つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

わたしについて銀河が知っているいくつかのこと。 その6

きょうは午前中に市内にある保育園で野外活動。

 

とは言っても年少さんばかりなので、ゆるりと公園で遊びました。

 

 

 

 

そんなにはしゃいだわけでもなかったのですが、帰宅すると眠気が挿すほどの疲れが押し寄せました。こどもと向き合うことの大事さを痛感した瞬間です。

 

 

 

  

 

昨日で41歳になったことで、昨晩から少し自分について思い返しています。

 

その中でひとつ、きょうの日記で触れておこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくは学生のとき

 

アニメおたく

 

と呼ばれていました。

 

 

 

 

しかし当時は

 

 

「アニメ好き」=「アニメおたく」

 

 

という捉え方をしていたひとが多く、今のような詳しい知識がなかったとしても、おたくと呼ばれていました。

 

 

 

 

 

元来、ぼくはマンガやアニメが大好きです。

 

小学生のとき、趣味に「読書」と書き、「どんな本が好き?」という先生の問いに「マンガ」と答えて本気で怒られたほどです 笑。

 

今も昔も、マンガやアニメは興味深い別世界のお話です。

そこに魅かれることに、理由はなかったと思います。

 

 

 

 

 

本格的にアニメが好きになったのは中学生。

 

この頃、名作「ふしぎの海のナディア」に出逢います。

ここから、アニメに対するネガティブなイメージは、完全に払拭されます。

 

 

 

 

 

その後、エヴァこと新世紀エヴァンゲリオンで衝撃を受けます。

 

前後はしますが、ガイナックスが手掛けた作品を、可能な限り見ていきました。

 

ちなみに、アニメ界最強のロボットは、今でも「ガンバスター(トップをねらえ!)」だと信じています。はい。

 

 

 

 

アニメや漫画の名作は数多くあり、あれもこれもと言いたいところです。しかし、ここでお伝えしたいのは「マンガ」や「アニメ」が、自分のいち部分を間違いなく形成しているということ。つまりは、登場人物(キャラクター)の性格等に影響を受けているということです。いま考えても、確実に影響を受けているな・・・というのが、片手ほどあります。それがいいのか悪いのかはわかりませんが、これもひとつの「育ち」のかたちかもしれません。

 

 

 

その「マンガ」や「アニメ」。

社会的な立ち位置が、いつの間にやら変わっていました。

 

 

ひとつは世界に誇ることのできる「文化」にまで昇華していること。

そして、ひとつの「伝える」ツールになったこと。

 

最後に個人的には、「境界がない」ことが挙げられます。

 

 

 

マンガやアニメには昔のように単純に楽しむ作品もありますが、一方で作品の世界観やキャラクターのセリフを通し、現代社会に一石を投じるかのような行為を実は行っていると感じることがあります。ブラックなことも含めてそれらの指摘(セリフ)は簡潔ながらもうまく説明されています。こういった場面に数多く遭遇しているいま、マンガやアニメは娯楽ではなく「学問」だと言っても過言ではないと思います。

 

 

 

 

 

ぼくが小さい頃、マンガやアニメは勉強や日常の生活の邪魔になるものとされてきました。

 

 

マンガばっかり読んでないで!

テレビ(アニメ)ばっかり見てないで!

 

 

と、口酸っぱく言われたものです 笑。

 

 

 

 

それは今でも変わらないかもしれませんが、マンガやアニメがひとを大きく育ててくれる土壌は、いつの間にか出来ています。マンガやアニメでですら、考えることを促すシーンが数多くあります。感情だけで判断しすぎることの後悔も、作中で数多く触れられているほどです。感覚も大事ですが、感覚以外のものにも目を向ける必要があることを教えてくれています。個人的には「ガンダム」シリーズがその筆頭だと思っています。

 

 

 

 

先月からおよそ1か月間、レンタルで邦画・洋画・アニメをたくさん見てきました。

昔の映画ももちろんいいのですが、現代の映画は独特の「何か」を感じます。まだまだぼくは知らないことや、知らないことばなどがあります。それを何とか表現できるよう、じぶんのことばで説明ができるように、本を読み、映像を観ていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

マンガもアニメもすき。

 

こればかりはやめられません。