つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「どれくらい」書くか、ではなく。中身を意識することにフォーカスを。

今年1月1日からブログを始めて、早6か月が経過しました。今日はどんなことを書こうかと悩んだ日もあれば、ガラクタ整理の振り返り記事をシーズン化して書いたこともあります。そうこうしているうちに気づいたことがあって、それは「字数」に囚われているかな、ということでした。

 

ブログで文字を綴っていくと、意外にも文字数を気にすることはありません。極端に少ない場合は「今何文字だろ」と気にすることはあります。これもちょっと変な話で、重要なのは「文字数」ではないということ。大事なのは「話の中身」だということを、ちょいちょい忘れてしまいます。どうして文字数を気にするんだろうと思いましたら、大学時代のことが浮かんできました。

 

 

 

大学時代は通信教育部というところに在籍しており、単位を取るためには「授業」を受けることよりも「レポート」を提出する割合がぐっと高かったのです。そしてそのレポートも、提出の条件として「何文字以上書くこと」と提示していたため、否が応でも「文字数」を考えながら手書きでレポートを書いていた記憶があります。

 

その頃はパソコンで文書作成という習慣ではなかったため、圧倒的に手書きが主流の時代でした。それが今ではかんたんにデジタル機器で文書を作成できるため、1時間かけて作成した1通のレポートに相当する文字数を、その半分以下の時間で書き上げることが出来ます。そこに錯覚を受けたのか、頭の中の考えが追い付かないのか、時折「あれ?何書いていたっけ?」と逆に立ち止まることもあり、果たしていのか悪いのかわからなくなることも(笑)。

 

 

 

ブログを始めてまだ間もない頃は「きょうは何文字書いた」と自画自賛していましたが、これがだんだんと「文字数ではなく中身のある記事を」という方向へ変わっていきました。決してこれまでの記事はのんべんだらりと書いていたわけではないですが、小説のように読者をぐっと引き込むことができるような文章力・表現力をつけていこうという意識が強まっています。それは専門的な言葉を並べ立てて語るのではなく、より多くの人が理解できる文章を構成することを意識して実践していくことにつながります。

 

 

 

これまでに書いてきたガラクタ整理の記事でさえ「わからない」と言う人はいると思います。それはしょうがいと思う反面、じゃあ次回はちょっとでもわかってもらうためにじぶんが出来ることはないか?と反省しアップデートしていくことで自他ともに理解の幅が広がるようにイメージをしていく。これはもう完全に自主トレの世界ですが、その「地道な努力」の積み重ねが未知の扉を開いてくれるような気がしています。

 

 

 

わたしにとって「文章を書く」とはいろいろな意味がありますが、それはガラクタ整理と同じように「すっきり」することを目指す行為になります。思考や感情のもやもやがなくなることで日常がスムーズに変化していくのであれば、辛くても苦しくても続けていこうと改めて思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上までの文章でおよそ1.200文字。大学時代にせっせと書いていたレポートの、必須の記載文字数になります。読めば早いと思いますが、これを直筆で書けば意外と時間がかかるんですよね。学生時代はタコが出来るくらいにせっせと書いてました(笑)