その「苦しみ」という刃物は、いつの間にかぼくの心に深く深く刺さっていた。 ~カリンパニの夜明け⑥~
何であんなに苦しんでいたんだろう?
いま思うと、とても不思議に思います。
そのギャップは一体どこから生まれたのか?恐らくその「理由」を知っておかないと、違う場所での違ったものごとにおいて、同じような感情が生まれる可能性がある。それを防止する意味ではありませんが、「同じことの繰り返し」にならないようにしていくべきだと思いました。そういった意味もあり、この「カリンパニの夜明け」を書いています。
振り返れば「なんだ、そんなことでか」と思うことが多々ありました。
しかしながらその場に身を置いた身としては、「そこが重要だったのだ」としか言いようがありません。こういった特殊な環境においては、普段とは違った心理環境が生まれるのかもしれません。それがわたしの足を引っ張りましたし、余裕を奪っていきました。
前回書いた内容は、ともに奉仕するひとの姿勢について自分がやきもきしていたことを綴りました。これについて勝手に苦しみ始めていたぼくですが、それに重なるかのように、別なことで苦しみを味わうことになります。
それは、提供する食事の量でした。
なんのこっちゃ 笑。
でも当時としては、これは重要な位置を占めていたのです。
当時の状況を振り返りますと、食事に関しては
・大人の男性約35人分の食事
・ごはんの量は多すぎてもダメ(少し残るくらいが理想)
が基本軸となります。
食材や調味料は、基本あるもの(前回のコースで残ったもの)を使います。
その際、動物性の成分が入ったものは使用しません。これはこのコースの決まりでもあります。他にも細かなルールがあります。
ぼくが悩んだのは
「ごはんの量は多すぎてもダメ」
という部分でした。
この部分、奉仕する人のルールとして記載されているのですが、提供する食事の量が「きっちり」ではダメなのだそう。少し残るくらいが理想で、その残りを奉仕する人で消費するという流れになっているようです。
これが難しい。
何故なら、その日の献立によって、消費される量が変わるわけです。大きく変わるということはそんなにありませんでしたが、前日と同じような感覚で作りましても、残る量が大きく変わることがあります。ぼくの担当は主に炊飯でしたが、ご飯ですらも残る量に違いが出てきました。最初はその「浮き沈み」を把握するのに苦労しました。ただ合宿も折り返しに差し掛かる頃から、大まかな傾向を掴むことが出来るようになり、そこから多少の量の調節ができるようになってくるはずだったのです。
で、何が苦しみの原因だったかと言いますと、これまで提供してきた量では「明らかに」食事の量が「多すぎる」ことが見えていたものの、その量を調節する動きが見られなかったこと。ご飯が多く残っても「仕方ない」という空気が漂っていたことでした。前述したように、ご飯が残っても奉仕者でそれらを消費するという流れでいましたが、いっときはそれでも余ってしまうというほどの残りっぷりになることがあり、内心「これはいけない」と思っていたのです。どうしてかと言いますと、残った食事は次の日に出すことが出来ません。家庭の食事であればまだしも、衛生上の理由から作った食事は当日中に消費することが定められていました。つまり、残った食事は廃棄となります。どこかで聞いた「廃棄ロス」がそのまま当てはまります。
そうなってしまうのが、とても嫌でした。
理由を説明しますと、ヴィパッサナー瞑想の活動式はすべて「寄付」によるものです。会社のような経済活動を行って得た対価、という性質のものではないため、自然と「大切に使おう」という意識が奉仕する時点で生まれました。通常、センターで行われる合宿の場合、献立もある程度固定化されていたようで、注文する食材の種類や量に関してもさほど難義することはないそうですが、センター外コースの場合、すべてが手探りであるため、つい「消費しがち」なイメージを抱かせるシーンを何度か見てきました(実際はどうだったかはわかりません)。
慣れない部分は確かにあるものの、一定の食材に関してはある程度量の上下をしてもいいのではないか?と思っていたのですが、方針は「これまで通り」であったため、それに従わざるを得ませんでした。ここで反抗しても輪が乱れるだけで、何の意味もなかったからです。
食事の残る量が多すぎる。
奉仕者が残った分を消費するにも限界がある。
毎食どれか余り過ぎるものが出てくる。
次回は少し減らしてもいいのに、一向に減らさない。
正直、「なに考えてんだ?」と思いました。
進行の考えとしては「減らして足りなくなるくらいなら、このまま余らせたほうがいい」
ぼくの考えとしては「消費の傾向はわかったのだから、徐々にでも調節すべき」
視点の違いが、意見の食い違いを生みました。
この違いが顕著にみられたのが「お米」で、炊飯を担当するぼくのところに降りかかっていたので、尚更でした。他の材料、一部のおかずに関しては調整が行われていたものの、お米と果物に関してはその気配はなし。そして余る食材の量が増え、奉仕者で消費する量も増え、1度では消費しきれないほどの量になることもあり、ついには廃棄することもありました。
この様子を見て、「本末転倒」さを感じました。
合宿の参加者に食事を提供することはとても大事です。そのような位置にあるため、提供する食事も充分に行き渡るようにというお達しが来ているほどです。しかし、提供することにのみ注視し、後のことはあまり考えない姿勢、つまりは残りものが多く出てくる事態を招くことはあまり歓迎できるものではありません。この状況を数日我慢して見ていましたが、どんどん苦しさは増すばかり。どうしてこんなに苦しいのか?当時は理由など見つからず、または探る余裕もないまま、1日があっという間に過ぎていきました。苦しみながら自然と眠りに落ちるということを何度か繰り返したのち、ぼくはある行動に移しました。
それは、この現場を管理監督する「アシスタント指導者」に話を聞いてもらうこと。
素直に疑問をぶつけ、そこに解決策の糸口を探るしかない。
そう思い、決心してアシスタント指導者に話しかけました。
アシスタント指導者からかけられたことばは、提供する食事の量の調節は難しい問題で、都度探り、解決していくしかないこと。そしていま感じている苦しみは、自分に向けられた現在の行に際する課題のようなものだということでした。
実はこの時点で、リタイアの相談をしようとも考えていたぼくは、不思議とそこで踏みとどまる選択をとりました。心のどこかではここでリアイアしては何の意味もないということをわかっていたのだと思います。ほんとうはリタイアしたくない。でも、この苦しみが続くようなら、この先耐えられるかどうかはわからないという心境でした。
タイミングとしては、合宿参加者が「ヴィパッサナーの日」を迎える前後だったように思います。合宿の参加者は聖なる沈黙の中でそれぞれの試練に向き合うさ中、ぼくもまた、奉仕者という立場から、向き合わなくてはならない試練と対峙することになりました。
ここからが本番だ。
どこからか、そんな声が聞こえてきたようでした。
きょうまでに読んだ本
孤独な放火魔 夏樹静子 文藝春秋 (224)
JP01(ジェイピーゼロワン) 胆振 総合商研:発行 ※フリーペーパー (225)