つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

あの日のこと。 ~悪い習慣こそ「引き寄せやすい」と身をもって知る。「嫌よ嫌よも好きのうち」にならないように。~

じぶんのこころを覗いていくと、宗教の整理前後でピリピリしていたことの他に、イベントの参加人数についてもピリピリしていたことがわかったと、先日の日記で述べていました。

 

 

 

これについての評価は、自分と他人とではまったく別なものとなり、自分の心持ちようがわかるようでした。

 

 

 

心の整理をすると決めたはいいのですが、当初は整理する前に感情や体調が邪魔をしてなかなか取り掛かることが出来なかったことで、いざ整理をしてみるとなんてことはないのですが、いかに自分の「想像力」が「虚像」に仕立てていたかがよくわかりました。

 

 

 

 

 

 

 

「人数」にこだわった理由。

 

それは、ある「イベント」の手伝いを経験したことがきっかけでした。

 

 

 

イベント会場でのキャパシティはおよそ30人。

大々的に告知するには微妙な人数だったので、それぞれ個別に参加を呼び掛けることになりました。

 

 

ただ、このイベントは「クローズド」であったため、参加されるメンバーにも一定の「条件」が求められました。

 

 

 

 

なかなかオープンにできない状況のなかで、条件に合ったひとを見極めて声をかけるというのは意外に大変、かと思いきや、一気に2/3が埋まるほどのスピードで次々と参加が決まっていく状況となりました。

 

 

 

 

かなり早い段階で人数の大半が集まったのはよかったのですが、困ったことがありました。

これから話す困ったことなのですが、すべて「同じ人」になるわけですが、ある意味スケールの大きい、そして二度と一緒に手掛けたくないと思わせた経験になりました。

 

 

 

 

 

幾つか項目を上げると

 

 

  1. 人数と「名前」の管理
  2. 備品の管理
  3. 当日の運営体制
  4. スピリチュアルに偏った発言

 

 

てなとこでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

このイベントの運営に際してはかなりな「怒り」を抱いていました。

それが自分が手掛けるイベントにまで尾を引くとは思いもよりませんでした。

 

 

 

それぞれの項目を紐解いていくと・・・

 

 

 

 

 

 

人数と名前の管理について

 

誰が参加するというのはSNSのメッセージ機能を使っていましたが、だんだんスレッドが長くなってきたので、特に誰がという訳でもないのですが表を作成するようになりました。名前の確認とわざわざ書いたのは「間違い」があってはやはり失礼という観点からでした。

 

ところが、途中で「人数」や「名前」のことなどまったく考慮しない言動を発する人が出てきました。しかも、自分の発言をも忘れる始末で、こちらがスレッドにこう書いてあったよと言っても「書いてたっけ?」とまったく確認する様子もなし。そして「名前」もしばらく参加者の名前をしっかりと伝えなかったという経緯がありました。

 

そしてやってはいけないことを、この人はやってしまいます。

設定した人数きっちりではないですが、ほぼ定員で埋まっている状況となりましたので、イベント開催前に参加募集を「終了」することを提案し、一致を見ましたので募集を終了しました。が、その人は何の前触れもなしに「当日参加」の人がいると一方的に通知し、連れてきたのです。

 

さすがにこれには呆れました(笑)

ここを問い詰めると、これまでの参加の呼びかけに対しご自身のご家族を連れてきたかったようなのですが、直前で断念したことからわだかまりがあったようで、さも正当な理由による正当な行為だと主張。

 

 

これに対しては一切「謝罪」はありませんでした。

 

 

 

 

 

備品の管理について

 

これも打ち合わせで事前に何を買い、当日誰が会場へ持っていくかを打ち合わせたのですが、当日になって突如「あれがない」「これがない」「どうなってんのよ!」と運営メンバーから混乱した連絡が来ました。これには絶句 笑 で、打ち合わせした内容を伝えたところ、ひとりで忙しく動いていたようです。

 

 

 

当日の運営体制

 

受付や物販、送迎や会場設営など当日の体制を確認し、臨んだのですが・・・・・

実は、参加費用や物販でお金のやりとりが発生するため、運営メンバーについては参加費をお釣りの出ないようにあらかじめ用意しておくことが確認されていました(両替するまでもないと判断していたと思います)。ところが 笑 その人は悪びれた様子もなくお釣りの出る金額で支払い「違うところで使った」と言い「なんとかなるでしょ」的な空気を残していったのです。幸い、細かいお金を用意するために外出する必要はなかったのですが、その責任感の低さにげんなりしました。

 

またカチン 笑 (イベント当日、わたしは終始この人を殴ってやろうかと思っていた 笑)と来たことがあり、イベントが始まって会場内の全員が話に集中しているのに、余計な「ガヤ」を入れてくるというなんとも空気の読めない行動を連発。

 

 

隣にいて、恥ずかしくてたまりませんでした。

 

 

 

 

スピリチュアルに偏った発言

 

ここが最大の引き金になりました。

このイベントの運営に対してはある程度の注意を払う必要があり、勢いで参加人員を集めることが難しかったのですが、その人は偶然(しかもしばらくぶり)に会った友人に対しても次々と参加を確約し続けました。途中で参加の「条件」を考慮しない空気が出てきたのでやんわりと行動に気を付けて欲しいことを伝えましたが、聞く耳持たず。

 

 

 

 

逆に

 

「なんてすてきなタイミング。これも天の采配ね」

 

と、発言したのです。

 

 

 

これにはただ「ぽかーん」。

かんたんに言うと「お花畑」状態なわけです。

 

 

 

 

こういった発言が何回か続くと、こちらのやる気がなくなります。

 

だって「天の采配」だけで人が集まるなら、イベントが成功するなら、地道な努力は必要ないんじゃないかと思わせるほどの「繰り返し発言」だったからです。

 

 

 

 

もちろん生活していれば「天の采配」と思わせるような出来事はあります。

(晩御飯のおかずの材料を買いにスーパーに行ったらその商品が特売だったとか 笑)

 

しかしここはTPOを理解してよぉという感じ。

 

 

 

 

ほかのメンバーへの配慮もないままひとりだけ「抜けた」発言を繰り返していたため、この人の言動は「要チェック⇒要注意」となっていきました。

 

 

 

 

とまぁ、人間の地道な努力を無視した言動が続き、運営を少なからず混乱させたがために余計な処理がこちらに回ってきた、ということもありまして、イベントが終わった後に運営から身を退くことにしました。運営を「楽しむことが出来ない」という発言と、反省点やダメ出しを添えて。

 

 

 

 

 

こういった一部無責任な運営になってしまった経験を踏まえ、4月に行った3つのイベントに関してはそういった要素を排除するかの如くガリガリでゴリゴリな告知戦略を打ちました。媒体はブログとSNSそして告知のチラシ等で「天の采配」ではなく自分の力でやってみせるという意気込みで行ったのです。

 

 

 

 

 

全イベント、設定した人数いっぱいにする。

これははかなくも達成できませんでした。

 

 

これに対する反省はすでにしていましたが、日が経つごとに、徐々にですが「この時の自分はどういった姿勢であったか」が浸透していくようにわかっていきました。

 

 

 

 

 

 

形は違えど、ここまで酷評していた「その人」そっくりだったと思います。

 

 

いちばん真似したくない例を、引き寄せてしまったのだと思いました。

これは素直に認めたくないですが、冷静に見てみると、納得のいく理由です。

 

 

 

 

 

 

 

「その人」は「伝える」のが上手な人でした。

しかし「スピリチュアルな要素」に偏った発言が重なり、信頼感を失います。

 

 

 

 

そのいずれも、生きていくことには「必要な要素」ではあります。

 

現実的な考えも必要。

しかし、宗教的考えやスピリチュアル的要素を含んだこともこの世界には実際にあります。

 

 

 

 

 

でも基本的な姿勢は「中庸」であることが、本来は理想だと思います。

 

そのスタンス・ドット(立ち位置)が「自分が知らないうちにずれて」いけばどうなるか。

 

 

 

 

 

 

仮にそれが「正しい」内容であったとしても、伝える側の「立ち位置」によっては、熱心に耳を傾けて聴くどころか、シャットアウトされてしまうこともあるということ。

 

 

 

 

 

 

 

わたしはやっと、それが少しわかったような気がします。

 

次回はもう少しいい運営ができるな、したいなと思いました。