つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

ぼくも忘れ物を取るために展開を起こします。~日本シリーズを振り返って③~

今年のプロ野球日本シリーズは、4勝2敗で北海道日本ハムファイターズが勝利し、頂点に立ちました。

 

 

結果としては日本ハムが勝ちましたが、どちらに転んでもおかしくない状況でした。それだけ、広島東洋カープというチームは驚異的な強さを持ったチームでした。

 

 

 

 

 

これまでの日記で試合ごとの感想を述べていきました。今日は最終回ということで、思ったことを書いていきます。

 

 

この日本シリーズは、両チームともにシーズン中に行っていたルーティンの如く、試合を運び、控えの選手を起用していきます。その流れがうまくいったチーム、うまくいかなかったチームがありますが、結果としてそれがシリーズ序盤と中盤で立場が逆転しました。肝心なのは立場が逆転したときで、その時にどのような采配を振るったかが、勝負の分かれ目を生んだように思います。

 

先発投手の交代のタイミング。

代打のタイミング。

責め方のサインのタイミング。

どんな球を投げるかのタイミング。

 

想えば局面局面が、すべてがタイミングでした

その細い細い糸を手繰り寄せ、爆発的な展開を起こすことに成功したのが、日本ハムだったように思います。

 

 

 

 

そして、明確に分かれたのが選手起用でした。

日本ハム側はシリーズ中、センターの陽を下げています。これはシーズン中のけがもあったし、不振に陥っていたので仕方ないかなと思うのですが、それでもベンチ入りはさせていました。

 

逆に、クライマックスシリーズで調子の悪かった田中賢介選手はそのまま起用しています。

そしてシリーズ序盤ではまったく快音を聴くことが出来なかった西川遥輝選手も我慢して使い続けました。

 

西川選手はシリーズ後半になり、一気に爆ぜます。それはこれまでの打席はタイミングを見計らっていたかのように見えるほどでした。結果シリーズでは2本のスリーベースヒットを生んだり、満塁ホームランを放っています。この結果を生んだのは、かつて同じような状況でも信じて使い続けた中田翔選手への厚い信頼に似ているものでした。

 

いっぽう広島は、新井選手をスタメンから外した試合がありました。

札幌ドームではDHに入りましたが、最後の試合では4番はエルドレッド選手だったと記憶しています。この4番の存在が大きく影響していたのではないかと思うのがぼくの考えで、精神的支柱としても、4番に新井選手は座るべきだと思いましたし、守備につくべきだったと考えています。それはある意味、黒田選手に託す思いに似ているかもしれません。その支柱がベンチにいるか、グラウンドにいるかでも、違うような気がしてなりません。

 

 

 

最後は、監督の存在です。

日本ハムの栗山監督は優勝インタビューで「選手に無理をさせた」「選手に無茶をさせた」といった旨の話をしていました。それは選手の起用方法について、大胆であり意表を突く起用法を行ったり、投手に関しては配置転換や連投をさせたりと、フレキシブルと言っては聞こえはいいですが、全員がマルチに、そして必死になって監督の指示に対して反応し、動いたということになります。思えば日本シリーズはクローザーが不在で、試合期間中に唯一セーブを挙げているのが宮西投手です。その他はサヨナラ勝ちが2回、大差をつけての勝利が1回です。終わってみれば不思議にしか思えないのですが、クローザーの出番が少なかったように感じました。

 

その分、中継ぎ投手は大車輪の活躍です。ボールが安定しないのは仕方ありません。だって日本シリーズですから。緊張してアタリマエなのです。後はどうやって打ち克つか。だからよけいに、よく投げてくれたと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

「忘れ物を、取りに行きます」

 

これは日本シリーズに臨む際語った栗山監督のことばです。

 

 

 

この忘れ物は前回の日本シリーズ、巨人に負けて日本一を逃したことを指します。

 

この悔しさを「忘れ物」と表現したことに、北海道民だからでしょうか、それともぼく個人の現状からでしょうか、とても共感ができました。

 

結果、忘れ物を再び手中にすることができました。その喜びはひとしおで、ことばに出来ないものだと思います。しかしながら、それがゴールではありません。そこが辛いところであり、また楽しいところでもあります。来年はどんな野球を見せてくれるでしょうか。どんな夢を見せてくれるでしょうか。そこから学ぶことは、今年同様多いような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

忘れ物

 

と言われると、普通は出掛ける際、その場から離れる際、いた場所に「何か」を置きっぱなしにすることを言うと思います。

 

それを栗山監督は「日本シリーズ優勝」という、抽象的なモノを対象として使用しました。

そうやって見ていくと、モノに限らず、いろんなことを忘れてきてしまったように思います。

 

それは切実なことだったり、大人の事情だったりします。それを常識だと言い聞かせながら進んできたことでもあると思います。

 

 

 

その「忘れ物」とは、ある人にとっては大切な人であったり、ある人にとっては大切なモノだったり、またある人にとっては大切な出来事であったりすると思います。それは一度自分の手元から離れてしまう、離れてしまいそうになることは、この人生を見ればよくあることだと思いますが、じぶんとの距離が開いてしまったときに、果たしてその事実を「どう」受け止めていらっしゃるでしょうか。

 

 

 

仕方ない?

だって?

わたしはこうだから?

これが普通だから?

わたしはできない?

それが運命?

それが宿命?

他にもっといい人、いいモノ、いい出来事があるから?

 

 

 

それでもいいかもしれません。

 

ぼくもこれまでは、そうでしたから。

そうだったから、結果として病んだのです。体力も気力も堕ちるところまで堕ちました。

言えることは、背を向けて影響がある人、ない人がいるということです。

 

 

ぼくは何度か、疲れ切った経験を持ちました。その際には正常な判断が出来ず、純粋に「もう充分に生きた」という感想をもったほどです。

それが、という一言では言い尽くせませんが、そこから訪れた出逢いや場所への赴き、ガラクタ整理やオラクルカードをはじめとしたメソッドとの邂逅を経て、再び歩き始めました。時折不安になり、悩み、悔むこともありますが、その進むべき方向は定まりました。栗山監督のことばを借りるなら「忘れ物」を取りに行くためです。

 

その姿勢を聞いたひとたちはどう思うかはわかりません。

何も「想わないように」装うかもしれません。

もしかすると、流れが大きく変わることも考えられますが、それはおよそ人間ではわからないところでの現象になると思います。

 

 

 

栗山監督の著書「覚悟」の中で

『セオリーはセオリーでしかない』

ということばあります。

 

たとえ起きた出来事に対して「それが普通だ」「それが常識だ」とじぶんではまっとうな判断・行動を起こしたとしても、それはセオリーという「枠」に嵌っているということになります。

 

 

また著書「伝える。」からは

『情熱で人を変えることはできない。人を動かすのは真心でしかない』

ということばがあります。

 

今回の日本シリーズ優勝は、この真心がしっかりと選手やコーチに伝わったからだと思います。

 

そして言っておきたいことは、真心は受け止めるだけでは、だめです。

真心を待っているだけ、というのは、一言でいえば欲張りです。

自分は受け取ってばかり。でも自分からは真心は伝えない。だって疲れたし、だって、だって・・・というのでは、それはやはり狭い世界での「セオリーの枠」に逃げていると言えます。

 

 

 

かんたんに説明し、伝え、届けるのは難しいことこの上ないのですが、ぼくがやってみて、今後も感じたことを書いていきます。それは人にとっては共感を呼ぶこともあるでしょうし、反感を買うこともあるでしょう。それでも、ぼくは青春時代からことばを扱ってきました。だからこそ、伝えるということに覚悟を持ちたいと思うのです。表現が大きいですが、それこそ命を削るという覚悟で。

 

 

 

相手のことを想って伝えるというのは、かんたんなようで難しいことです。

相手のことを想ってということの中に、枠が隠れているからです。

感情のぶつかり合いもときにはいいかもしれません。それでも大事なのは、相手への想いを伝えることばが、どのような立場にあるかです。それを届けるタイミング、相手が読むタイミングもありますが、そこまで計算しようと思っても計算し尽すことはできません。だから、伝えるのみです。届けるのみです。必死で、忘れ物を取りに行くのみです。

 

その姿勢がどのような展開、どのような結果をもたらすかはわかりません。

でもそれが、じぶんに嘘をつくことのない、本来のあるべき佇まいなのだと思います。

 

 

 

 

 

 

昨日必要な書類を探すためガサゴソしていたら、不要になった書類やパンフレットが目につきました。しばらく収納してあったのですっかり忘れてしまっていましたが、時間の経過とともに、必要かどうかの度合いは顕著に変化するのだと改めて感じました。年末に差し掛かる前に思わぬかたちでガラクタの整理をすることになりましたが、こういった定期的なチェックは、持ち物に限らず、考えや気持ちにおいても同じことだと感じました。

 

 

今朝引いたオラクルカード。

カードはNo.26「平和」でした。

 

 

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ここでは「自分の力では変えられないことを受け入れ~」という一文があります。

それは「無駄だ。諦めろ。」と聞こえるときもあるかもしれません。でももういっぽうでは「今に一喜一憂するな。全体を見ろ。」と言われているようにも思えます。

 

人生の数十年間は、その魂が活きる時間としては「短すぎる」のだと思いますが、どうしてもわたしたちはこの世界に活きているであろう時間を対象として、ああだこうだと言いながら判断し、ときには傷つけあい、望む幸福を求め歩いています。その動きに「選択」や「妥協」、そして「セオリー」があってはいけません。海面が悪天候で荒れていても、海の中は実は穏やかであったりします。わたしたちが追い求めるべきところは、海面にではなく、水底にあるのだということを感じていきましょう。そこに行くまでが試練の連続ですが、その穏やかさの中にこそ「平和」があるのであり、枠に囚われていない「軸」があるのだと思います。

 

「今を信じて進んでください」ということばが、このカードの説明文の最後にあります。

いまはどんなに辛くても。苦しくても。充実していても、不安でも。

信じて進んだからこそ、北海道日本ハムファイターズは忘れ物を取り戻しました。

 

ぼくもまた、それに続くべく、信じて進もうと思います。

 

 

 

 

日本ハム パ・リーグ優勝時の記事はコチラ

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日本シリーズ優勝時の記事はコチラ

 

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日本シリーズ期間中に思わず書いたのがコチラ

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