つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「きほん」を続けていけば。

先週末、そして今日と、続けて来客がありました。

 

写真は来客が返ったあとのリビングを写したものですが、我が家のリビングは「普段暮らし」のレイアウトと「来客用(飲み会も含む)」のレイアウトがあります。家具の配置移動は多少あるものの、重労働でもないのでスムーズに行うことができます。

 

 

 

 

 

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普段の生活とは違い、来客があるということはそれだけ会話が増え、そして弾むことになります。先週末の来客の中に3歳のお子さんがいましたが、ぼくはお子さん担当になり、いろんな遊びに付き合っていました。

 

 

 

 

 

 

そして今夜の来客。きょうはひとりの来客となりました。

先週の「ワイワイガヤガヤ」とは異なり、じっくり、そしてゆっくりな時間を過ごしました。きょうの日中に感じたことと、来客が返ったあとで感じたことは、もしかしてつながっているのかなぁと思うものでした。

 

 

 

 

 

 

ぼくは普段、ひとりで仕事をしています。

 

デスクワークが中心ですが、時折外に出て自分の仕事のことを話したりします。

割合としてはひとりで黙々と仕事していることのほうが多いです。そのためか、来客があったり、お呼ばれすることが好きですし、楽しいと感じます。仕事に関係がないときでも、総じて会話を楽しんでいるかもしれません。

 

 

 

会話は、良くも悪くも刺激になります。

刺激とは、興味・関心でありますし、神経を逆撫でされるようなものでもあります。

少々やっかいですね。しかも、そのどちらかだけを先に選ぶことができません。

損得で考えてしまいますと何かと「損」ばかりに目がいきがちですが、損の中にも得があるよなぁ~と、最近思えるようになってきました。

 

 

 

ひとは、会話をすることで多くのものごとを学んでいます。

それは単に、コミュニケーションだけというものではありません。

顔と顔を合わせて行う会話は、たとえ会話の時間が少なくても、そこから得る情報量はとてつもなく大きいと思います。

 

 

 

 

そのように感じるのも、小さい頃から同じことを「続けてきた」からだと思います。

 

仮にこれがもし、始めたばかりであったなら、ここまでのことは感じなかったかもしれません。続けてきたからこそ、より深いことをひとつの出来事から感じ取ることができるようになったと思うべきでしょう。そう考えると、きほんはとても大事だし、きほんを続けることはとっても大切なことなのだということがわかりました。

 

これは、当たり前のことだと言われるでしょう。

しかしいま、このアタリマエだとされることが意外にも出来ていないひとたちが多くなってきました。その原因を絞ることは難しくなってきています。

 

 

 

いつのまにか現代は、流れてくる情報の数が膨大になりました。

そのため、仮に自分が特定のものごとを経験したことがなくても、知識としては知っている状態を作ることができるようになりました。それが「わかったつもり」という錯覚を生み出すようになっています。

 

 

 

その知識が悪い訳ではありませんが、経験してから言うことと、経験をしていない状況で言うことでは受け手の印象が違います。もちろん、経験しているからいいのだという理由にはなりませんが、よく見かける・聞かれるのは「自分の言っていることが正しいのだ」という、周りの意見を挟む余地のないほどの自信ではなく、単純な「頑固さ」を大事に抱えている人たちが多くなったこと。イメージとしては、そこで「きほん」を止めてしまったように見えます。本人はどう捉えているのかは、わかりません。

 

 

 

最近は、単純な会話とか立て込んだ話し合いとか、事が難しく、ややこしくなると「じゃあ好きにすれば」「勝手にそう思っていれば」といった、投げ出しが多くなってきたように感じました。とことん話し合っても解決(理解)に至らないケースもありますが、感情が勝ってしまい、その会話に価値を見出すことが出来なくなると、どうでもよくなってしまう傾向にあるようです。

 

 

 

ぼくも、そんな会話を数多くしてきてしまいました。だからこそ今でも深く残る後悔があります。だからこそ、いま改めて「きほん」が大切なのだと気づきます。ただ、きほんが大切だと思っているだけではダメで、この基本を続けていくことが何よりも大事なんだと、日々の生活を通して感じ、そして味わうことこそが重要だと思っています。

 

 

 

文章を書くことも。

料理をすることも。

会話をすることも。

何かを使うことも。

仕事をすることも。

そして、生きることも。

 

すべてにおいて、きほんは重要なものとなります。

 

 

 

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このきほんを押さえずに、自分にとっての最高の結果のみを求める。

そんなメソッドが、数多く溢れています。

 

それが果たしてどうなのかはわかりません。ただ言えることは、ぼくには合わないなということだけ。

 

 

 

きょうも、あすも、あさっても。

きほんを続けていくことが、ぼくにはちょうどいい。

積み重ねてきたきほんが、いつか大きな成果となる。

それでいいんだと思います。

それがいいんだと思います。

 

 

 

 

がらくた整理も、きほんが大事。

オラクルカードも、きほんが大事。

木育も、きほんが大事。

 

すべて、きほんが大事です。

 

 

 

そのことを忘れずに、明日からまた頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

東京で何してる? 豊田道倫 河出書房新社 (163)

四書五経」の名言録 守屋洋 歴思書院 (164)

きもの、大好き! 楽しくなった私の毎日 平野恵理子 ちくま文庫 (165)

詩の本 谷川俊太郎 集英社 (166)

「原因」と「結果」の法則 ジェームズ・アレン 坂本真一:訳 サンマーク出版 (167)

森を見る力 インターネット以後の社会を生きる 橋川幸夫 晶文社 (168)

片隅の迷路 開高健 創元推理文庫 (169)

ぼくのともだち エマニュエル・ボーヴ 渋谷豊:訳 白水uブックス (170)

先導者 小杉英了 角川書店 第19回日本ホラー小説大賞 大賞受賞作 (171)

フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました。 きたみりゅうじ 日本実業出版社 (172)

多縁社会 自分で選んだ縁で生きていく。 篠原聡子 空間研究所 アサツーディ・ケイ 東洋経済新報社 (173)

わたしがいなかった街で 柴崎友香 新潮文庫 (174)

くちぶえサンドイッチ 松浦弥太郎随筆集 松浦弥太郎 集英社文庫 (175)

独白ニュースレター 松浦弥太郎 長尾智子 DAI-X出版 (176)

老子(上下巻) –中国古典選10-11- 福永光司 朝日新聞社 (177-8)

つながる図書館 猪谷千香 ちくま新書 (179)

やっぱり、北大の先生に聞いてみよう ここからはじめる地方分権 中島岳志 編 北海道新聞社 (180)