連日、正式にリリースするメニューを作成しています。
数か月前では考えもしなかったことを、いま自分の手で動かそうとしています。
メニューは一応完成し、何人かの方に見ていただいているところですが、それに合わせてこさえたい資料があるな・・・などと思いつきつつ、まずは地道な作業に取り組んでいます。
自分で動く。
4月の段階では、まだまだそこまで考えは至っていませんでした。
その及び腰な姿勢をぶっ壊し(笑)、前に出ようと思うようになったのは、まぎれもなく4月のイベント中に経験したことが礎になります。それはわたしにとってはとぉ~っても辛く、とぉぉ~っても苦しい経験でしたが、当時のわたしが感じた「成功」とはほど遠い経験が、結果としてわたしの今後のためには「よかった」のです。
当時はどうしてだ、なんでだ、こんなに頑張ったのにと呪いのように(笑)ブツクサと腐っていたわたしでしたが、ようやくあの時のことが腑に落ち、憑き物が落ちたような感覚になりました。それはまるで凝り固まった「先入観」や「トラウマ」そして「これまでの経験」に囚われていた「心」や「魂」といったものが「解放」されたような感覚です。それは一気に解き放たれるという感覚ではなく、気がつけばというのが本音で、これは決して自分以外の存在がやってくれたということにはなりません。
成功体験というか、自分の自信につながる経験を積み重ねていくことはもちろん大切です。それがあってこそ、大きな一歩を踏み出せると思います。かといって、失敗は不要だとは思わないのです。それはごく当たり前のことなのかもしれませんが、実際に経験してみるとわかるのですが、実際は誰も「失敗はしたくない」と考えています。よって「頭で考えていることはまた別のこと」になりがちで、実際の経験を軽視してしまう傾向があるように思います。
あの時のことは果たして「失敗」であったのか。
それをどのように判断するかは人それぞれで、その人なりの価値基準があります。
わたしは当時、あの時のことは「失敗」というネガティブなイメージを持っていました。
それが今では、ネガティブなイメージがなくなっています。どうしてそうなったかと言えば、ガラクタ整理と同時に心の整理を行ったから、としか言えません。
あの時の出来事からも継続して続けていたからこそ、自分の力で一皮剝くことが出来たのだろうとしみじみ感じています。
痛みがわかる。
苦しみがわかる。
辛さがわかる。
失敗がわかる。
ネガティブがわかる。
それを経験している。
それがあったからこそ、自らを鍛え、そして自信がつき、いろんなものが好転していったのだと言えます。
ガラクタ整理をするとよい展開が訪れると、師匠である竹内さんが言っていましたが、わたしに訪れたのは「仕事」といった目に見える変化ではなく、実は生きていくうえですごい大切な「心」の変容であったと思います。
人生に必要な経験の中には「失敗」も含まれています。それを意識せずにというのは難しい話ですが「成功」も「失敗」ももともとは「ない」ものと考えることで、少しは気が楽になるのかなと思いつつ、また明日から頑張ろうという気持ちになりました。