つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

忘れても、思い出さなくなっても、ぼくは、ぜったい、忘れない。

今月1日、映画館のファーストデイでこの人気映画を観てきました。

 

 

 

 

それは君の名は。でした。

 

公式サイト

 

www.kiminona.com

 

 

予告動画

youtu.be

 

 

 

 

 

新海誠さんの新作で、8月末から封切りしているにも関わらず、ロングラン興行中です。

 

この映画と同時期に公開された「聲の形」は試写会で観てきたのですが(も一回観たい)、話題になっているこちらの作品はまだだったので、朝の回で観てきました。

 

 

 

 

多くのかたが観ている作品ですが、まだ観ていない人もいらっしゃると思うので、ストーリーには触れず、純粋に感想と思ったことを書いていきますと、

 

 

まず「聲の形」と少し共通している部分を感じました。それがあったからヒットしたというわけではないのですが、逆に劇中ではそこを強調することで、キャラクター個々の感情や、観客であるひとたちの心を打ち、いろんな意味での感動を生んだように思います。

 

 

共通している部分とは「通常のコミュニケーションが出来ないという制限下での意思疎通」です。

 

聲の形は「耳が不自由な人」と「普通に会話ができる人」との意思疎通。

君の名は。は「過去の時間軸にいる人」と「現在の時間軸にいる人」との意思疎通。

 

そのやりとりがもどかしく、また、伝えるときはシンプルになっていく様を観て、納得しながら感動しつつ、グラフィックの素晴らしさに見とれていました。

 

 

 

新海誠さんの作品は最初の作品から見ているのですが、まさしく日本人が創る物語だよなぁと感じています。

 

それは「心」とか「想い」にフォーカスを当てているところ。

洋画でもそれはあるのですが、日本独特の雰囲気というか、思いやりというかがそこかしこに見えて、それに心打たれたり、くすぐったかったり。でもそれがいいのです。

 

君の名は。も聲の形も、恋愛の要素を含みながら実は現代では希薄になってきたものに対する警鐘を鳴らしているようにも感じました。映画である以上は、その作品になんらかのメッセージというか、テーマがあります。昔は単純に楽しんでハイ終わりの作品も多くありましたが、いまはその意味合いや立ち位置がかなり変わってきましたし、気づかせてくれる、はっと思い出させてくれるいい機会になったりもします。その時に自分はどう思うかで、今後の展開の「幅」は大きく変わってくるように思います。

 

そしてこの映画、歌も音楽もよかったですね。

 

で、テレビでも特集されていましたが、最後のシーンでふたりが出逢うところ。

 

実際にその場所があるらしく、映画を観た人たちがその場所を訪れているそうです。

 

 

 

 

あのシーンは、思わず力が入りました(なんでだ)。

思いっきり右の拳を握り、血管が浮き出るまで力を入れていました。

 

それくらい、主人公であった彼と彼女の想いに共感しました。

 

 

 

あの作品はああだとかどうだとか批評する人たちが必ず出てきますが、最近読んだ本の中に「批評家は常に対岸にいる」といった主旨のことを書かれていました。となると、批判ありきということも考えられます。理解を得ることは難しいかもしれません。それはひょっとすると諦めるしかないのかもしれないです。「対岸」にいる間はね。

 

 

 

この作品を観て、忘れたくなかった人や物事はぼくにもあったな、ということを想い出しました。

 

想い出したとしても、その人や物事自体は想いだせないことも多く、その中には「これだけは忘れたくない」としていたこともたぶんあったはず。それを忘れるというのはどういうことだろう、と、ふと考えてしまいました。

 

それはもう必要ないからと考えたり、忘れないと次がこないという論理だったりなどいろんな原因が考えられますが、それでも、ずっとずっと忘れたくないことはあるんだってことを自分自身に深く刻み込みたいと、この映画を観て想うようになりました。

 

 

 

 

 

 

「いま」が充実しているから、忘れる。消えていく。

その人の名前も、顔も、姿も、そのひとと過ごした出来事も。

「いま」に追われているから、忘れる。消えていく。

じぶんが傷つけたことも、何を基準に選択したかということも。

 

 

 

忘れる前に、しっかりと決着をつけないこともあります。

忘れないように、しっかりと思い続けなければならないこともあります。

忘却は究極の棚上げのようなものです。それは面倒くささの勝利に近いことなのかもしれません。でもそれは「次の回(人生)に持越し」になるだけだと、ぼくは想います。

 

 

 

 

 

 

ぼくはいま、忘れたくないことがあります。

 

人の名前や顔、姿、聲、その人と過ごした時間、そしてその人への想い。

 

 

 

 

 

 

それは、ぼくの軸を形成している、大切なエッセンスになっているのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、今朝引いたカードがNo.1「創造」でした。

 

キーワードが発端・始まり・形成・土台

 

 

 

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初めて引いたカードです。

 

 

毎朝、瞑想後に自分で宣言を立て、1日の行動を展開しています。

言っていることは毎回同じなのですが、気持ちの入り方が回を増す毎に強く、純粋になっているような気がします。

 

このカードは原因と結果の法則に触れており、原因を追究し改善していけば結果は変わるということを教えてくれています。それは「君の名は。」でも表現されていることですし、わたしたちの普段の生活や、重要な局面においても訪れているはずです。それをすべて振り返る必要はないのかもしれませんが、振り返らずに「仕方ないこと」で済ませるのも大きな間違いです。歴史や経験があったからこそ、人類はここまで進んできました。その事実に目を向けずに、小我を満たすために動きながらも、表でまっとうなことをいうのは落差が発生します。それは結果として、大事なことを棚上げしている残念な人になってしまうということになります。それがたとえ、誰であってもです。

 

 

描かれているマンダラは、高次元への入り口を表しているそうです。

 

 

 

 

 

そこに飛び込めっ!

 

 

 

 

と、このカードは伝えているかもしれません。

 

それはまさしく、新たな始まりの合図なのだと思います。

 

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