3年目のガラクタ整理。
手始めはとてもかんたんなところから始めました。
それは「CD-R」。
記録用メディアとして重宝されており、写真や音楽などの各種データの保存用に使用されています。
そこまではおよそどの方にも当てはまる話なのですが、わたしの場合は「収集癖」が加わるため、こういったモノでもちょっとした数になります。
わたしが所有しているCD-Rは
・CDアルバムのような「ケース」に入っている「ケース型」
・ケースの真ん中に棒があり、そこに挿して積み上げていく「積み上げ型」
の2種類。
当初は「ケース型」を音楽用にして「積み上げ型」をその他のデータ用に使用していたのですが、いつのまにやらまぜこぜになっていました。
ついにはケース型のほうを「好きな音楽ジャンル」に固定化し、それ以外のすべてを積み上げ型に変える始末。ちりも積もれば山となるということわざのとおり、空のディスクを買ってきてはデータを移すということをやっているうちに、目に見えて収納スペースを使っていってしまい、保管場所に困ることになるのでした。
やっと重い腰をあげて整理しようと決めたのが、過去2回に行ったガラクタ整理。
写真は以前も載せた、1回目のときのもの。
ここから少しずつ整理を行ってきました。
厚別区から中央区に引越してからはそんなに数は増えていないはず・・・と思いつつも「とりあえずそこらへんに」置いてあるCD-Rの大群を見て「これはいい加減に整理しないとだめだ」と観念。
再び手をつけることにしたのです。
ただ救いなのは、今回手をつけたのは「CD-R」のみなので数はそんなに多くありません。
せいぜい150~200枚程度だと思います(笑)
大切だと感じていることは、1枚1枚手に取ってみてみること。
じぶんが残してきたものを見ていくことにしました。
すると見えてきたのが「一時の」ものがいかに多いかを気づかされました。
もちろん好きなアーティストのアルバムなんかもあるわけですが、その時に話題になっていたものをとりあえず押さえておくということもやっていたようで、実際数回聴いたあとは数年間聴くことなくただ保管したままの状態でした。
「これはもう整理するべき」と思いつつ、1枚1枚振り分けをしていくと、ふいに「このアルバムに○○という曲、入ってたなー」と横やりのごとく思い出してしまうことがあります。
以前であれば「○○という曲」1曲のために1枚のCDを残しておいたのですが、今回は「長いこと聴いていなかったんだから整理してもいいや」と思いがブレることなく、逡巡した程度で済んだことには軽い驚きを覚えました。
他にある方法といえば「その1曲だけを抜き取る」というものもあります。心境に合わせて整理を進めてもよいかと思います。
ただし「1曲だけ抜き取る」方法を実践するときに注意していただきたいこと。
それは「整理後」に行ってください。
手に取って整理していく過程で「この中に抜き取りたい曲がある」となったとき、その都度行ってしますとえらい時間がかかりますので、くれぐれもご注意ください。
「振り分け」ているのなら、その作業に集中することが効率を上げます。
そこに異なる作業を入れてしまった場合は、作業効率ががくんと落ちますので流されないようにすることが大切です。
久々の整理であったため、たとえ整理したものが「CD-R」というモノでも相当の集中力を使いました。結果、最後は相当疲れてしまいました。
一気に入り込めるのは良いことと受け止めているのですが、そのときのコンディションにも気を遣いながら進めていくことも大切だと感じました。日常生活が要でありますから、そちらに支障をきたさないようにすることが肝要です。
4月開催の各種ワークショップ、参加者募集中です。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
きょうも快晴の札幌。
きょうは最高気温が10度の予報です。
もう少しで春だなぁと思いながら引いたカードは
No.27「出現」でした。
キーワードは「登場」「浮上」「世に知られる」「公示」
雪のしたから土がみえてきた!
土のなかから芽が出てきた!!それがぐんぐん伸びてくる。
とても硬い冬芽からぷっくらふくらんだつぼみが、あたたかさとともに姿を見せてくれる!!!
冬から春に季節がうつろうとき、この世界では劇的な変化が起きています。
そのおおきなエネルギーはなにも怖いものではないことをお分かりだと思います。
あなたのなかにも それはあります。
それを「いま」使うかは あなたしだいです。
ひとは観衆の前に立つとき 不安とそれを携えています
うまくいくだろうか どこかで非難されたりしないだろうかと
ですが「前に立つ」ことを通して行動していくことが「必要」なことであったなら
これらの後ろ向きな気持ちは もはや妨げにすらなりません
「決意」や「覚悟」ということばがあるように ひとは定めていろんな環境に身を置きます
辛く苦しいことが起こると「わかっていた」としても
「行くしかない」という揺るがないものが芽生えるからこそ
自然のたくましさを感じ取り わが身のものとすることができるのだと思います