つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

日常にこそ、大切なものが内在している。

昨日は久々に札幌ドームへ野球観戦に行きました。

 

 

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その前に粗大ごみなどを運び出す男手として午前中から活動していましたが、それまでひんやりしていた札幌が、この日ばかりは晴天に。汗もだくだく、少し日焼けもしたんじゃないだろうか、けっこうカロリー消費したんじゃないだろうかというほど動きまくっていました。

 

作業内容としては大型ごみを移動させ、清掃工場へ運ぶというもの。

 

 

 

考えてみればそうなのでしょうけど、粗大ごみの日に収拾してもらうのと、清掃工場に持ち込むのとでは、処分料金に大きな違いがありました。

 

もちろん、持ち込む方が安いです(重量で単価が決まるため)。

しかし持ち込む場合、大型車両が一気に運べるので、とても楽です。

何度も乗用車(普通車・軽自動車など)に積み込みをしてきましたが、ソファなどはさすがに断念しました。それでも、大きな節制になったと思います。

 

 

 

 

 

馴染の場所からモノがなくなるというのはさみしいことなのですが、不思議な感覚として、モノがない部屋の中を見ると、何だか気持ちがいいという感覚がありました。これはその日お手伝いに来ていた人も言っていたことなのですが、何もない空間の代表例が、この引越時の部屋の中だと思います。何もない空間ですら、とてもよい空間に思えるのです。それをモノでいっぱいにしても同じだろうか?と問われると、こればかりは即答できません。モノの多さがその部屋に対して適しているかどうかなどを含め、その場所に行って、感じて味わってみないとわからないと思います。どちらか両極になるのではなく、その中間、つまり中庸が生活するうえでは理想です。しかし、スペースがある状態で感じる心地よさを知っていて損はないと思います。

 

 

 

 

 

夕方まで力仕事をした後。

札幌ドームへ到着しましたら日本ハムがリードしていました。

 

その後、エラーがきっかけで逆転され、悔しい敗戦となってしまいました。

 

 

 

痛恨のエラーをしたのは背番号2、帝京高校出身の杉谷拳士選手。

守備はセカンド。この日はいつもセカンドを守っている田中賢介選手がDHに入っていたため、スタメンでの出場となっていました。

 

しかしこの日はバッティングも守備も、その両方がダメダメ。

日ハムの選手のなかで一番応援したいのが杉谷選手なのですが、流石にこの日の杉谷選手には「喝!」と言わざるを得ません。

 

 

 

本日(6/7)の試合にもスタメン出場していますが、スタメン落ちでも仕方のない失態だったと思います。レギュラーではないからこそ、バッティングでも守備でも、素晴らしい、印象に残るプレーをしたいものです。それが空回りしてしまうと、逆に身動きが取れなくなります。チャンスを与えられたときこそ、その人の真価が問われるのだろうなというのを、試合を観戦しながら感じていました。

 

不思議とですが、エラーをしてしまった後の杉谷選手、テンションが落ちているというのが見て取れたのです。相手チームもいるので見るからに落胆していたというわけではないのですが、その佇まいがそれを物語っていました。本人としても、この日の成績は完全にペナルティ対象だと感じていたようです。責任を感じていた姿が、そこにありました。

 

 

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 1塁側は真っ赤。

 

 

野球を観戦していて思いましたが、レギュラーとして試合に出ている選手たちは、例外なく「練習」を重ね、「実力」と「実績」を積み上げてきています。ただチャンスを「待っている」だけではありません。結果が全ての世界だとは言っても、その裏側、目に見えないところでは、地味でありながらも素朴で実直な行動の積み重ねが日々行われています。

 

 

 

その仕組み、流れを見れば、努力や継続するといったことがとても重要になってくるというのは明白なのですが、それが自分のことになるとそんなのは関係ねぇ~と、まるでちゃぶ台をひっくり返してしまうようなトンデモな人たちが多いことに気づかされます。

 

スピリチュアルを盲信(または妄信)している人の傾向として、スピリチュアルな出来事、つまりは自分以外の大いなる存在が、自分を「良い方向」へ導いてくれると信じています。または、そのような導き、恩恵を受けるべく、祈りをはじめとした様々な方法を実践しています。

 

 

それで実際に「恩恵」が与えられても、そこから先の自分の努力を蔑ろにしてしまうのです。その理由としては「天(神)が用意してくれたものだから、この先は安泰(安心)だ」という感覚です。つまりは、自分が何かしなくとも、大いなる存在が用意してくれたレールに自分がいるのだから、ここから先は任せるのがよい、というもの。何か大事なことを放棄してしまったような感じです。

 

 

 

 

それ、間違いですよ。

 

 

 

 

スピリチュアルは何も特別なものではありません。スピリチュアルだけなものはないといってもいいくらいです。寧ろ現実的なこと、日常的なことの中にこそ、わたしたちが学ぶべきスピリチュアルと言うのは存在しています。だからこそ、職人さんやスポーツ選手の姿勢等に共感し、感動することが多いのだと思います。

 

自分が○○するためには○○が必要。

その必要なものが、いま目の前に表れた。

 

 

それは「ギフト」に見える人もいるでしょうし、「契約」と見る人もいます。

スピリチュアルを語るひとからは、いろんな意見が飛び交うことでしょう。

 

それをどのように定義づけたとしても、今後の自分の頑張りがその先を左右します。

そこに、安定や安心となる確固たる根拠は存在しません。

どのような条件下であれ、未来は白紙なのです。

 

手相や占い、カードなどでどのような結果が出たとしても、その通りにならない「未来」も、万人に等しく与えられています。その人だけの特別な未来は存在しないといってもいいんじゃないかと見ています。大事なのは、見せてくれたひとつの未来に対し、自分がどう進んでいくか、どう行動していくかです。「既に決まっている未来」は何ひとつありません。そこを履き違えると、目の前に提示された条件やチャンスは、すべて自分を「鈍らせる」材料となってしまうでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょう行われた野球の試合を見ていましたが、昨日エラーしていた杉谷選手はきょうも出場し、ヒットを打っていたようですが試合は残念ながら負けてしまいました。連敗街道まっしぐらです。他球場では、巨人が連敗記録を伸ばしてしまうという事態になったようです。

 

日本ハムと巨人は今週末に対戦します。互いに活路を見いだせない中での対戦となりますが、どちらのチームも浮上の足掛かりを、この3連戦で掴んで欲しいと思います。