多読の中間報告です。 その9
きょうの日記は「多読」の経過報告。
1年の後半に入り、複数の本を代わる代わる読み進めていくという「多読」を、昨年秋より継続しています。
そして今年はじめから一定の目標を定め、このブログで記録するようにしています。
読む本のジャンルは特に決めていません。
かねてより読みたかった本。
何かの拍子で読む必要が出てきた本。
ネタ帳(読みたい本を書き留めておいたもの)や紹介されたものなどをもとに、いまのところかなりの勢いで読み進めています。
そして、読んでいる本の文中で気になる箇所があればそこに付箋を貼り、読後にノートに書き写し。これが何の役に立つのかは皆目見当がつきませんが、この時点では「必要なエッセンス」と思い、こちらも継続しています。
7月下旬の時点で、読み終えた本(一部にはパンフレット等も含む)の数は200を超えました。
当初は年間で120冊、月に10冊としていましたが、これを大きく上回っています。この調子でいきますと、年間で300冊、もしくは、1日1冊計算になってしまうかもしれません。
かと言って、暇を持て余しているわけではないのです 汗。
早起きしたり、もしくは夜遅くまで本を読むことに時間を割くことが増えてきました。
本にすべての答えがあるわけではありませんが、解決のための大いなるヒントは存在していると思います。良書・悪書が混在している時代になりましたが、読み進めていけばその本がどのような性質を持っているかは、自然とわかってきます。わかってくるのは良いか悪いかだけではなく、そのメッセージがホンモノかどうかも含めて。時折難解な文章に出くわすこともありますが、知るための大いなる手段として役に立っています。
反面、ネットに渦巻く文章は、大きな傾向の元に表示されてしまうケースが多くなってきたように思います。
その最もたるものが「広告」。
それを正当化するための文章をはじめ、記事や特集などを組むことも頻繁です。
そして、正しいものと間違っているもの。それ以外のあらゆるものが雪だるま式に増えていき、本質を突いた情報や記述に辿りつくことが難しくなっています。そして情報を収集する目的が、ほんとうの情報ではなく、自分が思い、考えていることに「同調している」ものにフォーカスし、採り上げてしまうという流れも生み出しています。それは新たなスタンダードを生みますが、求められているものとは大きく異なっているように感じます。
時代というか、その時の風潮によって読み進められるジャンルが大きく変わるのが、本。
いわゆるベストセラーも、そのときどきによって大きく傾向が変わります。
読んだほうがいいと考えているひともいます。
そんなに読む必要はないと考えているひともいます。
本に頼るな!と突っ込むひともいるし、本がともだちというひともいます。
いずれにせよ、本はわたしたちのそばにある存在であることに変わりはありません。
じぶんの持ち物の本で読み終えたものは、ダンボール4箱になりました。
来月から5箱目に突入します。
この数を「勲章」にしたいわけではありません。
寧ろ、自己満足の道具にすべきではないような気がします。
結局、ここも「通過点」。これがゴールではないのです。
今夜も明日も明後日も、本を読んでいきます。
どんな本に出逢うのか。
どんな著者を知るのか。
ひととのつながりが、新たな本の存在を明るみにします。
そんな縁を楽しむことも、一興ではないかと思います。
きょうまでに読んだ本
ソトコト 2017年7月号 移住のはじめ方Q&A 木楽舎 (205)
ぼくのいい本こういう本 松浦弥太郎 朝日文庫 (206)
さよならは小さい声で 松浦弥太郎 清流出版 (207)
「原因」と「結果」の法則③ 困難を超えて ジェームズ・アレン 坂本貢一:訳 サンマーク出版 (208)
別冊図書館戦争Ⅱ 有川浩 角川文庫 (209)