つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

あの日のこと。 ~雫が岩を穿つ。その先にある根源~

再び動き始めた、ガラクタ整理。

 

 

 

東京から竹内さんが来て、認定試験をパスしたら終わり、という気持ちはまったくありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

むしろ

 

 

 

 

 

「これから」

 

 

 

 

 

と感じていたのが不思議なところです。

 

 

 

 

実際、評価はいただいていたと思います。

それが、当時としては評価に聞こえなかったわけで。

 

 

 

 

 

 

 

「これから」の第1弾として「写真」の整理を行いました。

 

 

 

 

 

それと同時進行で進めていたのが「音楽ファイル」です。

 

 

音楽ファイルはジャンル分けしており、中身を見てみるとこちらも結構毛だらけ猫はいだらけ(古っ)な状態。PCに取り込んだものの聴いていないものもちらほら。

 

 

これらもこつこつ整理していくことにしました。

 

 

 

 

方法は

 

 

 

 

「聴いて整理」

 

 

 

 

正直、この方法はお勧めできません。

 

「さくっと消去できないの!?」という声が聞こえてきそう。

 

 

 

 

 

そうなんですよね。ささっとできればなんてことはないのです。

 

でもわたし、天邪鬼なので「敢えて」こういったことをやってしまいます。

損な性格でしょうか(汗)

 

 

 

 

 

 

 

実はコレ、現在も進行中なのでして、主に

 

 

・デスクワーク

・家事

・靴やかばん等のメンテナンス時

 

 

に音楽をかけています。

 

 

 

 

それも今ではだいぶ減り、全体の6割は消化できたと思います。

もちろん、写真よりは容量が大きいので、削除時は軽く10GB(ギガバイト)を超えていました。

 

 

 

 

 

 

その他のモノの整理としては

 

・カラーボックス・・・1×3タイプが3つ 2×3タイプが2つ

スチームクリーナー

・車輪付きたんす

 

 

 

 

 

「捨てる」ではなく

 

 

「誰かにあげる」ことをしました。

 

  

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整理前の押入れ。

 

 

これらは竹内さんが札幌に来る前には既に整理可能な状態にあったのですが、タイミングが合わず5月までそのままに。

 

 

このカラーボックスは当初押し入れの中にあり、本やCDを収納。

本とCDに関してはこれまでのガラクタ整理で数を少なくすることが出来ていたので、カラーボックスは不要となっていました。

 

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before

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after

 

 

押し入れは中の収納を大きく変え、カラーボックスを整理した代わりにたんすを設置。

車輪付きのたんすには家人の着物類が入っていたのですが、押し入れのたんすに移し、車輪つきのほうは知り合いに譲渡しました。これで部屋のスペースもぐっと広くなっています。

 

 

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 整理後の室内。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして見てみると

 

・目に見えるモノの整理(物質の整理)

・目に見えないモノの整理(データの整理)

 

 

それぞれ違うタイプのモノの整理を行っていました。

 

 

 

 

 

 

気がついたことは

 

「意外なところにもモノはある」

 

ことでしょうか。

 

 

 

そして

 

「人にあげる」「売却する」「粗大ごみの日に出す(要手続き)」

 

は、ずるずる時間をかけてしまう傾向が強いです。

 

 

 

 

 

わたしはどうしても

 

「タイミング」

 

を見てしまう癖があり、どうしても「スパッ」と整理が出来ません。

 

それに苦しみながら整理をしていくことと、それをわかりつつ整理をしていくことでは心の余裕差がかなりあることに気がつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして。

 

 

 

 

 

モノの整理が進めば、ココロの整理もしようと思えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日に感じた、竹内さんへの感情を整理するため、動き出したのです。