オークションを継続的に利用すると、いろんなことが見えてきます。
利用年数はかれこれ10年以上。
落札も経験しましたし、出品も経験しました。
その上での経験談と、感じたことを少し書いていこうと思います。
-せどりについて-
せどりとは自分で売れそうな商品を仕入れてはその値段よりも高く売却し、その差益を利益として稼いでいく方法です。
この方法は当初かなり注目され、ムック本などの所謂攻略本的なものも出版されました。それを勢いづけたのが「アマゾン」の「マーケットプレイス」という印象を持っています。
オークションとアマゾンのマーケットプレイスはまた違ったシステムでの販売を取っており、同業とはなかなか言えません。しかしお互いのシェアを取り合うという図式は、自ずと組みあがってきたように思います。
せどりにしても、アマゾンで売るにしても、諸経費というものがかかります。
所謂「手数料」ですね。
その手数料を考慮して、商品を「いくら」で売るのかが腕の見せ所でもありますし、いかに「売れる」商品を揃えるかも重要です。
レア本であればアマゾン、値段は低くても確実に売れるものであればヤフオク、といった具合に使い分けをしている人もいるかもしれません。
ただ、このせどりが「楽」な仕事かどうかと言われれば、決してそうではないと思っています。
その理由を幾つか挙げてみますと
・仕入れに時間がかかる
・確実に売れる(利益が上がるとは限らない)
・まとまった在庫管理スペースが必要
といった具合になります。
月々の利益がまとまったものになれば古物商を取得しなければならないことや、在庫品の管理及び確定申告の必要も出てきます。そういったのが元来好きであればストレスに感じることはないかもしれませんが、在庫でスペースの大半を占める生活を送るというのが、ぼくの場合はNGでした。加えて、現在はこのせどりを行っている個人事業主(副業を含む)の数が圧倒的に多くなってしまったため、利益も上がりづらくなったという切実な展開もあります。景気のいい時とそうでない時の様相そのものですが、その時にどのような業務展開を行うかが、当時としては考えが至りませんでした。
過去、このせどりについて少なからず勉強し、せどりで生計を立てようとしたことがあります。その時は最新のトレンド情報を収集するだけでも時間がかかったり、効率的に売れ筋をチェックすることが出来なかったため、その範囲を縮小するに至りました。現在仕入れ等は一切せず、個人所有のものに限定して行っています。
-梱包・発送作業について-
出品した商品が落札され、発送するために梱包する。
落札した商品が梱包され、自宅に発送される。
オークションを利用すると、梱包の状態について大いに学ぶ機会を得ることになります。
丁寧な梱包、雑な梱包、いろいろ見てきました。
「評価」というシステムがあるため、利用者は評価の数の多さと質を見定め、入札しようかどうかを判断する材料とします。そのため、評価で「悪い」が著しく多いと、魅力的な商品が出品されていたとしても後々トラブルになるということも予想されます。
ぼくが落札していた商品は主にCDでした。
たまにお酒や本といったものも落札しています。
当時の趣味(今もだが)はジャズとウイスキー、そして関連図書を購入するというのが主でした。
たまに頼まれて他のジャンルの商品を落札することもありましたが、届いたときに破損などのトラブルがあってはたまったものではありません。そのため梱包状態は大きなカギとなっていったのです。
ぼくが出品し、それが落札された際に使用する梱包物資ですが
・プチプチ
・透明の袋
・封筒
・紙袋
・緩衝用紙(古新聞や専用の紙など)
・テープ類
・あて名シール
があります。
当初はプリンターを持っていなかったので、あて名シールや郵便局に置いてあるあて名用紙をいただいてきては使用していた記憶があります。
梱包は、慣れるまでの間は本当に面倒で、やる気が起きなかった時間帯でもありました。
これはもう先延ばしの典型的な展開で、落札された商品を梱包しないと発送も出来ないですし、しまいには落札者から問い合わせがくる場合があります。
この梱包も慣れてしまえば大したことはないのですが、限られた条件で梱包するとなると逆に手間がかかってしまうこともあるので、事前に資材を用意していた方がよさそうです。
以前はひとつの商品の梱包にえっちらおっちら的なスピードで梱包していましたが、現在はかなりスピーディーになったと思っています。それは「慣れ」もありますが、苦手だったからこそ「集中」して取り組んできた結果であるとも思っています。いくらノークレーム・ノーリターンがルールだとはいっても、到着時に商品が破損しているというのはやはり気分がよくありません。未然に防ぐことが出来るトラブル(リスク)があるならば、事前にしっかり準備することでその心配が取り除かれるということをこの作業で大いに理解しました。
この梱包はオークションの発送のみならず、引越時やプレゼントの自前包装なんかのときにも(きっと)役立っていることでしょう(汗)
オークションについて経験したことを書いているだけで、意外にも文章がサクサク進みます。それだけのものがあったんだなぁと感慨深げに見ています。
とはいっても、このオークションですら、よくよく細部を見ていくと「先延ばし」の罠に陥る材料はそこかしこにありましたし、体調を理由にして先延ばししたこともあります。結果「この出品者は信用できない」と書き込まれたことも(ちなみにそいつはオークション初心者。なめんなよ 笑 )。
でも、先延ばしにしていると何らいいことはない(在庫は減らない・発送も出来ない・クレームにつながる可能性もある)ことから、先延ばしにしているタスクをいち早く昇華することがどれだけ自分にプラスになるということを、このオークションで経験したように思います。
今の世の中は、忙しさを理由に自己の責任を棚上げにして、相手の行動に委ね、それで評価の判断をしがちになっているように思います。それが実は先延ばしの典型的な例だと思わず、相手のとった行動、とらない行動に対してあれやこれやと評価し、自分の幸福のみの追求に走る-。果たしてそれは、ほんとうの、望むべき展開であり、結果なのでしょうか?
明日でお店を閉めることになった、長年お世話になっている店主と午後に打ち合わせをしてきましたが、忙しくなると気になっている人への便りを書くことや、訪ねることすらままならなくなると話していました。それは自身がお店を経営していることもあり、ある程度の制限がかかったのはしょうがないことだと思います。それでも何かしら気にしているということは、何らかのタイミングで行動に移せば良かったなと少なからず後悔しているからにほかなりません。自分が高齢であればあるほど、気にかけている人はひょっとしたら既に亡くなっているかもしれません。それを知り、やはり後悔してしまうのです。そして、人との関わり方を改めようと思うのです。果たして現代の若者やぼくの世代のひとには、そのような気概があるでしょうか?自分だけの人生だけではなく、受け身であっても、積極的に自分から動いても、ある程度の結果や結末、展開をしっかりと享受する責任はあると思っています。
はっきり言います。
忙しさは、理由ではなく言い訳です。
それはぼくにも言えることです。
そして、そのようなことばを用いてきたひとにも言えることです。
忙しいと言いながらも、まったく行動しなかった訳ではないでしょう?
じぶんの利益や幸せのためなら忙しくても行動するという、エゴを満たすためなら動くという人はごまんといるのです。
忙しさを理由に、人を選んで用いるのは傲慢以外の何者でもありません。
それを理解もせずに幸せを手にしたところで、同じような局面がまたやってきます。
その人が解決しなければならない「先延ばし」していることが、何度も何度も、たとえその人自身が「もう嫌だ」と泣き叫んだとしても、必要なことは解決するまで何回も目の前に現れるのです。
それを浅はかなスピリチュアルや、バカのひとつ覚えのようなポジティブ思考で受け止めようとしないでください。事の重大さを受け止めなさいと言いたいです。自分にだけはという論理は通用しません。特別な存在だと思わないでください。それこそが、自分は傷つきたくないという逃げの顕われです。
とまぁ、いまが幸せであれば上記のことは「ひがみ」程度にしか聴こえないと思います。
それはそれで仕方ありません。再度苦しみの時期が来たときにはこのことは忘れているでしょうし、思い出したかのように「どうして」と泣くだけでしょうから。
普段の生活が充実していたとしても。
今の生活が幸せそのものであったとしても。
先延ばししていることがあるなら、それはやがてやってきます。
先延ばしにすればするほど、それは大きくなります。
巨大化した課題を目の前にして誰かに助けを求めたとしても、結局は自分で解決しなければなりません。都合の悪い時だけ他人を頼ることはせず、自分が前に出るという気持ちを持つことで、先延ばしを解決し、後悔しない生活を送ることができるのだと思います。
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