つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

参議院選挙から見えた「とってもおおきな癖」。

先日行われた参議院選挙。

 

結果は与党側の勝利となり、大方の予想通りという結果になったのだと思います。

わたしも今回は期日前投票にて選挙区と比例代表、それぞれ投じてきました。

選挙公報も「いつもより早く」届き、熟読(いつもは投票日の2・3日前頃に投函)。

ああでもない、こうでもないとブツブツ言いながらやっとの思いで投票先を決め、投票してきました。

 

 

投票日当日の夜は選挙特番を見るようになってから、どれくらい経ったでしょうか。

放映中の番組がそれしかないからだとかいろいろと理由はありますが、最低でもその選挙の結果がどうなったかを知ることが必要と感じたためかもしれません。選挙というイベントから見える思惑や投票する側の感情、いまこの時代の風潮を噛み締めながら、投開票後の新聞記事を読みながら、いろいろと考えるところがありました。

 

 

ここではあくまで「じぶんが感じたこと」を書いていきます。こと政治や宗教に関しては「ナーバス」になったり「タブー視」されたりと、ときにはその道の人もよくわかっていないんじゃないか(笑)と思うことがあります。選挙期間中にSNSを見ていましたら、とある候補の応援コメント等をシェアした人のところへ「政治も知らない素人が好き勝手なことを書くな」という批判コメントが寄せられたそうです。それをどうこういうつもりはないのですが、ここまで「狂わせる」ものはなんなのだろうと思ったことは言うまでもありません。

 

 

 

―したたかな与党 正直すぎた野党―

 

今回の選挙の印象です。新聞やテレビなどの報道でも言われている通り、与党側は選挙期間中「憲法改正」については言葉を発しなかったそうです。逆に野党は「憲法改正」について声高く叫び、与党を非難したそうです。安保法をめぐる騒動を含め「戦闘行為」がよぎる物事に対しては敏感で、かつ強固な姿勢を取っていた人たちが多くいたはずなのですが、そのような熱をものともせず、経済政策などを訴えた与党が議席をより強固なものとしてしまったことには皮肉を感じました。

 

報道で聞く範囲では、自分の党や自身の政策を訴え、他党(または他の候補)を批判するというこれまでの演説方法がとられましたが、与党と野党それぞれが違う内容を訴えており、最終的に「焦点」が定まることはなかった感があります。討論番組は結局見ることは

なかったのでわからないのですが、印象として「情報戦」を制したのはこれに長けた与党側、ということになったと思います。もちろん、与党の主張に対する反論や対案等は掲げていたと思います。それが浸透しなかった原因があるはずなので、次の選挙にどう活かしていくかがポイントだと思います。

 

 

 

―説得力に欠けたと感じたままの世論が生み出したもの―

 

度重なる失言や不祥事、公約の反故等で信用や信頼が地に堕ち、ついには地面を掘ってしまうくらいに下降したということをほんとうに多くの人が感じていると思います。信用に足る出来事や実績が示されない(と感じている)まま月日が流れているため、投票する側も何を「焦点」に指示すればいいかわからないし、材料が見つからない。そうこうしていくうちに「無党派層」と呼ばれる一番巨大な組織が出来上がってしまいました。

 

何を基準に投票すればいいかわからない。

 

これは、いつどの選挙でも出てくる言葉だと思います。

そして難しいのは、その基準を統一するのはほぼ不可能だということです。

日本という国はとても広いです。北と南では文化風習が異なります。

よって、何が一番大事かということも変わってくる場合があります。

「何言ってるの!今は○○の問題が一番でしょ!!」という声が聞こえてきそうですが、その声とは裏腹の結果が、この参院選では出たように思います。

 

今回の選挙で投票できる国民の年齢が引き下げられました。

それでもというか、なんというか、投票率は上がることはありませんでした。

 

より多くの世代を対象として行われた選挙ですが、これほどまでに「投票してもね~」という空気を感じたことはありません。もう夢も希望もないといった感じが多かったのではと思います。

 

 

世論調査や数々の報道でも「与党は信用できない」「与党は結果を出していない」といった声を多く聞くのですが、フタを開けてみたら与党の勝利になってしまうのはどういうことだろう?と考えたら、与党へ投票した人はもちろん「投票しない人も」与党を支持したと同じような力が働いたんだなと感じました。

 

理由としては野党に票が入らなければ与党を上回ることがなく、政権交代をはじめ様々なことを推し進めていくことは不可能です。「与党にも野党にも投票しない」と決めている人の意思は尊重したいところですが、皮肉にもそれは「得票が多い政党」を応援していることにつながってしまうということを切実に知るべきなんだと思いました。

 

 

 

この次の選挙はいつになるかはわかりませんが、その間にわたしたちがやるべきことは「政治」「政策」を勉強するとともに「政党」「議員」も勉強していかなくてはと感じました。それほどの余裕がみなさんあるわけではないですが、短期間で決めようとするから、メディアの報道にうんざりしすぎているから投票先が決まらないのではと思っています。

 

その反面、世の中が変わって欲しいと強く願う人たちは日に日に増えています。そのアンバランスな状態をいつまでも続けていてはだめだと思います。大事なことを先延ばしにしてしまうことで、取り返しのつかないことになったという経験をした人も多くいらっしゃると思います。そう簡単にいかないかもしれませんが「変えたい」と思うのであれば、確実に投票に行くことだと思います。1票を投じることだと思います。

 

 

 

 

 

 

毎回選挙後は「不正云々」という話が聞こえていますが、それすらも圧倒するほどの投票をしていくことが必要です。与党であっても、野党であっても、得票数が劇的に変わればその口から出る言葉や行おうと考えていることに変化が生じてくるはずです。不正は許すことは出来ませんが、現在の選挙制度や選挙活動の方法が「がらっと」変わらない限りはずっとついてくる問題です。それを嘆きはするが投票しないでは、いつまで経っても「どうせ~」という癖は抜けません。

 

 

 

周りはとやかく色んなことを言います。ときには自分の責任等そっちのけで。

それに流されることなく、じぶんの目で見たこと、耳で聞いたことを材料として、何かを「変える」ための行動を起こして欲しいと願っています。それは選挙であっても、日常生活におけることでも同じです。誰かが変えてくれる、誰かがおぜん立てしてくれるわけではないのです。いつまでもいつまでも待っていてはだめです。無駄です。

 

これはわたし個人の感覚や見解ですが、何かが動くとき、それはいつも「ひとり」の行動がきっかけだったように思います。それが賛同を呼んで集団になって・・・という流れは枚挙にいとまがないですが、勇気あるひとりの行動が、世界を劇的に変えてきた歴史は確実に残っていますし、これからも起こりうることです。

 

たとえひとり「だけ」の行動では小さいものだったとしても、行動を起こすことによって賛同の輪が集まってきます。そうすると「無視できない規模」にまでその行動は発展します。それは一種のムーブメントです。そしてビッグウェーブが起き、法案成立の大きな後押しになったりするのです。

 

投票先が与党であれ野党であれ「ひとりの行動」が数多に起こることで世の中の風潮は大きく変わります。そのひとつに「投票率」があると個人的には思っています。とかく湿っぽい話題が多い今日ですが、投票に関しても、仕事やプライベートに関しても、誰かが何かをしてくれるのをひたすら待つ、のではなく、行動を起こすことが「実は最大の解決方法」だということを知って欲しいと思います。

 

 

それにしても、選挙特番の池上彰さん、インタビューするさまはまるで「圧迫面接」でした。これには嫌悪感を示す人もいるかもしれませんね。