数日前のこと。
我が家で「中華大会」なるものを開きました。
とは言っても、餃子大会です(笑)
きっかけは昨年。
知り合いの大学教授が本を出版することになり、その出版記念パーティーにお呼ばれした際、お手伝いのスタッフで学生さんが会場にいらっしゃいまして。その中のひとりが中国人留学生だったのです。
その留学生は日本語も流暢で、会話も難なくこなしていました(それでも英語のほうが会話はしやすいらしい)。その場には何人か知り合いも同席しており、意気投合(または勢いに任せて 笑)し、連絡先を交換。後日ホームパーティーを行おうということになりました。
半ば強引に自宅へ招いてしまった訳ですが、その留学生も大学と自宅の往復だけの生活中心のようで、最初は遠慮していたのですが、北海道民特有の?押しの強さに甘えてくれるようになりました。ただ料理はあまりしないそうなので、じゃあ中華にしよう。餃子を食べよう!手づくり餃子にしよう!という運びにあれよあれよとなってしまいました。
当日は寒い天気だったので凍えながらやってきた留学生。
冬の装いに慣れていないようでした。
完全防備だったものの、寒さには慣れていないようです。
材料はこちら側ですべて用意。軽くあったまった後で、餃子をつくることになりました。
餃子の「あん」には白菜・にんにく・生姜・ひき肉などスタンダードな具材のほか、「キムチ」「モッツァレラチーズ」「ナツメグ」なども入りました。プレーン・キムチ・チーズ入りと3種類の餃子を創りました。
と、ここで意外なことが判明。
今回作ったのは「水餃子」と「焼き餃子」なのですが、中国で餃子といえば「水餃子」なんだそう。日本でも水餃子はいただきますが、どちらかといえば焼き餃子がポピュラー。水よりも焼のほうが国民食だと思っていたのです。その違いにびっくり。中国ではほとんど焼き餃子は作らないらしいということを、その留学生から教えてもらいました。
これには一同びっくり。
あと、流石に広い中国。
何と、留学生の故郷は餃子を食べない地域だとのこと(めったに食べないそうです)。
これにも一同びっくりです。
この話を通して感じたことは
「誰かにとっての常識は、誰かにとっての非常識」
であるということ。
必ずしもそうではありませんが、その常識とされているものが実は「自分だけ」だったりする場合もあるし、「なんとなく」といった、うろ覚えのような内容がそのまま「常識」として定着していたりします。
その常識が実は・・・となった場合、ひとは色んな反応を示すと思います。
純粋にその内容に驚き、修正しようとする人。
その内容に驚きつつも、修正しない人。
難癖つけて、自分が正しいと主張する人。
自分の間違った認識は認めるが、責任を他に転嫁する人。
話しひとつとっても、見せる表情は人それぞれ。
そういった展開ひとつで、その人の本来の性格が見えてくるかもしれません。
中華大会(ほんとうは餃子の会)は大盛況のうちに終了。手作り餃子も余ってしまったため(何せ100個近く作ってました)お土産で持って帰ってもらいました。留学生は課題があるとのことで早めに帰宅しましたが、まだまだ札幌の地理には慣れていないようで、帰りの地下鉄駅までの道順を教えながら不安定な雪道を少し一緒に歩きました。
別れ際に「再見(またね、またはバイバイ)」ということばをかけ(これだけは知っていた)ましたが、普通に「バイバイ」でいいですよと返され(汗)「再見」のあとに「バイバイ」を付け加え、また一緒においしいご飯を食べましょうと約束をしました。
片づけを終え、何気にテレビを見ていましたら、東京で有名な中華料理店「你好」の店主が出ていました。どうやら店主の人生を振り返る内容のようでした。
詳細は割愛しますが、そのお店は「羽根つき餃子」の元祖と言われる有名店です。しかし当時はお店を出す資金もなく、日本語学校に通いながら料理の腕を磨いていたそうです。その時には既に焼き餃子という食べ物は日本にあったようなのですが、それを知った店主は「日本は焼き餃子が主流」であることに驚いていました。
理由は「中国では水餃子がポピュラー」だったからです。
その文化の違いに驚くと共に、日本でウケる焼き餃子を出すにはどうすればいいかとなったときに、水餃子と当時日本ではまだ珍しかった「小龍包」等にヒントを得て、羽根つき餃子が完成したそうです。その味に試食した人たちは皆拍手喝采し、お店の開業資金をカンパしたそうです。
それぞれの国や地方・地域によっては、常識の内容が大きく変わることもある。
そう考えたとき、「これが当たり前だ」と強気に言うのは、ひょっとしたら勇み足になるのかもしれません。その違いに気がつかず進んでしまった場合、どのようなシチュエーションであれ最悪の展開を起こしてしまう可能性は高くなります。
知っておくべきことは「常識」もいつかは「変わる」ということ。
かつて学校の授業で銀河系は「水金地火木土天海冥」(星の並びかたをこう略していましたね)と覚えていましたが、現在では冥王星が除外されています。長年の研究等で、常識の中身が変わることは、今後も充分考えられます。それは特定の分野だけということではなく、あらゆる分野・事象においても言えるのではないかと感じています。
アメリカ合衆国も、新しい大統領が誕生しました。しかしその政策には大統領誕生前から疑問符がつき、経済等の停滞・低迷を危ぶむ声が生まれています。その反面期待している人もいるのですから、なんとも不思議です。
トランプさんは、政治の経験がない人です。そのような人が今回アメリカという国の大統領になりました。一部のひとは「彼のやり方は通用しない」と見ているようですが、果たしてどうなることでしょう。ひょっとしたら、彼のやり方は、長年定着してきた「常識」をぶっ壊し、新しい「常識」を築き上げるかもしれません。その効果が良いものかどうかは、その時になってみないとわかりませんが。
常識は「変わる」ことがある。
そう考えたとき、古い常識にしがみつくのは「執着」になり、ときには「保身」につながることもあります。自分の正しさを証明するために「常識」は決してあるのではないということを、忘れずにいたいと感じました。