。

なぜ、その人たちに「奇跡」は起きないのでしょうか。

 

 

 

「信仰心」が足りないからですか?

それとも「間違った信仰」をしているからですか?

 

 

 

 


はっきり伝えます。

 

 


あなたの「信仰」が間違っているのではないですか?

 


しっかりと考えてください。

 

 

 

 

 

 


もう


宗教も
スピリチュアルも


ピークは過ぎ去ろうとしています

 

 

 

そして新しい概念や思想が生まれます

 

 

 

その時にまだあなたは

 

 

「自分の都合を重視」したうえで「世界の平和を願う」といったややこしく古い信仰をしているのだとしたら

 

 

 

 

 


その「神」を捨てなさい

 

 

 

 

 

 

わたしたちは「神」を裏切らないために生まれ生きているのではありません

 

 

ワンネスはあなたに何を求めているのか

何もないところで ただただ感じてください