つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

受け容れるということは、ていねいに生きるということ。きょうもあしたもていねいに。

今朝の北海道は、ところどころとても冷えたようです。

 

日中の札幌の気温は、おそらく20度いかなかったと思います。

地方によっては、朝の気温が一桁台だったところもあるようで、一気に秋の気配、そして冬の匂いが香ってきたような感覚です。

 

大雪山でも雪が降ったようです。紅葉は例年よりも遅かったようですが、それでも訪れる季節の便りに目を奪われる人がいることを嬉しく思いたいものです。

 

 

 

トレッキングやキャンプも来月くらいまでがピーク(地域によりけり)だと思っていて、今週末には再びボランティアで複数の山を登ります(縦走)。そして気温が低くなった時期になってはしまいますが、キャンプも実施することになっています。寒さが堪える時期に入りますが、秋の星空を眺めることが出来るのがとても楽しみです。

 

リオのパラリンピックも終了したようですね。プロ野球ペナントレースも残り10試合程度。季節の移り変わりといったニュースを見ると、改めて「変化」には逆らえない、受け容れなければならないなという考えが浮かんできます。

 

 

 

 

 

 

 

受容する、受け容れるという表現はあるものの、それがすんなりいくときと、なかなか強情になってしまい、安易に受け容れることができないときとがあります。それらすべてが何の抵抗なくすすめばもちろんいいのですが、そうは問屋がおろさぬのが人間の感情であり、思考であるようです。

 

 

 

かといって、受け容れるというのは「諦める」とはまったく違う感覚です。

諦めるが「脱力」と表現するなら、受け容れるというのは「自然体」であり、何ら余計な力がかかっていません。それが理想に近い立ち位置ではありますが、うまくいかないからこそ、却って私たちは成長を進めているのかもしれません。

 

 

 

 

 

今年のわたしのテーマとも思えるこの「受容」ということばは、様々な思索を与え、刺激し続けてくれます。答えが見つからないからこそ、解決しないからこそ、じぶんが触れる様々な物事から学び、活かすことにつないでいくことで自然と理解できる境地に達する、そのような流れに乗れることをふんわりと願いながら日々を過ごしています。

 

 

 

 

 

注意しなければならないのは「受容」の仕方。

 

 

 

 

「これは天の采配ね♪」と陽気になるのはいいのですが、それらの出来事はすべて大いなる存在がもたらしたもの、というスタンスは少々危険です。そこに依存してしまうと信用を失いますし、極端になると「責任転嫁」をすることだって考えられます。要するに自分は悪くないという考えが定着してしまうことが最も危険です。

 

わたしたちは何かに接することで「学び」を得てきましたし、その展開はこれからも変わりません。仮に天の采配のような出来事があったとしても、それは果たして人生全体の何%になるでしょうか?それが100%であることは決してありません。その理由は、大いなる存在は「傍観」が大原則とされています。そんな存在が、70億もいる人間に対していちいち「采配」を振るうかと言えば、少々疑問が残ります。采配を振るわれることで「自分は特別」といった感覚を得てしまうのは、結論から言って「残念」でしかありません。

 

わたしたちは感情もあれば思考もあります。ということは、何かに触れて学ぶことで「反省」だったり「啓発」もされたりします。そこにあるのは「謙虚な姿勢」そのもの。言い換えれば「ていねいに生きる」。いま、ていねいに生きているひとは果たしてどれだけいるでしょうか。

 

自分の利益にのみ目が行き、周りとの摩擦などお構いなしで突き進む人が目立つように感じてきた昨今。その人の生き方は決して「ていねい」ではないと思ってしまいます。その背景には「表面の感情」にのみ反応し、流され、そして行動してしまうという一種の「幼さ」が滲み出ています。それに気づきもせず、相手にはそれなりに立派なことを言い切ってしまう。そのアンバランスにも気がつかず、徐々に孤立してしまうのです。その展開を「天の采配」としか受け止めないがために、本質の課題を棚上げにしたまま、浪費を続けてしまうのです。

 

 

 

 

いつもこんなことを書いていますが、かつてのわたしも「そちら側」の人間でした。いまはあの時よりは「ていねいに」生きようとしているなと実感しています。様々な失敗等を反省し、1秒でも先の人生に活かそうとしています。この場ではことばで語ることしかできませんが、声を出して話すこと、そして自らが動くことで、それを表現していきたいと思うようになりました。

 

そのような考えに至ったのも、様々な人たちとの出逢いがあり、会話があり、思い出があるからです。時には感動し、時には振り返って反省する。それが少しでもできるようになっていけば、日常の光景は少しずつ変わっていくことでしょう。

 

 

 

 

 

 

明日はどんな出逢いがあって、どんな会話がされて、どんなことを想うのか。

 

 

それは予め用意されたものではなく、じぶんで動かしていくものだと思いたい。

だって、誰かが用意したものであったなら、面白くないから。

 

 

 

 

 

 

天邪鬼なわたしは、ついついそんなことを考えていました。

 

 

 

 

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