だれもが容易にコネクトできる世界になってしまったからこそ
だれからもつながろうという意思表示をされないことが際立ってしまう
それが孤立という見解や状態であったとしても
決してそれとは言わずに孤高だと言い張るだろう
そして知らないうちに何かに疲れていることに気づく
遡るとそこには不便さという名がついた制限があった
だからこそ人は工夫を凝らすようになったのだと思う
便利になってしまったからこそ反応のないことについて不安のさざ波が立つ
そして自らを安定するためのもしくは安定させてくれる存在にすがっていく
ぼくはどこかで考えなおさなければならない
ひととのつながりや自分自身との関係性を
程よい距離もそして干渉も
無言の中に含まれているということをいい加減知るべきなのだ
それを刻んだうえで孤高として立てばいい
誰も居はしないが何かが居る蒼い岸で立てればそれでいいのだと思おう
それが無力という寿命を蝕むものに対するささやかな
抵抗ではなく、挑戦でありつづけたい
-お知らせ-
現在、ニセコ「カリンパニ」に於いて「ヴィパッサナ瞑想」の合宿に奉仕者として参加中です。
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