つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

3年のうちの、最初の1年が終わりました。

2016年も最後の週に入りました。

 

 

 

 

何だか今年は、時間の経過する感覚がとても速いものに感じました。

それはいおとながよく「年を取ると時間が経つのが早くなる」と言っていたのとは、少し違う感覚に思えました。

 

今年を振り返ってみると、今年は今年で激動の1年だったように思います。いつもそうですが、ラクな1年というのはこれまでの中で1度もありません。何かしらの出来事がじぶんを叩きのめし、ときには生きる活力さえも奪い去っていくことがままありました。いまはこれに集中するんだ、と言い聞かせながら活動している時でさえ、時折何をやっているかがわからなくなるときが訪れます。そして、無力感などがどこからか現れて、ぼくをぽつんとさせようとします。これまではその環境にどっぷりと浸かることが多かったのですが、今年は少しながら、その状況を客観的に見ることが出来ていたような気がします。

 

 

 

 

 

歩みを向ける先を定めたのは、昨年の夏から。

 

軸を立てることを決め、ヴィパッサナー瞑想を学ぶ旅に立ちました。

 

札幌に戻ったあとに舞い込んできたのは、点描画アーティストである秋山峰男さんの、札幌の活動におけるサポートでした。

 

 

 

この話は当時付き合いのあった人(現在は交流を断っています)からお誘いとしていただいたもので、その中には畑作業のボランティア等も含めた、お手伝いの範疇に収まり切らないものでした。どうしてかといいますと、そこには自分自身の成長が課題として暗に含まれていたように思うからです。

 

お手伝いは昨年秋のみにとどまりました。いや、とどめてしまったというべきでしょうか。

 

それまでは、これからも秋山さんのサポートをしていこうという強い想いがありました。その理由としては、とても大きな学びの場になると確信していたからでした。それは詰るところ、自分を変化させていかなくてはならないというプレッシャーを感じていたからなのでした。

 

 

 

 

それが、お手伝いは昨年秋だけになってしまいました。

その間でも、濃密な期間を過ごさせていただきましたし、そこで学んだこともたくさんありました。

 

 

ではなぜ、秋山さんのお手伝いを離れることになったのか。

 

その理由は、秋山さんの周りにいた「人」にありました。

 

 

 

 

 

2016年という1年は、コミュニケーション不足が世間的にも不足し、それが露呈した年であったように感じています。それは「言わなくてもわかるでしょ」という無茶ぶりをし続けた結果、別離という結果を招いてしまった。そしてその理由は自分にはないという無責任ぶりを発揮する展開にもつながってしまったように思います。

 

昔であれば「背中を見て育つ」という環境があったのかもしれません。しかしそれが、現代に当てはまるかといえば必ずしもそうではありません。とことんまではいかなくても、突き詰めて話をしていくという行為が希薄になってしまったがために、メールやメッセージなどの簡潔な文章のみで意思疎通が取れていると勘違いしてしまったがために、大きくつまずくことになってしまったのではないかと感じています。

 

コミュニケーションが疎かになると、生きた声に対する理解力というか、咀嚼する力が衰えます。そしてそれはときにじぶん「だけ」にとって都合の良い解釈をしてしまったり、勘違いにもならない履き違えをしてしまったりします。

 

 

結局、サポートメンバーの中にそのようなSさんという人がおり、その人の自分勝手な行動(本人は天の采配というセリフを連発していました 汗)が目立ち、そしてとめどなく続き、現場は大いに混乱しました。それを当の本人はわかっていないほどです。

 

 

 

結果、このままではサポートをしていても意味がないと考えた末に判断し、グループを抜けました。抜ける際に、その人に対してオブラートにも包まない、ド直球でその人の期間内の行動について指摘し、それでは成長につながらないし、その人のスピリチュアルに対する考えでは、秋山さんをサポートしていく意味がないとまで伝えたように思います。

 

でも、どうやら伝わっていません(笑)確実に伝わっていません。

 

 

 

 

 

その後伝え聞く話では、相変わらずの様相で周りの輪(和)を気にせず、自分がないまま行動を続けているとのこと。この人は、自分で考えて行動するということをどうやら知らないようです。だって、人に聞いてから動く人でしたし、自分では一切責任を持たない人でもありましたから(笑)

 

 

 

 

あ、これ事実ですから。

当の本人は違うと思っているかもしれませんが、本人の感覚ほど、あてにならないものはありませんよ。

 

 

 

 

 

 

それらの経緯をほんとうは秋山さんに話したうえで、サポートを抜けますと話をしようと思ったのですが、結局話をしないことにしました。また当時は不思議なご縁から大学院受験の提案をいただいており、動いてみたいとも考えていたので、そちらを理由の前面に出して秋山さんにお話ししました。しかもラーメン屋で(笑)

 

 

 

その後一度秋山さんを送迎する機会があり、短い時間でしたが色んなお話をした際に

 

 

 

 

3年

 

 

 

 

という、具体的な数字が出ました。

 

 

しかし、その期間内にあれこれをしましょう、という話は一切出ませんでした。

 

 

 

 

その際の話としては、3年後にまた一緒にやれたらいいね。

お互い成長してさ、その時に新しいことが出来たらいいね。

 

 

 

 

それは別れというよりも、双方とも「始まり」を意識していたような感じだったと今では思えてなりません。

 

 

 

 

 

 

その日から、1年が経過しました。

 

 

 

思えば、具体的な目標など持たずに、個人事業主として走り始めていました。

 

 

 

目標など、定めようがなかったのです。

目標を見て動くというより、とりあえず動くんだ!という気持ちでやっていましたから。

明日に向かって走れ!(どんなだ)みたいな、青春感満載といった勢いです。

 

それゆえ、大けがを負いました。

それゆえ、大いなる恩恵を得ることも出来ました。

そのすべてが、この「3年のうちの1年」に凝縮されていると思います。

 

 

 

自分自身でこの1年を評価することはできませんが、不意にもたらされる率直な声が、1年間という時間をどのように扱い、過ごしてきたかがよくわかります。次は「3年のうちの2年目」に入ります。というか、もうすでに入っています(笑)。この1年でどのように設定をしていくかは、まだ定まっていません。ただ、軽やかな覚悟だけはいつも持ち歩いていこうと考えています。

 

 

 

 

今朝引いたカードはNo.1「創造」でした。

 

キーワードには「発端」「始まり」「形成」「土台」があります。

 

 

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また、ここから始まります。

3年のうちの、次の1年が始まりました。

 

来年のこの時期にまたこの日記を書いていきますが、その時にどんな話が出てくるでしょうか。それが楽しみであり、憂鬱でもありますが(汗)、臆せず行こうと思います。

 

 

 

 

 

誰かと比べるわけでもなく。

何かを目標にするわけでもない。

 

 

まず、生きる。

そして、力いっぱい生きる。

そこから、生ききる。

 

きょうが、最後の日になっても後悔しないように。

 

 

 

もう、後悔したくないから、先延ばしせず、できることを、やっていきます。

その先に、この次の1年後の、ぼくがいると信じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

十二月のひまわり 白川道 講談社

アレグリアとは仕事はできない 津村記久子 筑摩書房

こころの最終講義 河合隼雄 新潮文庫

 

 

 

 

 

 

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