ぼくがジャズを聴きはじめてのめり込んだプレイヤーは、何人かいます。
そのひとりが、先日紹介した「ジョン・コルトレーン」です。
彼はサックス奏者でした。
ジャズを演奏するにあたり、だいたい入っている楽器が「ピアノ」。
そのプレイヤーは数多くいますが、その中でも虜になったひとりが
「ハービー・ハンコック」でした。
公式サイト(英文)
ハービーの代表作はそれこそ数多くあり、初期の作品では「処女航海」があります。
その後電子ピアノを使うようになってからは「ヘッドハンターズ」をリリース。
グループとしてはマイルス・デイビスのバンドに在籍したこともあります。
その後V.S.O.P.を結成。ライブ音源は至高の作品になりました。
彼の音楽的指向は、かなり路線もぶっ飛んでいます
写真はイメージです
個性的な企画を練り、数々のアーティストに参加してもらいながらアルバム作成を行っていることで有名です。
最近では、グラミー賞を受賞したことでも有名。
その他注目すべきは、ロス五輪の音楽を担当したことでも、彼の功績と実力を物語っています。
ハービーの作品で最初に聴いたのは「処女航海」だったと記憶しています。
名門ブルーノートからのリリースになっており、伝統的なジャズからの脱皮というか、革新をもたらした作品です。
この作品を聴いてから、一気に他の作品を聴き始めました。
その他、彼のバンドメンバーの作品を聴いたり、ハービーが在籍していた頃のマイルス・デイビスの作品を聴くようになりました。
ハービー・ハンコックは、ジャズプレイヤーのなかでもひと際息の長い存在だと思います。
モダンジャズ最盛の頃から演奏を続けており、今も現役です。SNS等で彼の情報を見てみると、きょうもどこかで演奏を行っています。このバイタリティは素直に凄いと思います。病弱になってもおかしくない年代なのですが、老いてますます盛ん(年齢は70後半!)ということばがぴったり来ます。
ハービーのピアノを聴いて、ピアノという存在の大きさや大切さなどを少なからず知るようになりました。ピアノ演奏者は、花形だと思っています。そんな場所にいる彼は、花形という存在を超えていました。過去数度札幌にてコンサートを開いたことがあり、2回ほど聴きに行ったことがありますが、そのプレイは迫力差は劣るものの、流麗な動きにすべてが凝縮された、ゆるやかな潮風のようなプレイをしていたことを思い出します。
現在の彼の演奏は「ジャズ」というカテゴリに囚われない、「ロック」や「ポップス」というジャンルにも囚われない、シンプルな「音楽」というものをひたすら演奏しているように感じます。楽器は電子系を扱うことが多くなりましたが、それでも名曲を演奏してくれたときには、心が躍りますね。
そんな彼の作品たちも、聖域のひとつでした。
崩したくない牙城のひとつでした。
昨年夏から秋にかけて「安定」を実感したのち、自然とハービーの作品に手を伸ばしていました。
がらくた整理をする決心がついたのです。
その衝撃というか驚きはコルトレーンの時ほどではありませんが、ひとつ何かに手をつければ連動性が生まれるようになって、次の手が自然に出てくるようになりました。ほんとうにたくさんのCDを持っていて、専用のCDラックに入りきらなかった状態が長いこと続いたのですが、安定を迎えたあとのがらくた整理で、大きな大きな憑き物落としをみずから行うことが出来ています。
ハービーの作品は主に「エレクトリック・ハービー」と呼ばれるものを中心に処分。
既にオークションにて売却済みです。
去年までは一切抱くことがなかった感情や考えでしたが、がらくた整理に出逢ってからはモノとじぶんとの関係性を頭だけではなくこころや全体で考え、どうするかを決めるようになりました。そのワークを続けることが出来ているというのは、多くの分野で三日坊主だったぼく自身にとってはとても貴重なことでした。
もうすぐ、東京へ講座を受けに行ってから1年の歳月が流れるなと、これを書きながら思い出しました。あの日々は楽しさもありましたが、苦行に感じることもありました。成功ばかりではなく、正解ばかりでもない。いろんなものことをひっくるめたものが、ぼくを大きく成長させ、また打ちのめされても立ち上がることができたのだと思います。
今年はモノとは違う、何か大きな憑き物を落とす重要な1年になりそうな気がします。
ですがその憑き物は何かというのは現状わからないので、これを落とす、という目的よりかは、今ひたむきにできることをやって、結果フタを開けて「これが憑き物だったんだ」と思うことができるようになればいいなと思います。