つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

誰にでも、どこにでもガラクタは出来る。大事なのはそこにある「原因」を知ること。「知ること」が「対処」につながります。

 

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ガラクタ整理 Season4をお送りしています。

ガラクタ整理師の竹内清文さんが東京で主催した「モノ&メンタル スペースクリアラー講座」に参加しました。そこで与えられた課題をこなすために自宅のガラクタ整理を行っています。

このシーズンでわたしは卒業アルバム以上のモノを手放すことになりました。

ガラクタ整理の時期は平成28(2016)年 2月~3月、そして4月(講座後)となっています。

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宿題として課したじぶんのモノのガラクタ整理。

 

 

 

前のめりぐらいの勢いでせっせとこなしました。

 

 

 

-紙袋-

 

じぶんが思っていたよりも多くの量を持っていたことが判明。

普段は雑紙を入れるゴミ袋として使用していましたが、増えるスピードが速く、あまり消化できていない状況と確認。そのため全体の1/3を処分することに。

 

選り分けの基準は特になかったと記憶していますが、オークションの梱包に使える可能性のあるものを中心に残していきました。

 

 

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 左のコンパクトになっているものが捨てるもの。

 

こんだけ?と思われても

 

「やらないよりは、はるかにまし」です。

 

 

-手紙-

 

靴が入っていた箱に入れて管理していた手紙。

前までのガラクタ整理でも減らしていましたが、今回はどこまで減らせるかやってみることに。

 

講座で手紙を例にして「なぜ残しておくのか」といったワークを行ったこともあり、手放すことに対してはなんらブレーキがかかることはありませんでした。それなりに量も多かったのですが、1通ずつ読み返してから処分しました(ほんとうは読まずに処分するのがベストです)。

 

結局、残った手紙は「2通」でした。

 

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 以前はこの3倍はありました。

 

-小物類-

 

これが一番のくせもの。

なぜかというとジャンルに関係なく「いろいろ」入っているから。

そのため結構気が散った記憶があります。

整理の方法は中身を全部出して広げ、そして選別を行っていく。

 

まずは捨てるもの、そして残すものに。

 

残したものから使うもの、そしてオークションに出すものと段階をつけました。

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 わけわからんものも含まれていた小物類

 

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 左を処分し、右は利用先を探すことに。

 

 

そうして次の講座の日程が近づき、再び上京しました。

 

 

 

 

第2回目は、まずガラクタ整理の報告とシェアから。

 

 

 

そのあとはまた講義になりました。

 

 

 

 

 

 

 

ガラクタの手放しかたについて

 

何がいったいかんたんで、何が難しいのでしょうか。

 

 

 

実は

 

 

 

捨てる ことがいちばん簡単。

 

 

 

そして、なんと

 

 

 

 

「修理」が一番難しいとのこと。

 

 

 

 

 

ちなみに「売る」「あげる」は中間くらい。

 

 

 

 

 

この理由としては

 

  1. 修理はやろうやろうと思っていてもなかなかやらずに時間が経過しやすい
  2. 売る、またあげることは相手の都合ですぐ手元からなくなることもあるし、都合がつかず手元に残ったままのときもある

 

 

 

 

 

この背景として

 

「現代は物質社会」というのが挙げられます。

 

 

よく

 

 

「モノは大事に」ということを小さい頃から教わったと思います。

 

 

それは「モノ」がある程度「有限」のものだったから。

大事に使えば中には長期間使えるものもありますが、いつかは手放すときが来ます。

 

 

しかし現代のモノは「かなりの長期間」使えることが前提。

なかには「半永久的」といった文句を使うモノも出てきたほど。

そうなってくると、モノへの価値観の認識が大きく変わってくるのです。

 

 

物事には適度な循環が必要だと思うのですが、その循環のペースもいつしか「人間」がコントロールしようとしている。そうなると過度な「もったいない」が生まれ、流れが停滞しがちになってくるのです。

 

 

 

 

 

 

 

その他注意事項として

 

 

 

 

 

 

「先延ばし(完璧主義)」

 

 

 

 

 

 

 

が挙げられました。

 

 

実はこの言葉が講座で出てきてから、竹内さんを含めた参加者全員が何かに目覚めることになります。

 

 

 

まず、先延ばしになる理由ですが

 

・時間がない

・量が多くてできない

・疲れてしまったからまた次回

 

 

 

つまりは

 

 

~したら、やるぞ

 

 

という、何かしらの「環境」が整うことを待ってしまっているのです。

 

 

 

 

では、その「~」は具体的に「いつ?」になるのでしょうか?

 

 

 

 

実は、その「いつ」は来ないのです。

 

いつまで経っても「できない」のです。

 

 

 

 

でも考えてみてください。

 

 

 

本当に「環境」が整わないとできないのでしょうか?

 

ほんの少しでもいいから、1つ・3つ・5つでもいいから、ガラクタ整理に手をつけることはできないのでしょうか。

 

「~」の部分をぐっと「現実」にしていくには。

 

 

 

 

それはやはり強い「気持ち」「意思」になってきます。

 

 

整うことを願っている環境はいわば「ルール」のようなものですが、このガラクタ整理でのルールは「環境」云々ということを言うより先に「1個」片づける。

 

それがいわゆる「枠」を取り外し、ガラクタ整理に拍車をかけるきっかけになります。

 

 

 

 

もちろんその他にも有効な方法というのがあって

 

・声に出して行う

 

・音楽をかける(選曲に注意)

 

というサポートもあります。

 

 

 

要はガラクタ整理に「集中」できる環境または条件を「自分で」整えるということ。

 

 

結局誰か、何か、ではなく「自分が」動かない限りは、ガラクタはずっとそのまま残ってしまうのです。

 

 

 

 

独断と偏見で「ガラクタ整理」向きな楽曲 その1

youtu.be

 

 

 

 

講座の最後では「書類」の整理について講義が行われました。

 

これ実は、重要度(プライオリティ)が高いもので、一筋縄ではいきません。

そのため、整理に関する一定の「ルール」を入れて取り掛かる必要があります。

 

 

ケースバイケースですね。

 

 

 

たとえば

 

・書類を持つ「量」を決めて取り掛かったり

・書類の量が自分が処理できる能力とイコール(=)であるか

・すぐに対処できるものであるか

 

など

 

幾つか注意しなければならないことがあります。

 

 

 

いちばんダメなのは

 

 

「とりあえず」という気持ち。

 

 

これが残ったままだと、雪だるま式に書類は増えていくものと思ってください。

 

 

 

 

 

講座の最後には前回同様「帰ったら整理するもの」を目標として発表。

 

わたしは

 

・レシート

・洗濯物

・借り物のゲーム

・PCソフト

 

などでした。

 

もちろん、早く進めば「先延ばし」を止める意味でも他のガラクタに着手してもよいとのこと。

 

 

 

ここでまた背中を押され、札幌に戻ることになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月開催の各種ワークショップ、参加者募集中です。

 

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

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「きょうのオラクルカード」

点描画アーティストで東京在住の秋山峰男さんの画と、ヒーラーでセドナ在住のクレッグ・ジュンジュラスさんのリーディングによる共作「インスピレイショナル・マンダラオラクルカード」を使用。1日に1枚ランダムに引いています。ここで綴っている文章は、わたしがそのカードから伝わってくるものを書き起こしたものです。

現在は「今日わたし以外の誰かに1枚のカードを伝えられるなら、わたしにそのカードを引かせてください」と念じて行っています。

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きょうのカードは

 

 

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No.6「Insight(洞察)」

 

 

キーワードは「直観的気づき」「理解力」「認識」

 

 

 

 

「内側に向かって、じぶんの本質を発見して」との願いが込められています。

 

直観的気づきは普段から起こる現象ですが、それを支えるバックボーンは深遠なるじぶんの「内側」にあります。

 

 

じぶんの「内側」へのアプローチがおろそかになれば、直観力も低下します。

しかし難しいのはその「直観」で感じたことの内容の上下が「わからない」こと。

 

いつだってわたしたちは「高い質」の認識を得ているとは限らないのではないでしょうか。

 

 

理解や認識は、これでもかという努力、つまりは行動の上に成り立つものであって、これを十分に行わない人が「理解」や「認識」したとしても、それは机上の域を出ないものにしかなりません。

 

よく「委ねる」「ありのままで」といったセリフや風潮、傾向がありますが、それを裏付ける「弛まぬ努力」があってこそ「委ねる」「ありのままで」といった姿勢が「活きて」くるのです。特に自分はなにもしないで「天の采配」とか「わたしにはわかっているから、あとは委ねるだけ」と言い放つのは、それは単純に「直観的気づき」に依存しているのみで、ほんとうの「認識」には至っていないと思うのですが、いかがでしょうか。

 

 

 

わたしたちは「光」であり「希望」であり「創造主」でもあります。

よく神様にもたとえられます(人には神が宿るといった考え)が、神様だって努力をしています。最初からなんでもできる人は、できる神はいない。

 

 

 

 

努力の積み重ね。洞察を深める。

 

 

 

この行為がさらなる「認識」をもたらし「理解力」を深める。

その引き出しがあってこそ「直観的気づき」を裏付け、さらには支えることができるのだと思います。