昨日から札幌は蒸し暑さを感じる時間が多くなっています。
朝方はまだ涼しさを感じるものの、時間が経つにつれ不慣れな暑さに集中も続きません。
これから本格的な夏が来ますし、夏バテなどにならないように注意していかなくてはと思いました。
ただでさえ暑いのに、追い打ちをかけるような行動(ガスを使うことや掃除などで身体を動かすこと)はどうしてもとりたくないと思ってしまいます。ただ、人間汗をかくことも必要だそうで、れっきとした新陳代謝になるそうです。汗はあまりかきたくありませんが、健康的な生活を送るためには、ある程度の循環が必要だということですね。
昨年の9月は、まだ暑さが残っていました。
きっかけは、正直憶えていません。用事があったか、頼みごとをされたかで、そのお店に向かったことがこの話の始まりとなりました。
お店は流行の兆しを見せていた「ヴィーガン」の食事を提供するカフェで、店主のかたもヴィーガンでいらっしゃいました。
それまでのお店の内装は、ネイティブアメリカンの装飾品を中心に飾っているとともに、お店の両脇に多くの本棚を設けていました。本棚には雑誌や単行本、文庫本などがあり、スピリチュアルなものから食事に関すること、医療に関するものなど、多彩なジャンルに分かれていました。テーブルやイスも店主の気持ち、センスを反映していたものだと感じています。この雰囲気に対して、当初ぼくは特に何も感じていませんでした。ぼく自身が無類の本好きであったことから、このお店で食事をするということは、そのお店にある本を読むことでもあったからです。自分が持っていない本や自分が知らない本が目の前に数多く並べられると、テンションが上がります。このお店はそういった意味でも、ぼくに少なからず刺激を与えてくれるお店でした。
そのお店の雰囲気はというと、以前はこうでした。
※被写体は気にしないでください 汗
※2016年7月ごろの写真です
とにかくもう、びっしり詰まっていた訳です。
棚によっては、前後の2列に本が収納されている所もあったほどだと記憶しています。
こういう光景は、ひとつの憧れでした。
やっぱり、こう、なんというか、その(笑)、本を収納するところがたくさんあり、かつ収納する本もたくさんあるというのは、ひとつのロマンな訳です。自己満足の世界になるでしょうが、それらの本を収集してきたことや、それらの本を読んだ証と言うのを「目で見て確認」することが出来る状況であったというのが、さわさわとぼくの好奇心をくすぐりました。
ただ、この時点でぼくはじぶんのものを大量に整理していました。
その中には本も含まれていましたので、その環境に羨ましさは感じつつも、じぶんの家ではやる必要がないと感じていました。なので、こういった光景は「外」で見ること、触れることが出来れば、それでいいやと思うことができるようになっていました。
と、ここで、書きながら前段階のことを少し思い出しました。
記憶では、整理に駆り出される前にお店に食事をしに行ったことがありました。
で、お店の中に入ると、なんだかお店の空気というか、雰囲気が違ったんですね。
要するに、いつもの感覚ではないというものでした。
不安定というか、ふわふわしているというか。表面だけで捉えてみると「落ち着かない」感じ。なんでこんなに落ち着かないと思うのだろう?と、その感覚に集中してみると、何のことはない、「普段感じたことのない感覚」だという導きに達しました。
それを店主に話したところ、返ってきた答えが「断捨離をしてるの」というもの。
その時は始めたばかりだそうで特にインテリア等が変わったという印象はなかったのですが、少しずつ整理を始めていたということでした。
このとき感じた感覚というのは、これまためんどくさいのですが 汗、最初に感じられるのが「いずい」感覚。つまりは、あまり感じていたくない部類の感覚です。この感覚に長い時間をかけて集中するのを拒んでいるかのような、ちょっと特殊な感覚でした。最初にこの感覚を得たとき、拒否反応が出ないまでも、その特殊な感覚に少し戸惑いました。この時点でもあまり長い時間をかけて感じたくはないな・・・というものだったのですが、これまで一切感じたことがなかったのに、どうして今日は?という疑問もあったので、そのままその感覚の「奥」に行ってみることにしたのです。
そうしますと、これまでの馴染めない感覚はどこへやら。
そこには、これまでのうにゃうにゃしたものは一切ありませんでした。
どんな感覚といえば、それは「静寂」そのもの。
もう少し言い換えると、夜明け前の静けさのような感覚。
そこにはネガティブなものは一切ありませんでした。
厚い雲を抜けた先にある青い世界。
そんなイメージです。
いま思うと少し奇妙な体験でしたが、裏を取ってみるとその背景には「断捨離」と、それを進めようとする「強い気持ち」がありました。ぼくが感じ取った感覚は、それを進めようとしている店主とお店の両方が抱えていた、入り混じる感情の一端だったのかもしれません。
そのタイミングで、ぼくがお店の品物の整理を手伝うかどうかといったことは記憶にないのですが、結果としてぼくは手を貸すことになります。
手を貸すことになった理由のひとつとして、前述した「あの不思議な感覚」があったことは否めません。あの感覚を表面にだすことは出来るのか?それを確かめてみたいと思いました。
しかし、そこからの数か月間は、感じて味わうことよりも、手足を動かして体験することのほうに比重がかかる、貴重な体験を踏むことになりました。まさしく汗水流しての一大整理が行われることとなったのでした。