ダンマーディッチャから社会、または世界に再び出たぼくは、まず東京在住の友人宅にやっかいになりました。
当時は梅雨明けということもあり、北海道民には辛い気候。
それに加えて、10日間もまともに動いていないことが影響し、動くことによる疲労もすぐさま溜まります。
電車の車窓から見える人工建造物を見ては「合宿が終わった」ことを実感していたぼくですが、その光景が段々と刺激になり、疲れにつながったと知るのはその日の夕方くらい。
結果、厄介になった友人宅で男子同士とは思えない豊富な会話を交わした中で、当初の予定よりも少し長めに滞在させてもらえることとなりました。
東京在住時にやったことは「どうやって北海道に帰るか」。
手段としては飛行機、電車、そしてフェリーがありますが、何を思ったか「ゆっくり帰ってもいい」と思いながら、ネットで情報を収集していました。
ダンマーディッチャに向かった際は片道切符だったので、帰りの行程は全く組んでおらず、その時の状況に合わせるという流れになっていたのです。
最初に、飛行機は除外しました。なぜか(笑)
次に検討したのが、電車で北海道に「入る」こと。
つまりは、津軽海峡をどうやって越えるかということに焦点を置いていました。
しかし、料金が意外にも高いことが判明。ちょっと即答で決めることは出来ないな・・・と思いつつ、電車での方法は一度保留としてフェリーでの航路を確認しました。
フェリーで北海道に入るためには、いずれかの場所に行く必要があります。それは
大洗港(茨城県)
秋田港(秋田県)
などがあり、料金も電車よりはリーズナブルです。
しかし、フェリーによっては事前の予約が必要な場合があり、直前で決めることが難しい航路もあるため、ここでまた振るいにかけることに。
そこで思い立ったのが、ひとまず仙台まで北上し、仙台または青森からフェリーで北海道に入るというもの。
仙台-青森間も結構な距離はありますが、まずは北上してみようという気持ちが勝ち、高速バスで仙台市に行くことを決めました。
実は、宮城県は1度訪れたかった場所でもありました。
実は、先日亡くなった祖母が北海道に来る前は、仙台の海沿いに住んでいました。
その光景を少しでも見ることが出来たらな・・・と思い、仙台行きを決めました。
その他、仙台市にはもうひとつ行きたい場所がありました。
それがNHKの朝のテレビ小説で話題になった、マッサンこと竹鶴正孝が経営していた「ニッカウヰスキー」の宮城峡蒸留所があったのです。
これで仙台行きは決まり。ただ体力にまだ自信がないので、時間に余裕を持って動くことにします。東京滞在時に新たな着替えと薬局にて日用品の買い出し、各チケットの手配と時刻表を確認。その後せっかく東北まで行くのだからと、青森にいる大学時代の友人に連絡し、予定が合えばとの打診を行いました。
これで、北上の準備は整いました。
東京の友人との話も連日花が咲きました。なんだか咳を切ったような感じでの、お互いの近況や情報交換などを含めた、真なる交流と言った印象でした。
これらの手配をしながら、せっかく東京に来たこともあり、以下の場所に訪れています。
・明治神宮と表参道
・神田神保町の古書街(都バスを教えてもらい、バスで向かう。バス代が安い!)
・東京おもちゃ美術館(前回の日記に記載)
何だか観光旅行のような感じですが(汗)、ひとつの感覚に気がつきました。
それは「急ぐことを止めた」こと。
東京は各乗り物のダイヤが緻密で、かなり短時間で長距離の移動が可能といった印象を持っています。移動時間を短時間にすることで、目的地での活動時間を増やすことが可能になるのですが、思い切ってその部分を捨てました。単純に言えば
「ゆっくり行ってもいいじゃないか」
という考え、または気持ちになっていたのです。
それが果たして瞑想による変化か、はてまた恩恵か?
そんなことは一切考えず、東京の友人に別れを告げ、東京駅近くにある高速バス乗り場から、一路宮城県は仙台市へ向けて、移動を開始したのでした。