つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

帰宅、荷ほどき、がらくた整理。~まだ使える。でも捨てる。~

ワークデイから参加していました、北海道・ニセコでの瞑想合宿。

 

21日に全日程が終了し、札幌に戻ってきました。

 

 

 

 

ここでの出来事というか、感じたことは何回かに分けて書いていきますが、札幌に戻って最初に行ったのが、合宿に持っていった荷物の荷ほどきとがらくた整理でした。

 

 

 

ニセコの滞在期間はおよそ2週間ありましたが、滞在していた施設の備品は限られています。そのため自宅から寒さ対策のアイテムを幾つか持参しなければならず、結果持ち込みの荷物もある程度のボリュームになってしまいました。

 

滞在していた施設は随分昔に建設された小学校で、瞑想はそこの体育館で行われました。

施設のなかでも体育館は一番寒い場所にあたり、暖房を使用していてもその寒さを払拭することは難しいときがあります。そのため防寒着や防寒アイテムなどで体が極度に冷えないように注意し、体調を崩さないように気をつけてもいました。

 

 

 

荷物はスーツケースとリュックサック。これに着替えと洗面道具、寝袋や防寒着などを詰め込んでいきました。着替えは現地で処分してもいいものを持ちこみましたが、現地で処分することなく、持ち帰ってきました。そのため、自宅で荷ほどきを行うとともに、がらくた整理を行ったのです。

 

 

 

処分したのは衣類。シャツやアンダーウェア(下着)が中心。その他にはハンカチ程度の整理になりました。ゴミ袋は札幌市指定の20リットルゴミ袋を使用しましたが、全体の3分の1程度に収まっています(ゴミ袋の最大サイズは40リットル)。

 

 

実はこのがらくた整理は、ずっと前から考えていたことでした。

つまり、きっかけを設定していたのです。

 

そのきっかけが「瞑想合宿」。

合宿が終われば、少し整理しようと決めていました。

 

逆に言えば、こういったきっかけや「整理する」と決めていなければ、それらのモノは捨てられずにそのまま残されていたということになります。

 

 

 

モノを捨てる基準はいろいろあると思いますが、シチュエーションによりけり。

つまりは、人それぞれです。

世間的な基準というか、こうなったらこうするというのもあるのですが、判断は個人に委ねられますので、そこに個人的な要素が加味された上での判断になるというわけです。

 

 

 

 

正直、まだ着れます。まだまだ現役でいけます。

でも捨てます。

 

基準は「もういいかな」という気持ちになったからです。

それは、見て判断したのではなく、それらを持って判断しました。

 

 

 

 

モノを大事に扱っていくことはとてもいいことですし、大事なことでもあります。

いっぽうで、何でもかんでも「もったいない」と言っては決して手放さない傾向も強くなっています。表面的な判断に偏ってしまいますと、もったいない結果に終わってしまいます。それは感情や論理のみで片づけたりするのと同様です。がらくた整理は、じぶんのからだすべてを使って行うべきものだと、これまでの経験から伝えることができます。からだには、もちろん心も含まれます。実務的な部分と、判断する部分。その両方をしっかりと用いなければ、その整理は結果、失敗する可能性が高まるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

ここから先のがらくた整理は、果たしてどうなっていくでしょうか。

見えるモノや見えないモノ、その両方を少しずつでも行っていく必要を感じています。

モノに満ちている空間に満足しつつも物足りなさを感じていた自分から、モノを減らしてスペースを創っていくことに安定を実感しつつある自分へ。

 

 

自分が仕事ととしてがらくた整理を勧めていくことは、自分でもがらくた整理を行って、実感したことや考えたことをしっかりと記録していく必要性を、これまで以上に感じています。

 

 

これまでかなりの物量を整理してきました。ここから先は物量的には大した量ではないかもしれません。そのぶん、細かいところに目を向けることが出来ると考えれば、たとえ小さな差ではあっても、スペースが出来ることと、自分の考えが深まっていくことは確実にできます。

 

 

 

 

 

 

あの日のニセコは、午前中はとてもいい天気でした。

午後からは風が冷たくなり、途端に雷雨に変わりました。

肌寒さを感じながらJRニセコ駅まで送っていただき、そこからローカル線で2時間ほどかけてJR琴似駅まで戻り、お迎えを待って帰宅しました。

 

荷ほどきをしながら考えたことは、まさしく綱渡り状態でありながらも、無事に務めを果たすことが出来てよかったということ。山場はいろんなところにありましたが、いま言えることは、ニセコに行って本当に良かった、ということだけでした。