※きょうのブログはいつもより長いです。
リレートークの発信先は、南極昭和基地からも。
樋口和生さんは早い時期からねおすに参画しブレーンとして活躍。
しかし肝心な時にはいないという(会場は爆笑の渦でした)特異な立場のかたでした。
中継画面を写真に。
樋口さんは数回南極の観測隊として参加されており、第57次南極地域観測隊として現在も南極昭和基地にて任務を遂行されていらっしゃいます。
南極からの通信もある程度決められた範囲内で行われており、今回のフォーラムに合わせて中継が結ばれました。
最初は基地の中から南極昭和基地の周辺の様子が映し出され、続けて樋口さんが登場。
トークというよりはメッセージというかたちでねおすのこと、様々なことを話してくださいました。
中継時に映された昭和基地。
講演は京都産業大学の大室先生によるもの。
幾つかの図式を出しながら、社会学とも経営学ともとれる凝縮された講義(講演)が行われました。
こんなのや
こんな図式や
このようなメッセージも。
ざっくり話すと
「お金(利益)」だけを追求する時代は行き詰まりを迎え、代わりに社会事業的な部分に価値が見出される可能性が強まる。この先ビジネスという事業「だけ」では限界があり、そこに社会問題に対する取り組みを構築してこれをビジネス化していくことにより社会問題の解決や経済の発展をもたらすのが本来のカタチとして講じられた。
望むべくは
政府などの行政、各種企業や団体、そしてNPO(NGO)が三位一体で事案に取り組むこと。
それぞれの分野における未熟さもあるため、バランスを保つことは容易ではないが、世間の意識や行動を変えていくことをしなければ「批判」ばかりが増大し「解決策」は生まれにくくなるという環境向かっていくばかりであることをよくよく理解しなければならないようです。
フォーラムのあとは場所を移して懇親会が行われ、話に花が咲きました。
ここでもいろんな実状が聴こえてきましたが、わたしを含め多くの人は「夢」を語っていたことがとても印象的でした。
懇親会の1コマ。
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「夢」じゃなくて「現実」を見ろよ。おまえだって大人だろ?
このようなニュアンスのことを、幾度も刺さるように言われ続けました。
「現実」が大事なのはわかります。しかし「夢」は見てるだけにしていたほうがいいのでしょうか。
ひとは「お金」は大事だよ。といいます。では「お金」以外のものはどうなのでしょうか。
先立つものは「お金」だとある人は言います。大切さの比重は様々です。
が、わたしは「お金」を求めたくて「動く」のではありません。
「夢」があるから、その手段として「お金」を手に入れる。
逢いたい人に逢って、色んな地域に招いてもらって、様々な社会の事情を見聞きして、わたしができることをしていきたい。
わたしは、先立つものは「お金」ではなく「夢」だと思っています。
それがあるからこそ、何かが遠く手の届かない場所に離れてしまったとしても、ふたたび手中にすべく努力を始めることができるのだと思っています。
この節目の出来事を誰かの「歌」で表現できないか。
探し当てたのはこんな「うた」でした。
-つづく-
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風がまだまだ冷たく、桜もまばらな東京。
目覚ましの音では起床できず、寝坊して起きてからカードを引きました。
今日のカードは
No.55「変成」
キーワードは「大変貌」「昇華」「変化」
ここ数日「変わる」といった意味合いのカード引いている感じがしますが、それは春の「氣」が後押しをしているのでしょうし、周りが「何かを変えていく」流れになっているのだと感じています。
わたしたちは一瞬として「同じ状態」を保つことはできません。
1秒のなかでも細胞は常に生まれ変わり、髪は伸びたりなどしていのちを使っています。
ただ単純に「死」に向かっているわけではなくて「何かのお役目を果たすため」に、わたしたちは瞬間瞬間変化を続けていき、ときに「大変貌」という「成長」を遂げるのだと思います。
わたくしごとですが、東京で受講していた「モノ&メンタル スペースクリアラー講座」の座学が本日で最終回を迎えました。
この講座を受けるたびに自分の「ダメさ加減」や「先延ばし」にしていることなどを、講師である「竹内清文」さんに突っこまれ、そのダメージから「ダメ人間」状態になりそうななかでもできる限りの気持ちでガラクタ整理を続けてきました。
詳細は後日しっかりと触れていきますが、以前から抱えていた疑問がこの講座を受けたことで晴れ、現在入信している宗教法人のモノのほとんどを整理しました。
これもわたしにとっては「大変貌」であり、おおきな「昇華」のはじまりでもあります。
実際、わたしのことを知らずにブログを読んでくださっているかたも、わたしをご存じの上で読んでくださっているかたもいらっしゃると思います。
「どうして仕事を始めたのか」「ガラクタ整理ってよくわかんないんだけど、なに?」
「毎日引いているカード、あれなに?」といった声が聞こえてきています。それがわからないとねぇ、ということもあるだろうと思ったので、ここで少し自分のことをかいつまんでお話しします。
会社員生活で自分のこころとからだがもう保たない状態にまで病んでしまったなかで、再び普通の生活や新しい仕事などの活動ができる状態を目指す中で出逢ったものの1つがガラクタ整理でした。
これは単純に「モノを捨てるものと残すものに分けて整理し、すっきり片付けができる収納を行っていく」だけではなく、確実にひとが抱える「罪悪感」や「劣等感」「プライド」そして「先延ばしのクセ」など、生きていくうえで困らせている感情とその本質にアプローチをかけます。
ガラクタ整理をしたとしても、気持ち(こころ)の整理がついていなければ、たとえどんな片付けのプロのワークショップを受けたとしても、本を読んだとしても、業者を呼んで大量に処分したとしても、確実にリバウンドします。わたしも過去数回ガラクタ整理を行ってきましたが、相変わらずモノは多いままでした。だからこそ「モノが増えるのはなぜ?」という疑問の「本質」を知る必要があり、幸いにも今回の講座で自覚することができたのです。
結局「自分を救えるのは自分だけ」。
どんなに良い治療を受けたとしても、自分自身が「復活したい!」「元気になりたい!」という強い強い気持ちがなければ、まったくもって無駄になります。その治療がどんなに力があろうとも、作用があろうとも、ひとのこころを動かすことはできません。ひとのこころを動かすのは、神様でもありません。自分自身なんです。
わたしも自律神経失調症になってからいろんな治療法や健康法を身に着けました。
「絶対いいから!」と言われましたが、最終的な治癒までは至りませんでした。
「その健康法・治療法に治してもらおう」という気持ちが当時は持っていて、完全にお任せ状態だったなといまでは思っています。アルプスの少女ハイジに出てくるクララのように、からだは治って歩ける状態でも「歩けない」と言い切っていた状況です。
クララは「歩ける」という気持ちにまで「治して」欲しかったのではないでしょうか。
だから「クララが立った!」というシーンは、感動します。
以前はお任せ状態でしたが、いまはじぶんのこころが「こうなりたい!」という状態にあるので、からだがそれに呼応してくれています。年齢に勝てないところも出てきましたが、明らかに健康法を実践していた時とは違う「氣(エネルギー)」が出ていると思います。
わたしはガラクタ整理を教え、伝えていくことで生計を立てる、と誓いました。
今までは夢物語みたいなことばかりを言っており(カウンセラーになるとか、物書きで生計を立てるとか、妄想ばかりでした。笑)、家人からも「まーた言ってる(後日談)」としか思われなかった人間が、じぶんを取り戻すなかで手繰り寄せた本気の姿勢です。
「ゼロ」から「イチ」に大変貌を遂げることはほんとうに大変でありますが、これがわたしにとって「先延ばししない」ための必要なツールだと定めたので、唐突ではありますがじぶんのことをお話しさせていただきました。今後もこのブログでわたしの失敗をふんだんに含めた経験をお伝えします。
オラクルカードについては「感覚を高める」「文章力をつける」ことを目的に1日1枚引いています。
毎日引いているカードが誰かの日常のエッセンスになればいいと思っています。
カードやその作者「秋山峰男さん」「クレッグ・ジュンジュラスさん」は超有名というわけではないけれど、おふたりのパワーのすごさは自分がよくわかっているし、なにより「このカードを使って伝え続ける」というひとつのルーティンをこのブログに組み込みました。
木育(もくいく)は、自然体験活動のひとつです。
ざっくし「木に触れて、学び、感じ、ともに活きてほしい」ということをモットーにして活動を行っていますが、これだけで生計を立てるのはまだまだ難しい。そのためこちらは活動現場で場数を踏みつつ、もうひとつの「ガラクタ整理」で生計の「軸」を立て、活動に充てたいという考えです。
かいつまんで述べてしまいましたが、
ガラクタ整理は確実にみなさんを「変えます」。
変わりたくないというかたには無理強いをしませんが、変わることで先延ばしにしていることの解決策が見えてきて、それが「実行」できるまでに「変化」します。
このツールは、ほんとうに知っていただきたい。
「自分を変えたい」と強く想い
「ガラクタ整理」を体験する
個人ではなく、ひとりでも多くのかたの「大変貌」を、わたしは見たいです。