つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

先延ばしにしていたことを片づけると、ときには痛みを伴う。~いや、それは自業自得なんだが~

きょうはやっとひとつ、先延ばしにしていたことを片づけることができました。

 

 

 

つい先延ばしにしてしまう。

 

どんなものごとであれ、ブログをお読みのかたも同じような経験をされていらっしゃると思います。それが緊急性のないもの、つまりは「また今度でいいや」的なものであったため、伸ばし伸ばしになってしまいました。

 

 

 

がらくた整理においても、この「先延ばし」は最大の敵になります。

 

いつでも片づけられる。

いつでも治せる。

いつでも読める・見ることができる。

いつでもやれる。

いつでも。いつでも・・・

 

 

と、ついついなりがちです。

しかし、こういった意識のもとで放置しているものが全体の何割かを占めていると考えたとき、目新しいことに目を向けるよりも重要度が増します。

 

傾向として多いのは、次々と新しいことに目を向けて行動した結果、後ろのものがまったく片付いていない状況を招いてしまうこと。こうなってしまっては尚更、手をつけることに対して躊躇します。

 

ところが、これを他人に指摘されることには抵抗を感じます。

こうですね、ああですねと言って「そうですよね」とはなっても、それ以上そこをついて欲しくない。そこがキモであったとしても、片づけを促すひとことは「押し付け」と捉えられてしまい、疎遠になってしまいます。

 

 

 

 

それは物腰の柔らかさや人柄がものをいうんだと思うのですが、どうやらそういったのには向いていないらしい。久々に「押し付けがましい」と、要するにゲス扱いされました。まぁ、自業自得とはいえ、下がります。どうやらぼくは、相手が「こんなふうに思ってんだろうな」と推察出来ても、実際にどうなのか探りたいようです。要するにアホですな。アホですわ。

 

 

 

 

とまぁ、そんな「整理」も経験しつつ、これまで放置していた「ささやかなこと」を片づけました。

 

 

それは「キャンドルのリペア」でした。

 

 

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before

 

 

色のついたキャンドルがありまして、キャンドルナイトとか、瞑想のときとかに使用していたのですが、真ん中がどんどん掘られていきまして、火をつけてもすぐに消えてしまうようになりました。必要なものは随分前に揃えていたのですが、それこそ「いつでもできる」と長い間放置。それをやっと今日、手を付けることができました。

 

 

 

 

 

手順としては

 

・キャンドルを温めて液体状にする

・器(今回は紙コップ)にタコ糸を吊るし、そこに溶けたキャンドルを流し込む

・冷え固まるまで待つ

・中身を取り出し、完成

 

というものに。

 

キャンドルが冷え固まるまで時間がかかりますが、その他の行程はものの数分で済みます。

たったこれだけのことを「先延ばしにしていた」と実感できるのは、やはり実際に行動することが出来たからだと思います。

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現在はキャンドルが冷え固まるのを待っている状態。

 

その他、ずっと印刷しようと思って先延ばしにしていたテキストを印刷(30枚越え)することも出来ましたので、徐々にというか、タスクが確実に減ってきました。

 

 

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 after(やっと少し固まってきた)

 

 

 

 

この世界でぼくのことをどう思っているかを分けてみると

 

・好意的に思っているひと

・嫌悪感(ときにはひどく)を抱くひと

・なんとも思わないひと

 

に分かれると思います。

 

逢ったことのない人が多いから自然と3番が多くなると思うのですが、仮に2番目の「嫌悪感を抱く対象」の数が多くても少なくても、そういったひとが「いる」だけで、何かしらの作用というのが働くようです。意識的にか無意識にか、「嫌われたくない」というなんとも高尚な願望を抱いているおめでたい人間(ぼくのことです 汗)にとっては、それがどういう経緯でもたらされたものであれ、痛恨の一撃に相当するものになります。経緯はどうあれ、自分自身で反省することが多々あることをしっかりと痛感しなければならないし、そうならないように変えていかなくてはなりません。それが出来なければ、意味がないです。

 

 

 

去年を含めて、この3年で変えていく。

そう、誓ったはずなのです。

だからいまはまだ「こいつむかつく」でも仕方ないです。3年経って「変わっているか」が肝心なのですから。その人の評価が変わっているかどうかではなく、そのときから自分が「どれだけ変わったか」が重要なのです。

 

 

 

 

1ヶ月という時間は、思ったよりも短いです。

1ヶ月が短ければ、1日という時間はもっと短く感じます。

そしてついには刹那という感覚になるかもしれません。

 

その中で、またね、と言い合って別れるひともいれば、もう連絡してこないで、と言われることもある。そんな日々を過ごしながらも、ぼくはこの手に持っているものごとの本質を伝えていきたいと思うのでした。