つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「死んだって構わない」と決めて飛び込んだことを想い出したき、苦しみの海にいても溺れ沈むことは決してないと確信した。~ダンマの思い出⑤~

ヴィパッサナー瞑想の合宿期間は、10泊11日。

 

 

 

これが基本で、一度参加すればその後短期間の合宿や、1dayの研修会などに参加することができます。

 

現在、ヴィパッサナー瞑想の合宿を行っている地域が京都府と千葉県のみ。他の地域では、既に1度合宿を終えているメンバーが自主的に瞑想会を開いてはその後のシェアをしています。

 

 

 

瞑想に参加する人は「新しい生徒」と「古い生徒」に分けられますが、古い生徒は1度でも合宿に参加し、終えた人を指します。合宿は定期的に行われているようですが、合宿に参加する(新しい生徒になる)ためにはキャンセル待ちの状況で申し込むことも必要で、時期によっては根気よく待つことも必要です。

 

そしてめでたく古い生徒になっても、合宿に参加していくことができます。

もちろん、そのときの参加状況にもよりけりですが、生徒として参加する方法と、奉仕者として参加する方法に分かれてきます。

 

奉仕者とは言い換えればボランティアのようなもので、合宿に参加している人たちやアシスタント指導者への食事の提供や、施設内の清掃等の維持管理、そして瞑想合宿をつつがなく進行していくことがメインになります。では奉仕者は瞑想が出来ないのか?という疑問が生まれるのですが、どうやらまったく出来ないわけではないようです。極力時間を創ってホールでの瞑想に参加している姿を見ました。しかし、奉仕者であるため、トータルの瞑想時間はやはり少ないと思います。でも、奉仕者ならではの学びがあると仰っていましたので、古い生徒として参加する、そして奉仕者としても合宿に参加していくことが、瞑想を深める方途のひとつだそうです。

 

 

 

 

 

 

瞑想合宿の前半5日間は、苦行であり、荒行であり。生きた心地がしませんでした。

合宿に入る前の決意や覚悟をかんたんに打ち砕そうとする、からだやこころ全体に打ち響く、治まることのない痛み、そして「諦めろ」という、どこからともなく聴こえ続ける声。声を上げることもできない。ただひたすら瞑想するだけ。声を聴いてはくれるけれども、治療は施されない。我慢して続けるか、合宿を諦めてその場を離れるしか道はありませんでした。

 

 

 

あの時期を思い返すと、ほんとうにネガティブなことしか浮かばず、瞑想も1時間座ったと思っていたのがたったの10分だったりと、苦痛だったり、思うようにいかなかったり、集中できなかったりと、何しにここにきているんだろうという自問自答のときであったような気がします。前半でまともに瞑想に打ち込めたのは、ひょっとしたら初日くらいかもしれません。それくらい、2日目以降の瞑想はその表情ががらっと変わり、まさしく「牙を剝いた」状態でした。

 

 

 

「何かひとつのことに集中する」

 

 

 

聞こえはいいですが、この環境を創ってしまうと、意外と集中が出来なくなることがあります。

 

 

つまりは「集中できないから他のことで気を紛らす」時間に充てることが多くなってしまいます。

 

 

よく聴く話では、作家さんの筆が全然進まず、缶詰にされて締め切り寸前まで「書く」ことだけに取り組めるようにするとか。

 

部活等の合宿も、1日の大半を練習等に費やしますね。

 

 

 

調子が良いうちはそのような環境下でもなんとも思わないのですが、一度調子を崩してしまうと、途端にその環境下にいることが窮屈に、もしくはつまらなく感じてしまいます。そうなってしまうと集中力も散漫になり、本来やるべきことに力が入らなくなります。ここからの挽回というか、復帰はひょっとしたら難しいかもしれません。面談であったり、何か刺激になるような出来事を織り交ぜて、そのひと自身が改めて「向き合う」ように促していくしかないと感じています。

 

 

 

合宿前半でリタイアしたひとたちがまだ合宿に参加していた時の表情を想い浮かべてみますと、かなりきつそうな表情をしていました。合宿時の気温や湿度もその背景にありますが、大部分は自身のメンタルがやる気を支えています。リアイアしてしまった人の理由は、そんなかんたんな理由で、と思う人がいるかもしれませんが、経験してみないとわからない「辛さ」や「苦しさ」があったからこそ、ネガティブな気持ちが増幅してしまったといえます。命の危険を感じたわけではないと思うのですが、誰かにいつでもその辛さを聴いてもらえるわけではない状況下で、こと自分と向き合っていく時間が大半を占める中では、どのような感情であってもすぐさま膨れ上がり、ときには圧迫してしまうのはしかたのないことだと感じています。

 

 

 

 

いまこうして振り返りながら書いていましたら、当時の覚悟を決めた言葉が浮かんできました。

 

 

 

 

笑われてもしかたないのですが、そのときは

 

「死んだって構わない」

 

という気持ちで臨んでいました。

 

 

 

 

誤解しないでいただきたいのは、瞑想合宿へは「自らを死に追いやるため」ではありません。

 

でも、結果「死んだ」としても、後悔はしないという強い気持ちで臨んでいたことは確かです。

 

 

この瞑想で何か特別な力を得ることが出来る訳でもありません。

この合宿を終えることで、何か免許のようなものが授与されるわけでもありません。

極論を言えば、何も変わらない、何もわからないまま終わる可能性もあったわけです。

 

 

 

 

 

それでも。

 

 

 

 

 

 

ぼくは当時、ヴィパッサナー瞑想に賭ける、という想いがありました。

それは特別な力を望んでいた訳ではありません。

奇跡を望んでいた訳でもありません。

 

 

 

 

 

「変わらなければならない」

 

 

 

 

それが自分を動かした一番の理由です。

 

変わらなければ、失うものがあるだろう。

たとえ変わったとしても、失うことは止められないかもしれないけれど、何もしないよりは必死で何かをやって、それでダメだったと感じたほうが後悔はしないだろうと思ったのです。

 

 

 

 

キャプテン翼」という漫画の中で、主人公大空翼くんの親友である岬太郎くんのセリフに

 

 

「何もやらないで後悔するよりは、何かをやって後悔する」

 

 

といった決意ことばがありました(記憶を頼りに書いているので、この通りではないかもしれません)。

 

 

 

 

 

いまの自分にその力量や資格がなくても。

資格や力量がなくて諦めるよりも。

どうなるかわからないけれども。

 

何かをやる。

前に進む。

その結果は、わかりません。

 

それでも。

 

このままで終わるわけにはいかない。

 

 

 

そういった気持ちから、死ぬつもりでこの合宿に飛び込んだことを想いだしました。

 

痛みは日々続き、1時間の瞑想でも頻繁にその姿勢を変えている始末でしたが、いちど傾きかけたぼくのメンタルは、かろうじて踏みとどまり、痛みの中に身と心を置き、ひたすらそれを感じて味わいながら、文字通り必死に瞑想しました。

 

 

 

 

この痛みがいつまで続くだろうか。

 

 

 

 

そんな想いはずっと頭の中を支配していましたが、そんなの考えても仕方ないと開き直り、「ただ今」に集中して過ごすようになりました。

 

 

「いつか」ではなく「いま」。

 

 

いつまでも「いつか」と口にしていたら、仮にこの時点でリアイアしたとしても、またいつかは再挑戦すると言って、結局何もしないで終わってしまうだろうという危機感があります。

 

 

 

であるなら「いま」を大事にしたい。

 

片道切符でここまで来た。

もう後には退けないという強い気持ちで来た。

 

笑われたっていい。カッコ悪くたっていい。

そんな人には、わからないものがあるだけだから。

 

 

 

 

 

もう、向き合う相手は自分だけでした。

 

それはひとつの、境地のようなものであったかもしれません。

 

 

 

 

そういった状況に自分を持っていくことができてからさほど時間が経過しないうちに、ひとつの転機が訪れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは「ヴィパッサナーの日」でした。

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

修業とは何の為にあるのか 大峯回峰行者の行の軌跡 柳澤眞悟 よろず医療会ラダック基金

林住期(りんじゅうき) 五木寛之 幻冬舎 

 

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