体調が持ち直しましたので、きょうからバリバリ(たぶん)書いていきます。
さて、先週のハナシですが、聴講を申し込んでその参加が認められたので、こんな会に参加してきました。
それは
ゴルゴ松本「命の授業」。
聴講券と、ゴルゴさんの著書。
先週かでる2・7(施設名)で行われた「ほっとけない こころの健康づくり講演会」のメインとしてこの授業が行われ、新聞等の取材も入っていたようです。
どうやらこの日は「追加講演」を行っていた模様です。抽選ということばは聴きませんでしたが、予定を上回る申し込みがあったようで、予測ではお昼に1回、そして夜に1回この講演会を開催したものと思われます。
ぼくは夜の部に参加してきましたが、会の前半は「自殺の実態」と題して全国、そして札幌における自殺の実態と取組み等を紹介、ゲートキーパーをはじめとした運動の認知等に時間を割いていました。その後ゴルゴ松本さんの講演で、時間もここにいちばん時間を割いているというくらい。予定では1時間ちょっとだったようですが、夜の部では予定を多少オーバーしつつも、最後まで伝えきってくださいました。
そもそもぼくがこの存在を知ったのはSNSだったのですが、それより以前にゴルゴさんが行っている「命の授業」を知ったのは、テレビだったか、新聞の記事だったか。ちょっと記憶が曖昧だったのですが、去年にゴルゴさんの著書を購入していたということもあり、生で聴いてみたいというのがありました。
それで運よく聴講券が配布され、聴いてきたのですが、会場は小学生からお年寄りまで、実に様々な年代の方々が参加されていました。中には話の中身より芸人目当てではなかろうか・・・という姿も。でもでも、これをきっかけに話の内容等に関心を持ってもらえれば、結果オーライかもしれません。
会場のようす。
授業の感想としては、凄く面白かったし、凄く考えさせられた、というのが素直な気持ちです。
まず面白かった点ですが、流石に本業が芸人ということもあり、お話が上手です。笑わせるポイントも掴んでいますし、観客に話を振るということも行っていましたので、会場との一体感をしっかりと把握していた印象があります。そして、話をするときの「熱さ」が、その面白みとか、話の深さをより強調する効果を生んでいたので、飽きることなく授業を聴くことが出来たように感じました。
そして考えさせられた点ですが、これはゴルゴさんの著書にもありますが、日本語の面白さ、深さというものを存分に伝えていらっしゃいます。学校の授業ではあまり習うことのない「漢字等の成り立ち」について披露していく姿は、メッセンジャーとしてとても立派であり、そして説得力を持ちます。中にはゴルゴさんの個人的見解も含まれているそうなのですべてが正しい見解という訳ではないようですが、中国から渡ってきた漢字というものが、日本語に当てはめられ、または融合して、日本語の奥深さや、ことばに込められた願いや想いを暗に伝えていくツールになっていったというのは、ただただ唸ることしかできませんでした。中にはこの時代にはそぐわない解釈も含まれてはいるものの、古代から続いている文化のひとつに、そのような強い気持ちが入っているとは、どれだけの人が知っていることでしょうか。手紙やメールで伝えるにしても、そこまでは普段考えることはありませんし、何気に使って終わりだと思います。わたしたちが普段使用している文字には、先人の想いが脈々と込められている。それを知っているだけで、相手に伝えようとする想いの深さというのが、より深くなるような気がしました。
ゴルゴさんはこの授業で
言の葉(ことのは) ※言葉のこと
は
使い方次第
と仰っていました。
使い方とは
「心」
である。
ということを、お話していらっしゃいました。
では「心」とはなんでしょうか?
それは「意識」だと、ゴルゴさんは説明していらっしゃいます。
そして「意識」は、「心の音」だと、仰っています。
結局は、使う側の問題なのです。
どんなに便利なモノでも、使い方を変えれば凶器になるように。
じぶんたちの身の回りには、最初から「凶器」として作られたものはそんなにない、ということです。
あの日本刀だって「抑止力」としての効果を発揮するため、造られたそうです。
最初から、人を斬るためでは、なかったそうです。
ゴルゴさんは、そのように話していました。
一連の話を聴いて、自殺という問題は個人の問題でもあり社会の問題でもあり、国の問題でもあり心の問題でもあり、要するに様々な分野における問題の集合体のような感じがしてきました。
公表されているものでは、1年間に残念ながら自死(自殺)を選択した方の数は、3万人を超えるそうです。昔から自死という行為はあったものの、その数が明るみになってみたら、その数は想像を超えていました。この数だって明確とは言い切れない点があるようなので、実際はまだまだたくさんいらっしゃるということも想定できます。ひとことで表現するのも何ですが、とてももったいないことだと思いました。その人の人生にとってもそうですし、これからの日本を変えていくためにも、そうだと思うからです。それだけ、可能性というものが少しずつ失われていっているんだという「現実」が、この数字から感じてしまいました。
命の授業のほとんどは、「漢字は記号と記号の集合体」であること。
そして、その記号に込められたメッセージを理解して、わたしたちはどのように生きていかなくてはならないか、といったことを、幾つものケースを交えてお話されていらっしゃいました。
最後はタイムオーバーとなってしまったものの、早口で「命の授業」もお話してくださり、その後ご本人許可のもと、写真撮影が行われました。
「命っ!!!」
こうして会は、大盛況のうちに幕を閉じました。
ぼくはこの会に先立ち、事前にゴルゴさんの著書を再度読んでみました。
そこで感じたのは「ことば」の大切さを知ること、そして、使い方を知ることがいかに大切かということ。
ゴルゴさんの話す漢字や語句の見解は、ことばあそびという訳ではありませんが、感心する内容ばかりでした。その中には個人的見解が含まれるものの、そのようにも解釈できるということは、元々の言葉が「幅広い」という証拠にもなります。色んな意味にも取れるというのは、日本語の強みであり、他の言語ではないところです。そういった点でも共通するものがあったことには、驚かされました。
この会に参加して、ことばに対する姿勢を変えていく必要があると思いました。
その必要を感じ、変えていったとしても、受け手によっては良く思われないかもしれません。それでも、できるだけの努力はしていくべきだろうと考えています。それが、この人はダメであったとしても、他の人には届く、または伝わるようになるということも考えられるわけなので、決して無駄なことにはならないだろうと感じています。
今年も残り2週間を切りましたが、最初の記事から比べると、ぼくの文章も変化していると思います。実感はありませんが 笑。でもその変化こそが「成長」であり、「進化」「進歩」であるとも捉えられます。様々なことを感じ取った先の展開のひとつが、自分の場合はこのブログにあります。まだまだうまくいかないことはありますが、1ミリでもいいから、前に進むことを諦めず、大切な時間を過ごしていきたいと感じました。
きょうまでに読んだ本
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