「つながる」実感。
先日の連休で、ちょっと「不思議だな」という体験をしました。いや、ちょっと振り返れば、これは多くのひとが経験していることかもしれません。とは思いつつも、タイムリーな出来事だと感じましたので、書き遺しておこうと思います。
先週末の月寒公園でのボランティアのあと、すすきのへ向かいました。
向かった先へは、随分前に取り置きをお願いしていた冊子を受け取るだけはずだったのですが、思わず長話。結果、帰宅が遅くなるということに。
長話の内容としては多岐に渡るのですが、その中に
「中島公園のガイドツアー」
というものがありました。
札幌市にある公園には、短いながらも歴史を持っているところが多数あります。
中島公園もそのひとつで、その変遷を辿ってみると、札幌市民ですら知らない事実に突き当たります。今年の春先にそんな話を「さらっと」していて、中島公園に関する書籍を一冊だけ読んでいたのですが、それ以降特段動いているということはありませんでした。
すっかり忘れてしまっていた話を、この日改めて話をしました。
本で読むのとは違う、ココロくすぐる話しが、その会話の中に散りばめられていました。
同じ内容であったとしても、ひとから聞く「話」と、本で読む「はなし」とでは、大きく印象が変わることって、あると思います。今回の話は、まさしくそんな印象を受けました。歴史も感じましたし、時代の悲哀も、そして想いも。街並みは年々変わっていきますが、その片隅にも「歴史の片鱗」は案外残っているものです。それらをひとつずつ掘り起し、観光や学習を含めた「財産」にしていく必要があるな・・・と、ひとり考えていました。
この話ですっかり(また)感化されてしまったので、後日中島公園のフィールドワークを行う予定です。また、札幌市の中央図書館には館内閲覧でのみ読むことが出来る図書もあるようなので、中身を確認しに行きたいと思います。
と、話はここで終わり。のはずだったのですが・・・・・
その数日後、所謂「教授」さんたちと一緒に食事したときのこと。
偶然にも、博物館の学芸員さんが同席していました(道外の博物館)。
そこで話が出ていたのは、なんと「ガイド」の話しでした。
ガイドする内容こそ違うものの、共通するところはたくさんあります。
しかも、普通のガイドではなく、「こういったガイドはどうなんだろう」という、まさしく当事者の生の声を聞くことが出来ました。
その話しに教授たちがいろいろ反応するなか、ぼくはほぼ聞き耳を立てているだけ。
会話は勝手に進んでいきましたが、とても大きな収穫になりました。だって、ガイドする前から、ガイドに関するあれこれを「ほんの少しであっても」聴くことが出来たのですから。
その後もガイドに関する話に花を咲かせ、その日は散会となりました。
実は、この学芸員さんの話を聴いている途中で
「つながっている!!!」
と、ひとり心の中で驚嘆していました。
これも、「引き寄せの法則」に関連することかもしれません。
実際、すすきので話をしていたガイドツアーに関しても、その場で強い想いを抱きました。それ以外にも、その方からは凄く前向きな、それでいて着実なアドバイスをいただいていましたので、わたしのやる気というものは俄然高まっていたのです。そんな中での、日にちと場所と、そして人が変わっていても、話の続き。そんなにも、ぼくの気持ちが強かったのだと思わせる出来事でした。
ガイドツアーも、インタープリテーションも、それぞれの特性を持っていますが、ぼくはその「どちらも」やりたいと思っていたようです。そんな中での、この活きた聲でした。
ただ面白いのは、「引き寄せたい!」と思ってやっていないということ。ただ強く想うのみで、実際のところは無意識です。引き寄せの法則に関する本はたくさん出されていますが、ここに本質の一端を見たような気がしました。よく「この本を読めばできる!」といったフレーズをいろんなジャンルにおいて見かけますが、大事なのは「意識」と「無意識」なのかもしれませんね。
「つなげていく」ことも、「途中であきらめる」ことも、実は「じぶん」がとても大切だということ。
手にするものごとは多いけど、そのすべてをおざなりにせず取り組む。
そして、はじめて「つかむ」のだと思います。
どこから「つながる」かは、誰にもわからないのです。
神さまも、ただ見ているだけだと、思います。
きょうまでに読んだ本
絶対ブレない「軸」のつくり方 南壮一郎 ダイヤモンド社 (203)