つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

大いなる旅をひとまず終え、旅人は世に放たれた。~ダンマの思い出⑩~

ヴィパッサナー瞑想合宿の最終日。

 

 

 

普段通り朝4時に起床し、午前4時30分に瞑想をはじめます。

その後朝食をはさみ、短時間の瞑想を行い、終了となります。

 

ただこのまま解散という訳ではなく、奉仕活動を分担して行います。

 

 

 

奉仕活動は利用した施設内の清掃活動を指します。

合宿中も必要最小限、瞑想の時間帯は音を出さない程度のことしかできないということもあるため、すべてのカリキュラムが終了したあとでできることを行います。

 

 

奉仕活動は

・各所清掃(宿舎・ホール・シャワー室・洗面所・キッチン等)

・道路整備(側溝の泥出しや草の排除等)

・シーツ等の洗濯(または虫干し)

 

 

となっており、単純ではありますが建物が幾つかあるため、手分けして行います。

ぼくはこのとき施設に行くまでの道路(未舗装)の側溝に溜まってしまった泥などを排除するという作業に従事しました。幸い作業着(ツナギ)やスコップなどの道具があったため、汗だくになって清掃後にシャワーを浴びることになりましたが、みっちりと奉仕することができました。10日間ほど肉体労働をしてこなかっただけに、いきなりの労働はさすがに堪えました。それでも晴れた空の下で、単純作業であったものの、こういった作業に没頭できたことはたいへん良いことだと感じました。

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これとは前後して(だったと思う)、貴重品の返還や寄付の受付、展示の見学などが行われます。朝食の後に食堂が展示会場となり、パネルやパンフレットなどによる展示会場へと変わります。合宿参加者は書籍を確認したり、パンフレットを持ち帰ったり、またはダンマ以外の場所で有志による瞑想ワークショップを紹介している資料をもらったりと、多岐に渡ります。その中で今回の合宿に対する「寄付」の受付が始まります。

 

 

寄付の額は任意だとのこと。ぼくが寄付した際にその辺を少し伺ったところ、100円の人もいれば1.000円、1万円の人もいて、ほんとうにさまざまだと仰っていました。この寄付金をもとに、施設の運営や合宿中の食費に充てていくそうです。また施設の拡充を目指しているため、合宿という機会に限らず、通年で寄付を受け付けているとのこと。先日廃止されたレターでは、施設内での新しい設備の建築がはじまったとの知らせを受けました。次いつここでまた合宿に参加するかはわかりませんが、訪れた際にどのような感情を抱くのでしょうか。そこにはきっと「感謝」と「謙虚」が湧き起こるのではないかなと感じています。

 

 

 

 

 

 

貴重品の受け渡しや事務処理、そして奉仕活動が終われば、任意解散となります。

ここで注意したいのがバス。日によっても違いますが、そう頻繁に運行している路線ではありませんので、時間を逆算して行動することが必要です。

 

ぼくの場合はあまり考えていなかったのですが(汗)、幸いにも自家用車で参加していた方の車に同乗することができ、最寄りの茂原駅まで行くことができました。そして一路東京へ。ひとまず東京に住む友人宅にやっかいになる旨を事前に話していたため、ひとまずこの日は移動だけで済みそうでした。

 

 

 

JRの車内はお互いの仕事やどうして合宿に参加することになったのかなど、多岐に渡りました。ぼくはまったく知らなかったのですが、ヴィパッサナー瞑想はこの世界ではどうやら知名度が高いらしく、そういった知識がない人にも広く知られているようです。反面、瞑想を傘に着て本質を隠す団体も少なからずいるようです。その背景には「世間は敵」とか「自分たちだけが真実であり真理」といった主義主張があるようですが、当時の出来事を「知らない人に焦点を当てて」勧誘し、取り込むというのは計画的で策略的な行動に他なりません。ひとことで言えば、そこに真理はないということ。この問題は解決しそうにない様相を見せていますが、これを野放しにし、勢力を強めてしまっている原因としては、マスコミや担当機関に相応の責任があるように思います。あくまで個人的見解ですが。

 

 

 

実は、JR車内でのこの会話で、瞑想に対する世間の目を知ることになりました。それまで瞑想は「才能を開花する」「不思議な力を受け取る」といった、およそオカルト的なものを連想していましたが、結構科学的・現実的に捉えられていました。これは昨今開示されてきた「瞑想の効果の実際」というのが少しずつ伝播してきたことが言えると思います。それこそ昔は科学というものがなかったので、ある行為の効果というものを裏付けることが困難でありましたが、現代は異なる分野が組み合わさることにより、さまざまなことが見えてくるという恩恵を受けています。そのような客観的な視点にこそ、真理が込められているのではないかと感じています。それは宗教だけに限らず、他のことでも言えると思います。そこを履き違えてしまうと、たとえ正しいものでも、正しいものではなくなってしまうということを、常に意識しておくべきでしょう。

 

 

 

各々がそれぞれの駅で降り、乗り換えに足を向けていく。

ぼくはそのとき、合宿に参加したひとたちと連絡先を交わすことはしませんでした。

それが目的ではなかったし、あくまで「自分自身」に向けての大いなる旅でありましたから。でも残り少ない時間で語り合ったからこそ、シンプルで深い会話が出来たんだろうなと、今では感じています。

 

 

 

 

これで、ダンマーディッチャでの瞑想合宿は終わりました。

 

千葉県にある施設を出たぼくは、すぐに北海道には戻らず、数日かけて北上することになりました。

 

 

 

 

 

 

 

それはゆっくりと、じぶんの足取りで掴む、新しい一歩の踏み出しに感じました。

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

詩に就いて 谷川俊太郎 思潮社(8)

しごとのきほん くらしのきほん100 松浦弥太郎 マガジンハウス(9)

リクと白の王国 田口ランディ キノブックス(10)

大富豪アニキの教え 兄貴(丸尾孝俊) ダイヤモンド社(11)