つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

想いやことばがおいしいごはんになることもあれば、そのひとのすべてを否定するとどめにもなる。

久々に映画館へ足を運んでいます。

 

 

 

 

映画熱というのはやはりあるようで、ばばばっと観に行ったあとはしばらくのあいだ観に行くことがなくなったりします。今年は、夏から秋にかけて徐々にその熱が高まりました。

 

 

今年最初の映画は「聲の形」。これは試写会でした。

 

次に観に行ったのが「君の名は。」。これも素晴らしい作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてきょう、観に行ったのが

 

 

「続・深夜食堂でした。

 

 

 

 

公式サイト

 

www.meshiya-movie.com

 

 

 

 

 

 

 

深夜食堂の原作は漫画で、現在も週刊誌で連載しています。

 

その後テレビドラマ(地上波では3シリーズ、4シリーズ目はネット配信)になり、昨年映画化されました。今回はどうやらその続編のようです。

 

このドラマは「ご飯が出てきて、おいしく食べる」はしりで、その後「孤独のグルメ」や終電ごはん、ワカコ酒に侠飯、タチバナなどなど、次々とドラマ化されています。旅番組や散歩番組などで地元のお店を紹介し、ご飯などをおいしそうに食べるシーンがありますが、それとは異なる「美味しさ」が伝わってくるように感じました。

 

 

 

 

では感想を。

 

映画第1弾同様、幾つかのストーリーで構成されています。

このシリーズは短編小説のような感覚がありますが、どの内容も「読ませる」し「魅せる」。そして何より「引き込む」のです。ご飯の調理中の画もそうですが、出てきたご飯を映しているところ、そして何より、平成にはない「昭和」の匂いがする言葉の数々に、笑い、そして、涙ぐみました。

 

 

 

先ほど、自宅で映画第1作目を観ましたが、やはりよい作品だと思いました。このシリーズが続くなら、そのうち長編(お話1本のみ)が出てくるのかもしれません。それもいいだろうとは思いますが、このドラマで散りばめられている、セリフ(ことば)の波動というか、込められている想い(エネルギー)というものを感じ取ることができたような気がします。

 

 

 

ことばのあたたかさを感じるとき。

それが母国のことばであれば、誰しもが思うところかもしれません。

年をとったせいか、昔は見なかった邦画のドラマジャンルが、最近はよく見るようになりました。若い頃は恋愛ものやコメディ、歴史ものなど様々観てきましたが、こういった人情話の味わいというか、深みというのが少しずつ肌でわかってきたといえるのでしょう。

 

 

 

所詮、映像の中でのこと、実際は違うのでは?と思うこともあります。でも、出演していらっしゃる俳優さん、女優さんの演技と思えないほどの演技を観て、聞いて、感じていくと、まったく別世界のようには感じないと思うことがあります。ことばは違っても、似たようなシチュエーションであれば幾通りもこの日常の中で発生しているはず。その中で、どうやって、どれだけ相手を思いやるか。たとえ傷つけるつもりはなかったとしても、言った後でその放ったことばが「とどめを刺す」ものであったかどうかは、自分自身がいちばんよくわかっているはず。それをとぼけていたり、開き直ってしまった先の、粗末な展開を迎えて欲しくはないという暗黙のメッセージが流れているような、そんな気がしました(くどくどしてスイマセン)。

 

 

 

ぼく自身も料理はしますが、揚げ物や魚の調理はほぼ未経験に近いです。

それでも、煮る・焼く・蒸すなどの料理を少しずつ覚え、つくることの楽しさ、食べてもらうことの楽しさを覚えています。

 

食事をつくる際は、ほぼ無心でやっています。美味しくなって欲しいなと考えながらつくることもありますが、集中しているときは考えることすら忘れます。それはつまり、シンプルに食材と向き合っているのではと思うのです。そのように仮定したとして、ことばを紡ぐときはどうでしょうか。やはり同じように、向き合っていかなくてはならないと思うのです。だって、料理もことばも、相手に届けるためのものであるからです。

 

 

 

 

 

ことばというものをしっかりと磨き上げていこうと誓い、できるだけの範囲で精進しているためか、同じようなことを、対象や言い方を変えて書き続けてきたように思います。そこから発展が「ない」と感じ取られたなら、それはまだぼくが未熟もしくは「次の段階へ進むための準備中」なのかもしれません。想いすべてをことばに表現するのは、ひょっとしたら無理なことかもしれません。だけど最初から無理だからといって諦めるのは、何だか違うと感じてしまいます。たとえ無理でも、高められるところまで高めたい。シンプルに、多くのひとがわかるようなことばで伝えたい。ハードルはすごく高いですが、とても大きな痛みや苦しみ、辛さや想いに対してとどめを刺されながら、自分なりに考えてこの先の目指す先を見定めました。

 

現実的なことをいえば、甘っちょろい考えでしかないかもしれません。

しかし、これがなければ、現実的にもなり得なかったことを痛感するべきだと思います。

 

 

 

 

 

ガラクタ整理も、オラクルカードリーディングも、木育も。

ことばは重要なツールです。

そのツールをどのように使っていくかは、ひとりひとりに委ねられています。

委ねられているからこそ、じぶんが紡ぐことばが与える影響をしっかりと理解しなくてはなりません。

 

かんたんに言えば、その一言がきっかけで、誰かが死ぬことだってあるんですから。

その実感がないというのは甘えであり、無責任でしかありません。

それを自覚しないままでいれば・・・という展開になるのは想像に難くありません。

 

 

 

 

小学生のとき、いじめをしてたからこそ。

その清算で、高校生のときには逆の立場にたったからこそ。

事情を知らずに上司から「お前は仕事をしていない」と一方的に決めつけられたからこそ。

じぶんの利益や幸せのためなら、その効果も考えずにことばを投げつけられたからこそ。

 

たくさん泣いてきた。たくさん咽び泣いてきた。たくさん泣き叫んだ。

涙が枯れるまで泣いてきたからこそ。

 

 

 

 

 

ぼくは、ことばを蓄え、深みを掘り下げます。

そのひとにとって、伝わり届くことばを紡ぎたい。

がけっぷちの状況で、ひとりそのような覚悟を決めたことを想い出した、満月の夜でした。

 

 

 

 

 

さぁ、もう少しでめしやが開きます。

きょうの札幌は暖かい日となりました。

日中は外を歩いてもそんなに寒くありませんでした。

 

マスターには、何かつくってもらうとしましょう。

 

 

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きょうまでに読んだ本

 

りんごがいっぱい落ちている 見えてきた波動の世界 富澤勇 プレジデント社

アイランド 佐伯紅緒 徳間書店

 

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