【活動報告】保育園児とみずあそび。水しぶきから取り出した、忘れてはいけない、たいせつな「きほん」のこと。
今週はじめの出来事ですが、ボランティアで保育園児と遊んできました。
遊びのテーマは「みずあそび」。
夏らしくなって久しいので、至る所で水に触れるプログラムが実施されています。
水を扱うプログラムのため、またもや写真が必要最低限。
かろうじて撮った1枚がコチラ。
もう、何が何だかわかりません・・・汗
文章で補足をしていきますと、以下のような状況で行いました。
まず、普段水遊びをされているシチュエーションを作ります。今回の場合、ビニールプールとたらいに水を張り、おもちゃを配置しています。
これに加え、こちら側で用意したもので遊び場を拡大しました。
容れ物という入れものに水を入れ、おもちゃを配置。水鉄砲にも水を補充し、準備万端。
容器に関しては虫かごやバケツなどの比較的大きいものから、ボウルなどの小さいものまで「様々な大きさ」のものを用意。対象は年少さんであることから、これで様子見をすることになりました。
結果。
最初は恐る恐るだった子どもたちも、後半からは思い思いの道具を用いて水遊びに興じていました。黙々と遊ぶ様子が、大人たちを安堵させてくれました 汗。
なぜ「汗」かと言いますと、小さいこどもが遊ぶ際、どんな遊びや道具に興味を示すかわからないから。加えてあまり慣れていないであろう「水」。保育園でもビニールプールなどで水遊びをしているとのことでしたが、普段と違う光景に、警戒感を持ってしまう可能性もあるということです。
そのため遊びの最初は保育士さんにお任せし、徐々にその中に入っていくという形をとっていくことにして、無事に慣れていただきました。
先ほど載せた写真は、車の上部にブルーシートをくくりつけ、簡易テントのようなかたちにして、上から水をかけて音などを楽しんでもらおうというもの。興味を示してくれたのはほんの数人でしたが、すごく興味を持ってくれ、こちらの準備も報われたかたちになりました。
そしてこの日は陽射しが強かった。しっかり日焼けしました。
腕時計をはめているところだけ見事に白。その周りはこんがりです(笑)。
今年の夏は、まだまだ日に焼けそうです。
保育園児との活動は数える程しか経験していませんが、ひとつ思ったことがありました。
こちらが「これでいいかな」と思ってしてあげることも、相手にとってはそうではない場合がある。
それは、ことばや表情等で意思疎通ができるできないに関わらないということ。
つまりは、小さなこどもでも、立派なおとなでも、こちらの意図や思惑通りには、必ずしもいく訳ではないということ。
小さなこどもの場合。
ことばは断片的です。もしくは、ことばでのコミュニケーションが困難な場合があります。その場合、反応を見るしかありません。今回の遊びの場合、反応を示すかどうか、または継続して遊ぶかどうかなどを見て、手探りで相手が望むことを提供していきます。
おとなの場合。
ことばを尽くしてコミュニケーションをとって、そこで同意を得て、そしてものごとを提供していきます。これで問題はないはずなのですが、「そういうのじゃない」と、いきなり否定されてしまうことがあります。事前に会話などのコミュニケーションをとっているにも関わらずです。
こうして考えていくと、にんげんはいつになっても、相手の心情を汲み取ることに対しては苦手なんだろうかと思いました。全部ではないにしろ、こういったシチュエーションに出くわすことは、少なくないはずです。仮にこんな場面に出くわした場合、読者のかたはどうしますか?若いころであれば、ああもういい!めんどくさい!勝手にやってなよ!と、却って相手を責めてしまうかもしれません。今では年代に関係なく、会話が長続きせずに途中で打ち切りになってしまうこともあります。その打ち切りは人間関係の打ち切りにまで影響を及ぼしてしまうことも。本来であれば、認識のすりあわせといった「話し合い」が必要なのですが、なかなかそれもうまくいかない場合はあります。感情的になっているひとや、妙に冷めているひと、この話し合いに意味を見出さないひとなど、それぞれに目的は異なります。単純に自分が伝えたいことだけを「通告」するだけのことしかしてこなくなってきたらからこそ、自分のことのみ優先し、結果歪みを「みずから」生じさせるケースも少なくありません。それを自覚していないひとが、とても多くなったように思います。
こどもの行動は、おとなのそれとは異なります。
こともは、無垢です。逆に大人は、意図があります。
その違いが、現象としていまの世間に反映していることを忘れてはならないと思います。
相手がこどもであっても、おとなであっても、コミュニケーションの意味をしっかりと理解したうえで、しっかり意思疎通をとらなければなりません。それがある意味「予防」につながります。「未然」に防ぐことも可能になります。あらゆる「可能性」の芽を出し、不安要素を「摘む」ことを、今一度知るべきなんだと感じました。
世代や民族、そして国家など。
相手がどのような立場であっても、コミュニケーションを怠ってはならない。
そこに「怠惰」が生まれたとき、意図した道筋から大きく外れていく可能性も生まれることを、意識していきたいと思います。