きのうの雨から一変。
きょうは雪の一日となりました。
昨夜は家人を車で送っていったのですが、その時の雨の降り方が完全な大雨で驚き。
余程気圧が不安定なようです。風も強かったし、降りも強く、交差点ではあちこちに水たまりができるほど。視界も不良になっていたので、道行く車も心なしかスピードを緩めているようでした。
昨夜はずっと風が強かったのですが、今朝起きてみると更にびっくり。
まっしろになっていました。
もともと予報では平地でも積雪が~という話を聞いていたのですが、まさかここまでとはという感じです。降ってくる雪も完全に湿った雪と一目でわかるくらいの大きさで、午前中はずっと降っていたように思います。
で、雪がやんで表に出てみると。
ずっしり積もってました(涙)
どれくらいかというと、足首が完全に隠れるくらい。
吹き溜まりとかあるので確かなことは言えませんが積雪は15cm、20cmは余裕でクリアしている感じです。
また水分をたっぷり含んだ、湿った雪であったので、固まってしまうとこれまたやっかい。
そのため、天気が良い頃を見計らい、ママさんダンプで除雪することにしました。
結果。
足と手がガクブルです(涙)
雪がとても重く、移動するだけでもひと苦労。
昨シーズンも最初の雪は湿った雪だっただけに、いきなりこんなキツイ運動をすると、さすがに体は悲鳴を上げてしまうようです。
それでもやるしかないです。凍ってしまうと除雪がやりづらくなるので1時間ほどかけて駐車場を綺麗に除雪。加えて住んでいるマンションの玄関前も除雪しておきました。
1時間ぶっ通しで除雪を行うのは年齢的にきつく、途中小休止を入れつつ行いました。
これだけ湿った雪だと、雪玉とかを造るのはかんたんです。
と、いう訳で、久々に作ってみました。
コレです
む、むむ・・・・
ユキダルマニミエナイ・・・・・・
センスなしです(汗)
枝がまったく見えなくなってしまったので雪玉をくっつけたのですが、顔がいまいち(笑)
元来図工とかは苦手だったのですが、ここにきて如実にそのセンスの良さが出てしまいました。
とまぁ、途中遊びを加えつつ、除雪も無事終了。冬の除雪道具も引っ張り出し、スタンバイ完了です。今年は除雪の回数が少ないといいなぁ。
きょうは珍しく、お昼ごろまで寝ていました。
朝方一回起きたのですが、とてもではないけど眠くて眠くて。
水を飲んだ後に再び眠りにつきました。
昨晩は就寝した時間が早かったにも関わらず、ほぼ12時間かけて眠っていたことにちょっと驚いています。
それは単純に「疲れか?」と思ってしまうのはやはり年齢のせいなのでしょうが、起きてみた銀世界、真っ白な世界を見て、何だか「事前の準備」を体と心が察知して強制的に発動したようにも思えました。
雪が降り積もった影響なのか、外の音がそんなに聴こえてきません。
太陽の光が射したり、雲に隠れて陰ったりを感じながら、しばし瞑想を行いました。
瞑想もここ最近短時間しか行うことが出来ていないなと感じつつ、何も考えず、感じていることを客観的に捉えていくと、その姿勢というか、いまこの過ごしている時間が何とも心地よく感じることができました。そんな中でも、長時間眠ったことにより負担のかかった部位のコリなども感じましたし、時間を忘れそうになるくらいの佇まいが出来たようにも感じました。
これまでは、人は集中すると「一気に時間が経過してしまう」という考えでいたのですが、その逆もあるんじゃないだろうか?と考えてしまいました。それは「一瞬」の間に、それこそ何時間も何日間もかけて答えを導き出すようなことを、刹那のあいだに行ってしまうという感覚です。そんなことを想い至ったとき、人間に備わっている感覚の凄さに改めて気づきましたし、これは仕事等にも活かすことが出来るだろうと感じました。
その後、引いたカードが
No.19「復活」でした。
クレッグの解説を読むと、この復活に至るまでのあいだ、以下のようなプロセスを経るとのことです。それは
第一段階では苦しみがあり、古いやり方は機能せず、根本的に変わらなければいけないタイミングにさしかかります。
第二段階は、再生の過程に入りますが、苦しみが伴うこともあります。
第三段階は再生、補充、回復であり、自分が生まれ変わって活性化された力を得ます。
ひとはどこかで「これまでのやりかた」から脱却しなければならないときがやってきます。でもそれは「改革」と受け止められがちになり、これまでのやりかたが楽だという「保守」がベストな選択だとされてしまう流れが強くなります。
それは大事なことを先延ばしにしていることであり、棚上げでもあります。
言い換えればそれは「逃げ」であり、目的の範囲をかなり狭めて、必要最小限の利のみを求めてしまいがちになります。
復活とは、なんなのでしょうか。
それは体力的な回復を果たし、前線に再び起つことでもあります。
気力を取り戻すことや、自身の考えや想いが「間違ってない」と確信したときを指すこともあります。
ぼくは、これまで何度も倒れてきました。
その最もたるものは恋愛(汗 しかも片思い大半)でしたが、大人になると、仕事の仕方や姿勢、そして生きかたに対する摩擦を過分に受け、何回も倒れてきました。その姿を知るひとたちにとっては、じぶんの姿はとてもイタく、どうしょーもないと感じてたかもしれません。または「きみの気持ちはわかるけど、わたしはこの道を行くから」と、半ば諦めの姿勢でいた人もいます。
その時はそれで終わりだと思いますが、上記のような復活を遂げ、今も変わらぬ姿勢で貫いていたとしたら、以前その姿を見ていた人たちはどのように感じるでしょうか?
もしかしたら、鳥肌が立つかもしれません。背筋が凍る想いをする人もいるかもしれません。
現実的に考えたら無理でしょ、ということも、貫くことで変わる可能性など、充分にあり得ることです。「現実的に考えたら~」というのは、常識という「枠」でしかありません。枠に収まるということは、小さくなってしまうようにぼくは感じています。
復活は、単純に快復するという意味合いではありません。
大事なことを吸収して、それを受け容れたうえでの「再起」なのです。
打ちのめされても、心臓の鼓動が止まってもいいと思っても。
その想いを捨てることが出来ないなら。
その志を目指すと決めたなら。
それが苦しさを伴うとわかっていたうえでも、再び前に出ること。
その姿や佇まい、紡ぐことばから、復活とは単に回復することではなく、前の自分から脱皮・脱却した「新しいすがた」だと表現することができます。
それは過去に断じて選択したことを凌駕する、新しい価値観や世界感の創造につながるのだと思います。
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