定期的に「ゴミを捨てる」こと。
かんたんに思えることが、だんだんと難しく感じる世の中になっているようです。
ぼくは今でこそ「がらくた整理」を実践し、自身の仕事の柱としていますが、そこに至るまでの間は
片づけない
捨てない
めんどくさがり
の三拍子が見事に揃ったひとでした。
テーブルやパソコン周りには何かとモノが散乱し、衣類も色が薄くなってきたものも律儀に着まわす。
モノを減らすことよりも増やすことに美学を感じ、また何かをコンプすることで充実感を感じていました。
つまりは、モノを増やすことが「満たす」ことにつながるのだと考えていました。
そのまま過ごすことができるひともいると思うのですが、ぼくは違いました。
結果、心を病みました。
仕事の激務とか人間関係などが重くのしかかり、自律神経のバランスが崩れていました。
当時はその原因を「仕事」や「人間関係」と、ある意味「外」に向けていましたが、断捨離やガラクタ整理に出逢い、問題の根源は「外」ではなく「内」にあることに気がつきます。
そこから始めた、じぶんの持ち物の整理。
かれこれもう、5年以上続けています。
何を整理し、捨ててきたかはこれまでのシリーズをお読みいただければと思うのですが、これまでの整理で大きく変わったのは
「定期的に捨てるモノの種類を増やしたこと」
だと思います。
例えば生ごみは定期的に捨てますよね。放置しておくと匂いがきつくなります。
不思議なのは「捨てなきゃ」と思って捨てるのもあれば、「まぁ、今捨てなくてもいい」と感じるものもあるということ。それは直近に何かしらの「実害」がないからで、ついそう思ってしまうというのが主たる傾向だと思います。
普段捨てるゴミの中で、おそらく定期的に「しっかりと」捨てるのは「生ごみ(燃やせるごみ)」。
それ以外のゴミを見てみると(札幌市のゴミの分類の場合)
・紙ごみ
・容器、包装、プラスチック
・缶、びん、ペットボトル
・燃やせないゴミ
・大型ごみ(粗大ごみ)
・枝、葉、草
があり、そのほとんどが「ある程度溜め込める」ことがわかります。
枝、葉、草は自宅に庭などがあってそれらを剪定した場合に出るものと想定されるので、毎度のことではありません(収集時期も限定的)。これを外すと、そのほとんどが「匂い」がしないものばかり。そうなると溜めてしまってもそう気にならないのが実情です。
加えて、自宅にゴミを「溜め込める」スペースがあるなら尚更。そこに少しずつ、そしてどんどんと積み上げていく、という流れになっていきます。
このような状況で捨てないままでいてしまうと
「捨てるごみが少ないから、今日わざわざ捨てに行くこともない」から
「捨てるものが多すぎる。ゴミステーションまで運ぶのが面倒」へと、いつしか理由が変わり、行動するための腰が重くなり、重症化することが考えられます。
以前住んでいた家は今いる家よりも収納スペースがあり、至る所にモノを収納することが出来ていました。そのため定期的に出すゴミですら、ある程度の期間溜めて捨てていたのです。階段の踊り場や客間など、溜めていくうちに本来捨てようと思っていたゴミの存在を忘れるほどになっていました。
こんな症状を、がらくた整理をすることによって「先延ばし」しないように少しずつ変えていくことができるようになりました。
決して「がらっと」ではありません。少しずつです。
じぶんのできる範囲内で、少しずつです。反動も少なく、定着も着実です。
ぼくは物覚えがそんなに良い方ではないため(汗)きょうまで続けてきて、やっと定着したものもあるくらいです。
がらくたは、いわゆる「ごみ」です。
ごみは、捨てないとなりません。
そのごみを「溜めたまま」でいると、果たしてどうなるでしょうか?
それを、自分のからだに置き換えてみると、どんなことが起きているでしょうか?
先日読み終えた本で「呼吸の本」というのがあります。
その中でですが、呼吸は「吸う」よりも「吐く」ほうが大事だと言われています。
吐く、とは、つまりは「捨てる」行為になります。
捨てなければ入ってこないという理屈は、呼吸にも当てはまるようです。
ですが、多くの人たちは「捨てず」に「溜め込む」ことを良しとしている傾向にあります。
それは直近の実害がないからという印象が強いですが、長い目で見ていくとどうでしょうか。いつ「発症」するかもわからない病状がすぐそこに来ているかもしれません。でも、いまはまだ大丈夫と言って、中々「動かない」のが実情です。
わたしたちは水やお茶などを「飲み」、ごはんやおかずなどを「食べ」ます。
それらは後々、自然と「排泄」されます。それが自然の流れであり、正常な行動です。
ときには、なかなか排泄されない場合もあります。それは体質などにもよりますが、排泄物が出てこないことが原因で、体調に不調の兆しが見え始めます。出さなくてはならないものを「出せない」「出さない」状態が続きますと、それが原因による体調不良を引き起こします。
それが、自宅の「がらくた」にも言えることなのです。
しかしながら現代は刺激的な世の中です。
「捨てる」というちょっと面倒な作業がある傍ら、ちょっと目を逸らせば魅力的で楽しそうな出来事が満載です。お料理教室や各種講演会、イベント、仕事やプライベートなど、一瞬にして「忙しく」してしまう要素が満載です。そしてそれらに共通することは「増やす」こと。なんだか減らそうとしているのを邪魔しているかのように感じてしまうほどです。
ぼくもモノを捨て始めたとき、その作業は別室で行っていたのですが、これを見た家人は無意識に次々と横やりを入れていました。それは、
「えー、それ本当に捨てるの?」
ということばを根本とした、あらゆる「引き止め」のことばであり、「先延ばし」をさせるための抵抗のようにも感じました。服の整理をしているときには服の、本やCDの整理をしているときにはそれらの、つまりはこちらがやっていることを目にするたび(わざわざ見に来ていましたが 汗)に、こちらのやる気を削ぎ落とすかのような発言を繰り返していました。
その発言にどう対応したかはちょっと覚えていませんが、整理する方に集中していたはずなので、たぶん受け流していたと思います。ちょっとむかっと来ましたが、すぐに整理に向きなおしました。ただ、繰り返し言っていた記憶があるので、堪りかねて何かしら言ったかもしれません。
家の中での整理は、職場と比べると格段に大変だと思います。
ご夫婦であればそのどちらか、ご夫婦の親と同居していた場合はその親が、お子さんがいらっしゃればお子さんが、整理する姿を見ては止めようとするからです。人によっては、1日の中で整理に充てられる時間は数分あるかどうかという人もいらっしゃると思います。
突き放すような言い方になってしまうのですが、それでもやるしかないのです。
たとえ1日の中で整理できる時間が5分しかなくても裏を返せば「5分もある」のです。その短い時間内でも、最初はパフォーマンスが悪くても、地道に続けていくしかありません。その源となるのは、整理を行う人の強い「意志」に他なりません。どれだけ周りのひとのことばや雑誌の特集などに触れたとしても、最終的には自分でどうするかを「決め」、そして「動く」ことをしていかないと、意味がなくなってしまいます。ぼくがこれまで綴ってきた内容では説得力がないかもしれませんし、かえって反発を生んでいるかもしれません。それでも、ぼくは実際「がらくた整理」で大きく変わりました。それは紛れもない事実です。その内容を信じていただいても信じていただかなくても、ぼくはその経験と、日々の実践を記録として綴っていくだけです。
去年の今頃は、隔週で東京に飛び、講座を受講しては帰札して、イベントのチラシをお店に置いていただけるよう営業を行っていました。これと並行してじぶんのがらくた整理をしていたことは言うまでもありません。
昨年と比べると、格段にモノは減りました。夏から秋にかけて「安定」を実感しましたが、いまはそこから更に加速させるための試行錯誤を繰り返しています。
単純に「○○すればこうなる!」ではなく、自然の摂理と照らし合わせながら、がらくた整理を勧めるという活動をしていきたいと思っています。
今年に入ってからのがらくた整理は、やはり「紙ごみ」が多く出ました。
自宅で忘年会、そして新年会などを行ったことや、たくさんのいただきものが出てきましたため、空箱や台紙などでポリ袋が一気にぱんぱんになりました。
家の中のごみでも、現在は紙ごみが溜まりやすい傾向にあります。それは収集間隔が2週間に1回だからかもしれません。食品を買っても、衣類を買っても紙ごみは出てきます。多いときには2週間のうちに2つはかんたんに袋が出来上がります。増えないときは1ヶ月で1袋がやっとというときも。その差も激しいものです。
たがが1袋。されど1袋。
1袋くらいでしたら、部屋の隅等置いておいても何ら気に留めないでしょう。ただ注意してほしいのは、そこが発端になるかもしれないということ。溜めようと思えばこれでもかというくらいにひとは簡単にものを溜め込むことができますから、しっかりと管理を行っていくことが大切です。
しっかりごみを出すということは、いわば家の「お通じ」が良いということになります。
お通じが良くなれば、体調は良くなります。それは、その家にも、その家に住む人にとっても、同様です。
去年ですが、こんなタイトルで記事を書いていました。
家を軽くすることは、自身の身も心も(Body&Soul)軽くすることに通じます。
がらくた整理は、エンドレスに続きます。
それは生活をしている以上、必要な行為になります。
大袈裟に聴こえてしまうかもしれませんが、呼吸をするのと同じくらい大事だと思います。
エンドレスに続くからこそ、ついおざなりになってしまうこともあります。
定期的にそういった部分を見直しながら、理想に近づけていこうと努力する。
その道の途中にこそ、ほんとうの余裕であったり、充実さが出てくるのだと思います。
きょうまでに読んだ本
運転、見合わせ中 畑野智美 実業之日本社 (41)
呼吸の本 谷川俊太郎 加藤俊朗 サンガ(CDつき書籍) (42)