つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

4月開催のイベント告知のチラシを置かせていただきました。お店紹介 その2

今回は4月に予定している

 

「ガラクタ整理ワークショップ」


「カラダの氣 スペースの氣 クリアリングセミナー」


「座敷童子パワー あやかり女子会」

 

 


各講座を紹介したチラシを2か所置かせていただくことが出来ましたので、そのお店を紹介したいと思います。

 


今回紹介するお店は2軒あり、いずれも札幌市中央区になります。

 

 

 

 


・マカリイズ マーケット

 

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HP:http://www.maccali-inc.com/index.html
ブログ:http://ameblo.jp/maccali-inc/

住所:札幌市中央区南18条西16丁目2-20

 

 

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オーガニック食品を取り揃えたとっても「わくわく」するお店です。

 

「カジュアルにオーガニックを楽しんでいただく」
素晴らしい!と思いました。

 

 

入って正面にお野菜が、その奥に加工食品やフルーツ、飲料、日用品などなど。


ココナッツオイルや
ヘンプナッツ

などもあり、この品揃えに感服します。

 

 

 

じわじわと、実感してます。

オーガニック食材を取り扱うお店は、着実に増えてきました。

 

その中でもこのお店はお店作りも他とは違い、目を引く陳列がされています。

 

場所は環状通り沿い、スーパーチェーンシガの近くにあります。
市電で近くまで行くことが出来ますし、藻岩山ロープウェイ駅も近所です。

 

 

 

 

 

・菜食カフェ 広

 

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HP:なし⇒食べログhttp://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010105/1029999/

住所:札幌市中央区宮ヶ丘1-2-28 ジュエル宮ヶ丘1F


常に発酵し続ける「長岡式酵素玄米」を提供しているお店。
長岡式酵素玄米は以前札幌南高校近くにあった「レストラン葉」にて提供されておりましたが、残念ながらクローズ。
その後、広が出来ました。

わたしも自宅で酵素玄米を炊きます(道具を一式持っています)。
それでもこのお店でいただくご飯はとてもおいしいです。
家庭的な味付けと見事な腕前で、ほっぺたが落ちそうです。

オーナーの大潟さんには長年お世話になっていて、ふつーにお茶を飲みに行ったり、本棚にある本を借りに行ったりしているお店です。

 

 

 

 

ここまで着実?にチラシを置いていただけるお店を探し・交渉してきました。
中には返信もこなかったり、途中で不通になったりと、自分が取った行動はどうだったかという反省が出てきますが、都度反省しては疲れてしまうので、イベントが無事に終了したのちにしっかりと振り返りをしたいと思います。

 

やはり、メールで問い合わせよりも電話、電話よりも直接訪問ですかねぇ。。。

 

 

 

 

 

 

これで今月のチラシ営業は終了。

 

 

3月に入ったら違う場所で置いていただけるよう、営業を再開いたします。

 

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けさ引いたオラクルカードは・・・

 

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No.12「過去生」でした。

 

キーワードは「先立つ存在」「自分のスピリチュアル史」

 

 

スピリチュアルの先駆者は、それは最初は「胡散臭い」と冷ややかな目で見られたかと思います。


それがテレビに雑誌に紹介されると関心度ががらっと変わります。

 

 

 

しかしながら、ときにひとは気づくことがあります。

 

「これは正しいのだろうか」と。

 

そういった疑問を持った瞬間、スピリチュアルに対する深い考察が始まります・・・・・・・・

 

 

今ある宗教も、最近顕著になってきたスピリチュアルも、最初は「ひとつ」だったというのがわたしの仮説です(確たる論拠はありません)。

 

宗教もスピリチュアルも「確実な」証拠は何もないわけです。

 


宗教であれば

「このお経を唱えれば成仏できる」


スピリチュアルであれば

「これをやれば罪業は浄化されて天国へ行ける」

 


上記はあくまで代表的なもの、という感じですが、そのどちらに「確かなもの」はあるでしょうか。

 

わたしたちにはまだまだわからないことがあります。

 

 

その中には「ずっと」わからないままのものもあると思います。

 

 

過去生からの経験は、現世でも生きているとは思います(確証はないです)。

そうでなければ説明がつかないこともあります。

だからといって宗教やスピリチュアルに「傾倒」してはだめなのです。

 


仮に夢中になった「それ」が間違いだったとしたら?
この世界に生まれてきた「当初の目的」から大きく外れていたとしたら?

 

 

 

 

 


その場合はすぐに「やり直し」をさせられるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

この時代はすぐに「いいもの」とされるものは様々なメディアを伝って広がっていきます。


そのため、残念ながら流行り廃りというサイクルがとても速くなりました。

 

その中で「真の」何かを見つけ出すことは大変困難になっていますが、この数々出てくる「良い」とされているもののすべてが「要素」でしかなかったときには、わたしたちはその歴史を刻み続けるためにその「要素」を集め続けていくのかもしれません。

 

その要素こそが、先頭に立つ際の必要ななにかなのだと思います。