ガラクタ整理の記事を書こうとしたところへ、九州地方への緊急地震速報が流れました。
また暗闇の中での地震です。被害も大きいと思いますが、最小限で済むことを願います。
九州の地盤はわかりませんが、二次災害が広がらないことを願うばかりです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ガラクタ整理 Season4をお送りしています。
ガラクタ整理師の竹内清文さんが東京で主催した「モノ&メンタル スペースクリアラー講座」に参加しました。そこで与えられた課題をこなすために自宅のガラクタ整理を行っています。
このシーズンでわたしは卒業アルバム以上のモノを手放すことになりました。
ガラクタ整理の時期は平成28(2016)年 2月~3月、そして4月(講座後)となっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昨日は思いのままに書き連ねてしまいました。
感情的だったろうと思います。
上から目線だと言われても、仕方ありません。
それくらい、バカがつくほどの本気と思って笑ってください。
明日は竹内さんが札幌に来ますが、そんな中でも我が家のガラクタ整理は継続中です。
この数日間でも、我が家では「燃えるゴミ(燃やせるゴミ)」がたくさん出てきました。
これだけが「ほんの数日」で出てきたガラクタ。
このタイミングで何故こんなに出てきたかというと
「家族もガラクタ整理を始めた」
からです。
個人でのガラクタ整理でも相当数の処分品を出すことができますが、同居している家族「も」ガラクタ整理に動いてくれると、半端なく出てきます。
これはそれぞれの「価値観」が異なるためだと思いますが、それでも嬉しいのは「触発」されて動いているということ。決して「動いて」とお願いしているわけではありません。
わたしがガラクタ整理をしている光景を見て、出来るところから始めてくれました。
この「展開」は、実はたいへんに有効です。
たとえば
お子さんがなかなか片づけない。
「片付けなさい」と言っても、なかなか言うことを聞かない。
ではどうするか。
親が率先して「自分のモノ」のガラクタ整理を始める。続ける。
そうすると、徐々にでもですが、お子さんもご自分のモノを片づけるのです。
これは竹内さんのブログにも書かれていることですが、わたしが東京で受けてきた講座の参加者も仰っていました。
実は、わたしたちは
「片付け方」
を教わって育ってきてはいません。
なので
「片付けて」
と言われても、どうすればいいかわからないときがあります。
また、片づけるメリットがわからなかったりします。
そのメリットがわかったら。
片づけの方法を身に着けて、すっきりした空間を作りたくなることと思います。
ガラクタ整理と空間は、切っても切れない関係です。
これからは頻繁に窓を開ける季節が近づいて来ました。
すっきりした空間に、新しい風を舞い込ませましょう。
そのためにも、ガラクタ整理はとても大切なことなんです。
開催間近!!各種ワークショップ、参加者募集中です。
※着実に定員に近づいております。割引がありますので事前の振込がおすすめです。
振込について難しいという方は一度お問い合わせください。また、各種イベントについても不明点があればお気軽にお問い合わせください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「きょうのオラクルカード」
点描画アーティストで東京在住の秋山峰男さんの画と、ヒーラーでセドナ在住のクレッグ・ジュンジュラスさんのリーディングによる共作「インスピレイショナル・マンダラオラクルカード」を使用。1日に1枚ランダムに引いています。ここで綴っている文章は、わたしがそのカードから伝わってくるものを書き起こしたものです。
現在は「今日わたし以外の誰かに1枚のカードを伝えられるなら、わたしにそのカードを引かせてください」と念じて行っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
きょうのカードは
No.50「錬金術」
キーワードは「自然の魔法」「変質」「改革」「バイオレットの光線」
「改革」ということばに目が留まりました。
改革と言うと現在の体制に不満を抱いた民衆が蜂起して、現体制からの大幅な変換を起こすといったイメージがあります。
そこには「叫び」があったり「本音」があったりと、いわばこれでもかというくらいのエネルギーのぶつかりあいが生じています。
そのぶつかりあいがいわゆる「反応」し合い、とても大きなひとつの「力」をもたらします。
錬金術のキーワードに「革命」が入っているのにはしっくりきていませんでしたが、読み進めていくと少しずつですがその気持ちがわかるような感覚です。
錬金術の素になるのは物質もそうだろうと思いますが、ときにはひとの「ことば」であったり「こころ」であったりもします。
過去、錬金術が生み出すものは貴重なものとされ、研究に研究を重ねた時期がありました。
実際には「出来上がる」とされるものは現実化していませんが、その代わりにわたしたちはどこかのタイミングで「ものではない何か」を錬金術が生み出したものと知らずに認知しているかもしれません。
それは日本独特の「四季」の中にあったり「日本語」という独特の文化のなかでも、じゅうぶんに起こり得るものだと思います。